第１話「本当の魅力とは？」
ある日曜日。
明日香の目覚めはいつものとおり、朝の10時だった。
「ふぁ〜あ……」
そう言いつつ上体を起こし、ベッドのそばに置いてある目覚まし時計を手に取る。
「10時、か……。いいや、もう少しゆっくりしてよっ。
今日は一日オフだからね……」
そういってもう一度ベッドに横たわり、そのまま二度寝をしようとしたが、部屋
の気温が高くて眠るどころではない。
「あっつぅ〜い！ とてもじゃないけど、これじゃ寝てらんないよ」
明日香は小さく叫ぶと起き上がり、窓のカーテンを開ける。
外は雲一つない快晴。
「……それにしても早秀のやつ、
なんでこんな天気のいい日に限ってデートしてくれないのよ！
ゆうべの電話、あれなんなのよ？
『悪いけど、俺様は忙しいのだ』って
あれが恋人に言う言葉？ フツー……」
ひとしきり悪態をつくが、やがてそれにも疲れたのか、明日香は机の上に置いて
あるファッション雑誌を取るとベッドの上に座り、すでに飽きが来るほど読み返し
ていたそれを読み始める。
もう何度も読み返したページをぱらぱらとめくり、時々うなずいたり、なにやら
ひとりごとをつぶやいたりしているうちに、ページは巻末の方にある「読者のペー
ジ」に行く。たいていどの雑誌にもある、読者からの投稿や占いなんかが載ってい
るページだ。
（あっ、そういえばここ、まだ見てなかったわね……）
明日香の目は、占いのコーナー「十一夜 恵のときめき☆星占い」で止まった。
「どれどれ……、今月の双子座は……」
といいつつ、目は活字を追う。
見ると、明日香の双子座は今回、最悪の運勢らしい。
そのコメントにいわく、
「双子座(５・22〜６・21)
恋愛運が急低下！ カレのやることなすこと、全てが信じられなくなっちゃう。
このままじゃ、ふたりは別れることになっちゃうわ。
カレの魅力を再確認することが必要よ！
あなたから、カレを家に招待して、得意料理でもてなしてあげて……」
との由。
「な……なぁ〜に、コレ……」
コメントのあまりのひどさに、開いた口がふさがらない思いの明日香だった。
・・・
その週の金曜日。
明日香は珍しく早起きすると、紺のストライプのトレーナーにＧパンといういで
たちで近所のコンビニへ向かった。
いつも「寝坊＆遅刻」の常連である彼女が珍しく早起きしたのにはわけがある。
今日は「メモリアルスポット」の発売日だからである。
「おっ、明日香ちゃん。いらっしゃい」
明日香が店に入ると、レジの方から店長の島田浩介が声をかけてくる。鼻の下
にチョビ髭を生やした、推定体重100kgはくだらない巨漢だ。
彼はこの街の中学を卒業後、いち時期、ある相撲部屋にいたらしいが、数年前に廃業してこっちに帰ってきた。いまは知り合いからここの
権利を譲ってもらい、店長に収まっている。
「おじさん、いつものやつ、もう入ってる？」
明日香がそう聞くと、島田はいったん屈み込み、カウンターの下から１冊の本――メモリアルスポットの最新号を取り出して明日香に見せる。
「今日は明日香ちゃんがくるだろうと思って、いつも通り１冊抜いておいたよ。
ほいさぁ。いつものやつ、320円ね」
明日香はＧパンのポケットから100円玉３個と10円玉２個を出してカウンターに
置く。島田はレジにつながったハンドスキャナーを裏表紙のバーコードに当てて読
み取らせると、カウンターに出たお金と引き換えに明日香に本を渡す。
朝食時。
明日香は片手にトーストを持ちながら、もう片方の手に「メモリアルスポット」
を持つかっこうで食べていた。
パンを口にねじ込みながら、手当たり次第にページをめくっている明日香。
「明日香、いつも言ってるでしょ？
本を見ながらご飯食べるの、お行儀が悪いわよ。
家の中だからまだいいけど、外でもそういうことしてたら、そのうちあの子――
早秀くんに嫌われちゃうわよ？」
明日香の対面に座っていた母親――星野久美は、苦笑混じりにそういった。
「ママ、アタシだって、この雑誌に出てる最新情報をゲットするために一分一秒で
も惜しいのよ」
「ふ〜ん。そうなの。
だったら、その雑誌の発売日だけじゃなく、いつももう少し早く起きてくれると、
ママも助かるんだけどなぁ……」
母親は娘の反論を軽く受け流す。
それにふくれる娘。
この母娘の会話、ほとんど漫才である。
閑話休題。
ページをめくる明日香の視線は、あるページに印刷されていた特大の活字で止ま
った。
その活字は、こんな文章を作っていた。
「特集：マルチ恋愛のススメ
いまどきのオトコは、ひとりの女のコとつきあうだけではダメ！」
明日香はちょっとした驚きを覚えつつ、記事を読み進める。
見ていくと、
「魅力の薄い女には、適当にやさしくしよう……」
というコラムとか、
「ホケン女とのうまいつきあい方」
とか、どこかの自称「革新」政党――別名「議員バッジを持った総会屋集団」――
とか労働組合とかが後盾についている「女性団体」の連中が見れば、泡を吹いて卒倒
するか、もしくはヒステリーを起こしそうな記事が10ページにわたって載っていた。
（なぁ〜に、コレ……。この記事書いたライター、どういう神経してるのよ!?）
明日香は内心呆れていた。
・・・
教室に行くと、早秀は既に着いていて、男子生徒の誰かと机を挟んで何かしゃべっている模様。
いつもならこういう場合、
「おっはよぉ〜、早秀！」
と、先に明日香がテンション高くあいさつをするが、今日に限っては声に張りが
ない。
「おはよ……」
相手に聞こえるか聞こえないかというくらいの小さな声だ。
どうやら、さきほど見た「メモリアルスポット」の特集がかなりショックだった
らしい。
それでも早秀には明日香が来た気配がわかるのか、男子生徒との会話を中断すると、
「お、おぅ……。今日はどうしたんだよ、明日香？」
少し驚きを含んだ声で返事した。
「ううん……、なんでもない……」
うつむきながら返事した明日香は、その視線の先――早秀の机の上に広がってい
る雑誌を見つけた。よく見ると、それはあろうことか、さっき明日香が見ていたの
と同じ「メモリアルスポット」。
更にまずいことに、たまたま開いていたページというのが、よりにもよって、明日香がさっき見てショッ
クを受けた特集のページだった。
「は……早秀……」
「？」
「あ……アンタも……、見てたの？ それ……」
「？？」
早秀は明日香の妙な反応に、空中に次々と疑問符を飛ばす。
「やっぱり……、アンタ……、そう思ってたんだ……」
「お、おい……、何の話だ……いったい……」
ようやく言葉が出た早秀。
「バカァ、アンタなんか知らない！」
そう叫ぶと、明日香は早秀の頬を平手で一閃し、そのまま外へ走り去った。
頬を押さえながらその場に座り込む早秀。
その時、ちょうど教室へ入ろうとした公は、駆け出してきた明日香とぶつかって弾き飛ばされた。
扉に頭を打ちつけたのか、頭を押えて入ってくる公。
「イテテテテ……。早秀、また星野さんとケンカしたのか？
……あの様子からすると、ずいぶん派手にやり合ったみたいだなぁ。今度は何
が原因だ？」
早秀は公に、
「知るかよ。そいつは俺が聞きてぇくらいだよ。
俺が野島とこいつのことについて話してたら、いきなりこれ見て、訳の分からないことをわめいたと思ったらこれだ……」
と、件の「メモリアルスポット」の特集記事を示しながらつぶやいた。
公はそれを覗き込むと、
「ふむふむ……、確かにこれじゃぁ、星野さんが怒るのも無理はねぇなぁ。
早秀、おまえ自身はどう思う、この記事？」
と聞き返す。
早秀はもう一度記事を読み返し、
「……おまえの言うとおりだ。まったく女の子をバカにしてやがる。
この記事書いたライターの奴、どういう神経してやがるんだろうなぁ。
ちょうどいまも、野島とその話してたんだがな」
と言う。
「まったくだ。脳味噌のどこをどう使ったら、こういう文が書けるんだって思う。
……でも、おまえがそう思ってるんなら正常だな」
そういった公に早秀、
「公、昼休み暇か？」
とたずねる。
「ああ」
「ちょっと表の郵便局までつきあってくれ。ハガキ買いたいから」
そして放課後。
明日香は陰鬱な気持ちのまま校門を出た。
いつもは早秀と一緒に帰っている明日香だが、今日だけはそんな気になれない。
実際、今日は朝の一件以来、明日香にとっては最悪の一日だった。
授業では当てられたのに答えられず、廊下に立たされたり、昼休みには廊下で誰
かにぶつかられたりと散々だった。
そんなこんながあって、うつむき加減に歩いていると、校門前にある郵便局前の
ポストに早秀と公が立っているのが見えた。早秀はハガキを手に持ち、いまにも投
函しようとしているところだ。
それを見た明日香、
「早秀、なにやってんの!?」
と呼びとめる。
「その手紙……」
早秀は明日香のその言葉を、初めて聞く異国語のような顔で聞いていた。
「バカバカバカ、もうアンタなんか、だいっ嫌い！」
明日香は固まっている早秀にそう叫ぶと、もう一度ビンタをはって走り去る。
「……………………？」
早秀は頬を押えながら、その場に立ち尽くしていた。
・・・
夜、星野家の２階。
「明日香、明日香。晩ご飯ですよ」
久美は明日香の部屋をノックした。
しかし、返答はない。
久美はドアを開けて中を覗き込む。
見ると、明日香は制服姿のまま壁に背中をつけ、両膝を抱えてベッドの上に座り
込んでいた。
「どうしたのよ、明日香。ご飯ですよ」
「……いらない。いま、食べたくない」
ぽつりとそういった娘。
久美はそんな娘の顔を覗き込むと、
「ねぇ明日香。今日学校で、何かあったの？
それとも、早秀くんにひどいことでもいわれたの？」
ささやくようにそう語りかけた。
天使が通りすぎて、明日香は口を開く。
「ママ。あたし、悩んでいることがあるの……。
最近、早秀は本当にアタシのこと、好きなのかどうか分からなくなって……」
「……やっぱり早秀くんのことだったのね？
で、あの子がどうかしたの？」
明日香はうなずくと、さらに話を続ける。
「早秀ったら、このところアタシがデートに誘っても『俺様は忙しいのだ』とか言っ
ていつも逃げちゃうし……。
そうかといえば、学校になんか雑誌を持ってきたら……その……胸の大きい子の
グラビアとか、そういうのばっかり見てるし……。
こないだ、公くんや早秀と一緒に、あいつの家で宿題やったときも……、部屋の
壁に『鏡 魅羅』のポスター貼ってあったし……」
「鏡 魅羅」というのは、目下、ドラマで売り出し中の人気若手女優の名前である。
スリーサイズが93・61・89というスタイルのよさが、世間の男性の注目を集めて
いるらしい。
「……あぁ、その子のことならママも知ってるわ」
久美も、ＴＶのワイドショーでよく名前の出るその娘のことは知っていた。
「それでね、今朝見てた『メモリアルスポット』でこんなこと書いてあって……、
学校行って、あいつもこれ読んでるの見たら……、どうしようもなく腹が立って
……」
明日香は、今朝見ていた「メモリアルスポット」を母親にも見せる。
「はっきり言って、アタシ……胸、ないし……、どう見ても子供っぽいし……。
男の子にとってみたら、魅力、ないのかもしれない……。
そう思うと、なんだか……自信なくなっちゃって……」
うっすらと涙を浮かべながら訴える明日香。
久美は話の腰を折ることなく、黙ってそれを聞いていた。
５分くらいして、久美は突然立ち上がり、窓のところへ行く。
周囲を少し見回して、窓のカーテンを閉める。
明日香が突然の行動に驚いていると、久美は扉に鍵をかけ、いきなり着ていたも
のを脱ぎ出す。
「マ、ママ……!?」
明日香は戸惑う。母親の行動が理解できなかったからだ。
「ほら、明日香も脱いで……」
母親が促す。
「え!? アタシも」
「早くする」
久美にそう言われたので、明日香も服を脱ぎはじめる。
スカートから始まり、制服――家に帰ってからずっと着たままだった――の上着、
スリップ、ブラジャーの順で脱いでいく。
着ているものが最後の一枚になったとき、さすがに明日香の手が止まる。
「ママ……これも？ 恥ずかしいよぉ……」
母親はうなずき、
「恥ずかしがらないでいいの。女同士なんだから……」
明日香の顔に近づいて、ささやくように言う。
明日香は最後の一枚を足の間から抜く。
それを見て、母親は明日香を等身大の姿見の前に連れて行く。
こうやって、改めて自分の「ヌード」を客観的に見てみると、自分の体型の幼さがますます認識
される。明日香は複雑な顔つきになる。
「さぁ、明日香。まっすぐ正面を見て……」
後ろから久美が声をかける。その声に前を向くと、いつの間にか、久美が自分の
後ろに立っていた。
姿見に映った母親も裸になっている。その肢体は、とても40歳前――世間一般では「中年」と呼ばれる世代のそれとは思えない艶と張りに満ちていた(ちなみに、久美が結婚したのは18歳のときで、明日香を産んだときは21歳だった)。
久美は娘の体を鏡越しに眺め、体の各部分に手を触れながら、
「……こうしてみると、結構女の子してるじゃない？ 明日香の体。
『幼児体型』だなんてとんでもない」
とつぶやくように言う。
続けて、
「ねぇ、ごらん、明日香。
この胸のふくらみも、このウエストも……そして、このかわいいヒップも……、
すべて、いつの日かめぐりあう、この世でたった一人の愛するひとを……、
そのひとのありったけの愛を受け入れられるように……、
神さまがすべての女の子に平等に授けられたものなのよ……。
そのひとの愛を受け入れて、また新しい愛を、この世に産み出すために……」
と、娘の心に届くように諭す。
「ママ……」
明日香は母親のその言葉を、自分の心に言い聞かせるように聞いていた。
（この体が……、いつの日か……早秀のことを受け入れるために……造られたって
ことなの？）
明日香は母親の言葉を聞きながら、いつかやってくる「その日」――愛する早秀と
結ばれて、その体に彼のすべてを受け入れるとき――へと想いを巡らせていた。
それがいつ、どういう形でやってくるかまではさすがに想像の範疇外だったようだが。
「ねぇ明日香。女の子に何が一番大切かっていえば、やっぱり『心』だって思うの。
スタイルとかそういうのは、言ってみれば雑誌の『付録』みたいなもの……。
こう言ってるママだってね、あなたくらいの頃は結構悩んだのよ。
やれ胸が小さいとか、やれ幼児体型だとかね……。
でも、パパはそんな私のこと、まるごと全部ひっくるめて愛してくれたわ……。
私はそんなあのひとのやさしさにひかれたから、高校辞めて、あのひとと結婚したの……。
私があの人と結婚する、っていったら、父さんと母さん、ものすごく怒ったんだけどね」
「………………パパがママのすべてを愛してくれたから、ママと結ばれて、そして
アタシが産まれたってことなのね。
早秀も、そうなのかなぁ……。
こんなアタシでも、アイツは愛してくれるのかなぁ……」
ポツリとつぶやいた明日香に、
「大丈夫よ。
明日香が、いまの自分をそのままぶつけていったら、きっとあの子も分かってく
れるわよ。
こう見えても、私は人を見る目はある方だと思ってるから。
だから、明日香もいまの自分に自信を持って……」
久美は娘の肩を軽く叩いて、諭すように言った。