第２話「あーちゃんランチ」
「それじゃ、ママは台所にいるから、服を着て下りていらっしゃい」
もう一度服を着た久美が部屋から消える。
部屋に残った明日香は、床に落ちた服を拾い集めはじめる。
その時、ふと姿見に自分が映っているのが見えた。
さっきの母親の言葉を思い出した明日香、裸のままもう一度その前に立ち、改め
て自分の「ヌード」を眺めてみる。
母親の言葉が効いたのか、自分の「幼児体型」が少しだけ愛しく思える。
（そういえば、杉原先輩もママと同じようなこといってたなぁ……）
明日香は自分のヌードを見ながら、小さくつぶやいた。
・・・
３週間ほど前、明日香はえみるや夏穂、千恵と一緒に杉原家に泊まっていた。
去年の銀虎会との一件以後、意気投合したこの５人はこうして時々、女の子だけでの「お泊まり会」をやっているのだ――なぜか会場には杉原家が選ばれることが多いようだが。
その晩、５人で一緒にお風呂に入ったとき……。
明日香が――星野家のそれよりは確実に大きいであろう――湯船に浸かっていると、その隣へ真奈美が入ってきた。
湯船に入ろうとした真奈美の、その華奢な肢体を見た明日香、
「いいなぁ〜、杉原先輩。
これだけほっそりしてると、なんだかアタシがブタさんに見えちゃう。
なんか、ちょっと力入れたら壊れそうで、守ってあげたくなるっていうか……。
アタシ、ちょっとだけ公くんの気持ち、分かるような気がするの……」
「そ、そんな……、
からかわないでください、星野さん……」
まだ湯に浸かってもいないのに、耳まで真っ赤になる真奈美。
その会話につられて夏穂もやってきた。
「ホントだ……。杉原先輩ってきれい……。
見とれちゃいそう……」
湯気に曇る真奈美の「ヌード」を見ながら、半分別の世界へ魂が飛んでいる夏穂。
「いつか、この体が公くんのものになるのよねぇ……。
こんな人に好かれる公くんがうらやましい……」
「えっ、そんな……。
森井さんの方こそ、見るからにすごく健康的で……。
私は、そんな森井さんがうらやましいです……」
「あ、ありがとうございます。先輩……
お世辞でも、うれしいです……」
今度は夏穂が真っ赤になる番だ。
「あたしって、元気なだけがとりえみたいなもんですから」
「星野さん、森井さん……」
「？」
「私、思うんですけど……。
人間にとって、外見とかそういうのって、本来二の次だと思うんです。
やっぱり人間、一番大切なのは"ハート"だって……」
とりあえず部屋着に着替えて、明日香は１階に下りる。
遅くなってしまった夕食の後、もう一度部屋に戻った明日香。
ベッドの上に寝転がると、前に見た雑誌に載っていた占いのコメントが頭に浮か
んでくる。
（……カレの魅力を再確認することが必要よ！
あなたから、カレを家に招待して、得意料理でもてなしてあげて……）
「得意な料理、かぁ……。
そういえばアタシ、あんまり料理ってやったことないしなぁ……。
だいぶ前に、早秀に『弁当作ってくれ』って頼まれたことはあったけど……
あの時は思わず往復ビンタしちゃったし……」
そうつぶやいて、しばし目を閉じていた明日香だが、やがて
「そうだ！ あのひとに……」
と、独り言にしては大きな声で言うと、机の側にあるコードレス電話の子機をと
って、ある番号を押し始める。
プーッ、プーッ、プーッ……。
どうやら相手は話中らしい。
ふと時計を見ると、21時45分。
「……そっか、この時間あの人は、公くんと……。
まぁ、アタシは馬に蹴られて死にたくないからいいけどね……」
それから30分くらいして、明日香はもう一度同じ番号にかけてみる。
trrr... trrr... ガチャ。
「はい、杉原です……」
今度はすぐに反応があった。か細く、消え入りそうな声だ。
「もしもし、星野ですけど……」
「まぁ、星野さん。
こんな遅くに、どうなされたのですか？」
電話の向こうの声の主が、自分の尊敬し、一生の目標としている女性――真奈美
であることを確認した明日香は、話そうと思っていた本題を切り出す。
「あの……杉原先輩。
ご相談したいことがあるんですけど……」
「えっ、私に、相談って？」
「先輩、高校の時、公くんにお弁当作ってましたよね？
私も、公くんや早秀と一緒にお相伴にあずかったことがあるんですけれど、
あれ、すごくおいしかったです」
「そ、そうですか……？
たいしたこと、してませんけど……」
「それで、アタシにもお料理教えて欲しくって……」
「わ、私にですか……」
「お願いします。
いまは杉原先輩しか、頼れるひといないんです」
真奈美の特技は、「相手の心を読む」ことである。
真奈美は電話の向こうから伝わってくる、明日香の気持ちを汲み取って、
「……分かりました。
明日、私の方は大学がお休みですから、一日あいてますけど……」
と返答した。
「はい。アタシも、それでいいです」
・・・
次の日。杉原家の玄関先。
「おはようございます、杉原先輩。
ゆうべはどうもすみませんでした、急にお願いしてしまって」
「いえ、いいんです。
星野さんの話を聞いていたら、ずいぶん困ってらしたようですから……」
「え!? そんなこと分かるんですか？」
明日香は目を丸くした。
「はい……。
もしお差し支えなければ、聞かせていただきたいのですが」
明日香は一瞬迷ったが、"この人なら大丈夫だろう"と思い、いままでのいきさつ
を話して聞かせた。
「そうでしたか……。占いで、そんなことを……」
「それで、最近の早秀の行動が信じられなくなって……、
占いどおり、お料理であいつをもてなしてあげれば、もしかしたらあいつのこと
を取り戻せるかなぁって思ったから……」
明日香の話を聞きながら、真奈美は彼女の受けた痛みを心に思い描いていた。
「……ところで、星野さん」
「はい？」
「丹羽さんの好きなお料理って、知っていますか？」
「そうですねぇ……」
明日香はあごに人差し指をやって15秒ほど考えていたが、やがて
「そういえば、アイツ、ハンバーグとかカレーライスとか、子供が食べるようなの
が好きだっていってました。
まるで子供みたいでしょ……」
くすくす笑いながら答える。
つられて真奈美も、ころころと笑い出す。
「な、何がおかしいんですか、先輩？」
「だって……、公さんもそういうのが好きだっておっしゃってましたから……」
「公くんも、そうなんだ……。
ほんと、男っていくつになっても子供みたいですよねぇ、先輩」
「うふふっ……、そう言われてみるとあの人も……。
大人っぽい物言いをしていたかと思えば、時々甘えて来たり、拗ねた顔して見せたり……、
ほんと、純真無垢な子供みたいですねぇ」
30秒ほどそうやって笑っていた二人であるが、明日香の方は脳内の独立した部分で
（そういえば、前に弁当つくってくれって頼んできたときもこんな感じだったっけ、アイツ？
どっか甘えてるというか、そんな感じ……）
こんなことを思い出していた。
「……それじゃ、始めましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
真奈美に頭を下げる明日香。
台所。
「先輩、玉ねぎ切るの、これくらいでいいですか？」
「えっと……、もうすこし細かく切っていただけます？」
「で、でも……、涙出ちゃって……うまく切れないの」
「ちょっと、貸してみてください」
そういうと、真奈美は明日香と位置を替わり、新しい玉ねぎを刻みはじめる。
まな板の上に乗っていた玉ねぎはたちまちみじん切りになる。
「うわぁ〜っ、先輩って手際いい……」
つい最近まで、公にお弁当を作ってあげていたのだから当然なのではあるが――
真奈美の慣れた包丁さばきに、目を円くする明日香だった。
「これをこうやって……こうして……こうして……」
「あっ、星野さん」
「？」
「そんなにこねたら、お肉、カチカチになっちゃいますよ。
もっとやさしく、やさしく……、愛情こめて……こねてみてください……。
あの人――丹羽さんのことを、
あのひとが、あなたのお料理をおいしそうに食べているところを思い出して……」
「はい……」
しばし肉をこねながら、明日香がつぶやくように言い出した。
「なんだか、難しいですよね……」
ジュゥーッ、パチパチパチ……。
「先輩。焼き加減、このくらいでいいですか？」
「待ってください、もう少し…………、いまです！」
その声とともに、フライパンに載った肉をひっくり返す明日香。
……と、あれやこれやの試行錯誤を繰り返して、なんとかハンバーグらしきもの
が出来上がった。
ダイニングに場所を移した明日香と真奈美は、自分たちの「作品」をひと切れ、口
に運んでみる。
パクッ、モグモグ……
ゴックン。
「ど、どうですか、先輩？」
心配そうに真奈美を見守る明日香。
「……おいしい……。
初めてにしては、なかなかいい線いってますよ。星野さん」
「ほ、本当ですか？ よかった……。
きっと、先輩の教え方が上手だったからでしょうか」
ほっとする明日香。
「そんなこと……。
でも、星野さん」
「？」
いきなり問い掛けられ、空中に疑問符を浮かせる明日香に、真奈美は
「……私も、洋子さんから教わったのですが、お料理っていうのは、何も良い食材
や高度なテクニックがすべてじゃないんです。
要は、どれだけ食べる人の気持ちになってあげられるか、どうすれば、相手の方
に心から『おいしい』って言ってもらえるか……。
そのことだけは、くれぐれも忘れないでくださいね」
と、母親が娘に話しかけるように優しく諭しかけた。
「はい……」
神妙な顔つきで返答する明日香だった。
・・・
その夜。自分の部屋。
ベッドの上に寝転がった明日香の指は、いまや脳内に鮮明に焼きつけられている電話番号を押していた。
trrr... trrr... ガチャ。
「はい、丹羽です」
「もしもし、星野ですけれど」
「あぁ、明日香姉さん……」
声の主はどうやら、お目当ての男――早秀の弟の武秀だろう。
明日香にこんな言い方をするということは、おそらく早秀が何か妙なこと――「未来の姉貴だ」とか何とか――を吹き込んでいるに違いない。
「兄ですね？ ちょっと待ってくださいね。
……兄ちゃ〜ん。明日香姉ちゃんから電話〜！」
しばらく間があって
「はい、お電話代わりました」
聞き慣れた早秀の声がする。
「もしもし、アタシ……」
「あっ、明日香。
おまえ、どうしたんだよ。この前からおかしいぞ？」
「……そのことで、話があるの。
明日の昼、空いてる？」
しばしの間があって
「……あぁ、暇だけど」
「だったら、あたしの家に来てくれる？
その方が、話がしやすいから……」
「俺は別に構わんが」
「それなら、12時にアタシの家の裏に来てくれる？」
明日――日曜日は店が開いているので、裏口からの出入りになる。
その日曜日。
エプロン姿の明日香は、台所に並べられた食材――昨日の夕方に、真奈美と
一緒に買いに行ったもの――を前にして考え込んでいた。
（ママや杉原先輩が言っていた通り、いまのアタシ自身を、そのままぶつければ、
きっと早秀も分かってくれるはず……）
そう考えた明日香は顔をあげ、
「じゃ、始めよっ」
と、独り言にしては少しばかり大きな声でつぶやくと、テーブルの上に置かれた
メモ――昨日の帰り際、真奈美から渡されたハンバーグの作り方のメモ――を手に
とった。
12時。
ピンポーン。
裏口で呼び鈴が鳴る。
「ハァーイ」
明日香はエプロン姿のまま、裏口へ出る。
「お〜い、明日香。来たぞぉ〜」
そこまで言って、早秀は恋人――明日香の意外な姿に目を見張る。
彼の目に映った明日香は、普段見慣れぬエプロン姿。
「おわっ!?
……おまえ、今日はいったいどうしたんだよ？」
「あのね……、今日、早秀とお昼ご飯一緒に食べようと思って、さっきまでお料理
作ってたの」
「……また珍しいことを始めたもんだなぁ。
何を作ってたんだ？」
当然の質問を返してきた早秀に、
「それは……できてからのお楽しみ」
といたずらっぽく笑って見せる明日香だった。
「おっ、ハンバーグとはまた……。
俺の大好物なんだ、これ」
ダイニングキッチンに通された早秀は、テーブルの上に置かれた自分の好物――
ハンバーグに目を見張る。
「早秀、これ好きなんでしょ？
だからアタシ、朝から一生懸命作ってたの。
あなたの喜ぶ顔が見たくって……」
「そっか。それじゃ、遠慮なくいただくとしよう」
言うや否やテーブルの前に座り込み、明日香の「作品」をひときれ口に運ぶ早秀。
パクッ、モグモグ……
ゴックン。
「……ど、どぉ？」
「……おぉ、なかなかいけるじゃねぇか。
おまえ、こういう才能もあったのか？ いやぁ〜、新発見だなぁ」
喜色満面といった早秀の表情を見て、明日香は
（杉原先輩。ありがとうございました……）
と、――おそらく今頃、公とデートしているはずの――真奈美に、心で謝意を伝えていた。
「ところで、こいつに夢中になってすっかり忘れるところだったけど、おまえの用事って？」
早秀が尋ねてきた。そもそも彼はそのために呼び出されたのであるのだから。
「あのね、早秀」
「？」
「最近、ぜんぜん会ってくれなかったけど、何かあったの？」
早秀は一瞬あっけに取られたが、やがて
「あぁ、ちょっとこのところ、野球部に出入りしてたんだ。助っ人を頼まれちまって。
公も一緒なんだ」
「……そうだったんだ」
「すまん。言う時間がなくって」
「ううん。いいの。
悪いのはアタシの方なの。勝手に誤解しちゃって……」
しばし時間が流れて、
「じゃぁ、いつか手紙出してたのは？」
と、明日香は新しい話題に切り替える。
「あぁ、あれか。
おまえもこないだの『メモリアルスポット』見てただろ？」
「うん」
「あの特集に頭きたから、公と俺とで編集部に抗議のハガキを書いてたんだ」
その明快な答えに、明日香はここ数日の間持っていた早秀に対する疑惑が、単な
る誤解に過ぎないことを悟った。
「……何があったのかは知らんが、いつだって明日香だけだぜ。俺には。
なにせ、おまえにはいつぞや、命の半分を分けてもらったんだからな」
早秀にそういわれて、明日香は思わず彼に飛びついた。
（……もう迷ったりなんかしない。
やっぱりアタシには、早秀だけ……）