第３話「お見合いなんかブッ飛ばせ！(前編)」
三磯学園の保健室は、北校舎の１階にある。
その保健室。南側の中庭に面した窓際で、いま、一人の女性が憂いをたたえた顔
つきで庭を眺めていた。
その女性はこの部屋の主――学園の養護教諭を拝命している綾崎若菜である。
「はぁ……、夏はすぐそこまで迫っているというのに……、
わたくしは、どうしてこうも物悲しくなるのでしょうか……？」
ため息をつきながらつぶやく若菜。
それには、一つの理由があった。
・・・
話は１週間ほど前の夜にさかのぼる。
１日の仕事を終えた若菜が、住んでいる郊外のレディース・マンションに帰ってくると、
留守番電話のランプが点滅していた。
メッセージを再生してみる。
「若菜、わしじゃ。
何度電話しても留守のようじゃったが、学校はそんなに忙しいのかの、ん？
……あぁ、今日電話したのは他でもない。
近々、わしは久しぶりにそっちへ出向くことになった。おまえにいい話を持ってきたんでな。
詳しくは追って手紙する」
声の主は、京都の実家に住む祖父だった。
それから数日後、学校宛てにやたらと分厚い封筒が届いた。
封を切ってみると、白皙明眸という形容詞がぴったりな青年の写真とその男についての
「身上書き」、そして、それらについて祖父からの説明が入っていた。それによると……、
件の男は――祖父が学生時代より交友を持っているという――ある大学教授の次男で、名を「神崎明雄」という。数年前に一流大学の政治学部を卒業、いまは外務省に勤めているらしい。
そして、(祖父が勝手に)若菜のことを先方に紹介したところ、向こうも相当乗り気だったらしく、今度の日曜日に祖父と両親が「顔つなぎ」に京都からやってくるという。
いつしか若菜の視線は、机の隅っこに飾られた男の写真に向いていた。
祖父から送ってもらった写真とは対照的に「苦味走った」という表現がぴったり
の男である。
「芝田先生、いえ、茂男さま……。
わたくしは、わたくしは……、
いったい、この方々に何と答えればよろしいのでしょうか？」
若菜は無意識に、被写体となった男――彼女が勤務している三磯学園の生物科教
師・芝田茂男――の名前を口に出していた。
・・・
コツコツッ。
「綾崎先生、いらっしゃいますか？」
若菜の思考は、ドアのノックとそれに続く女生徒の声で途切れる。
「は、はい」
若菜がドアのほうへ振り返ると同時にドアが開き、ショートカットの小柄な女生
徒が入室してきた。
「……あら、星野さん。
今日は、どうなされましたか？」
若菜に名前を呼ばれ、明日香は
「ちょっと、ね……」
と、あらかじめ用意しておいたような台詞を吐いた。
いつものことなので若菜には見え見えだったが、それでもとりあえず熱を測る。
そのとき、明日香が突然声をあげる。
「およ？
先生、その机においてある封筒は何ですか？」
それは、若菜の実家から届いたくだんの封筒だった。
「な、何でもありません」
「いいから、見せてくださいよ」
「い……、いけません」
若菜がそういいかけたとき、明日香はすばやく机に手を伸ばし、封筒をつかんで
いた。
明日香は中身を覗き込む。
「……え？ これって『お見合い写真』ですか？
ひょっとして、綾崎先生……」
「…………」
若菜は小さくうなずくと、その封筒の中身のことを明日香に説明した。
「それで、先生はこの話……」
尋ねてくる明日香。
「お爺様の見立てによりますと、その方は家柄も学歴も、大変にご立派な方のよう
ですけど……」
若菜の返答、最後はフェードアウトする。
明日香はそれを見逃さず、
「もしかしなくても、先生には他に好きな人がいるとか？」
「……………………」
耳たぶまで真っ赤になりながらうなずく若菜。
その視線が机の上のある一点に行っていたのを、明日香は見逃さない。
「ひょっとして、あの写真に写ってるシゲさんにそっくりなひと？」
スイートスポットを直撃され、若菜は固まってしまった。
・・・
放課後。
明日香はショッピング街のハンバーガー屋「マキシマム・バーガー」にいた。
早秀に公、えみるや榎本、そして、陸上部の練習を終えてこちらにきた夏穂に加えて、
先日学園を卒業して短大生になっていた真奈美もいる。
いつ頃から、どういう経緯で始まったのかは分からないが、彼らは毎週一度、この店に集まっては
ああだこうだとおしゃべりをするのが習慣になっていた。それはいつしか「マック
集会」と呼ばれるようになっていた。
「そういえば明日香、
おまえ、昼からどこ行ってたんだ？ また保健室かよ」
明日香の対面に座っている早秀が聞いてきた。
明日香がうなずくと、
「おまえ、実際、単位大丈夫かよ？」
と更にたずねる早秀。
「う〜ん……、ちょぴっと自信は……」
明日香は一瞬、難しそうな顔をしたが、次の瞬間、
「そうそう、保健室といえば綾崎先生……」
話題を切り替えてきた。
「綾崎先生がどうかしたのか？」
早秀と榎本、公の３人がいっせいに身を乗り出してきた。遅れて真奈美も。
「今日行ったら、すごく落ち込んでたみたいなの」
「何かあったのか？」
「なんでも、お見合いの話が来てるみたいなの。
で、今度の日曜日、その件で京都の実家から、先生のご両親とお爺さんが来る
みたいなの。
あのひと、シゲさんのことが好きみたいだし……」
「…………」
一同は明日香の説明に息を呑む。
「これ、シゲさんに言ったらまずいかも。すっごく落ち込んだりして……」
公がぼそっと言い出した。
結局、
「明日もう一度ここへ集まるときに、シゲさんも連れてこよう」
と言ってその日は解散した。
・・・
次の日。
明日香は廊下で若菜に呼びとめられた。
若菜は明日かを物陰に引っ張り込むと、彼女の耳もとに口を寄せてささやく。
「え〜っ、お見合いつぶしてくれって!?」
「しーっ、静かに」
若菜は口に人差し指を当てる。
「はい……。
あの後、いろいろと考えてみたのです……。
本当は、わたくしの口から直接お断りするのが一番よろしいのでしょうが……、
それではお爺様の顔をつぶすことになって悪いですし……。
そうかと申しまして、せっかくそういう形で席を設けてくださっているのに、わたくし自身が変なことするのも恥ずかしくって……」
「それで、アタシたちでむこうが断ってくるように仕向けてほしいって？」
若菜はうなずく。
明日香は30秒ほど考えていたが、
「ＯＫ。綾崎先生の頼みとあったら、乗らない手はないでしょ？」
といった。
「ほ、本当ですか？」
「うんっ！
……で、うまく行ったら、アタシたちに何かおごってくれます？」
ちゃっかりそういう明日香に、
「まぁ、星野さんったら抜け目ありませんこと……」
と苦笑混じりでこたえる若菜だった。
そして放課後。
「シゲさん、こっちこっち」
芝田が「マキシマム」の３階へ入ると、奥から公が声をかけてきた。
「兄ちゃんが呼ぶから来てやったけど、何の用事だ？」
芝田は席に着くと、懐からたばこを取り出そうとしたが
「先生、ここは禁煙ですよ」
真奈美に止められる。
「あぁ、すまん……」
慌ててたばこを戻すと公に向き直り、
「ところで、用事ってなんだ？」
と尋ねる。
「実はね、シゲさん……。
綾崎先生、結婚するかもしれないんですよ」
そういうと、芝田は信号機のように顔色を変え、
「なんだって！ どうしてそれを早く言わない！」
公の襟首をつかんで迫る。
「く、苦しい……。
俺たちだって、星野さんからこの話を聞いたのが昨日なんですよ」
公の返事に、芝田は手を緩める。
「すまん、どうも興奮しすぎたらしい……」
芝田から「解放」された公は椅子に座り込み、ゲホゲホとせき込む。その背中を、
真奈美がさすっている。
「で、いったい相手はどこの馬の骨なんだ？」
芝田は両腕を組み、憮然とした表情で椅子に座り込みながら質問を投げかける。
その質問に答えたのは明日香だった。
「え〜とねぇ……。
お相手の名前は『神崎明雄』、29歳。
一流大学の政治学部を出て、いまは霞ヶ関の外務省に勤めてるんだって。
それで、彼のお父さんが綾崎先生のお爺さんと古くからのお友達らしくて……」
「その見合いってのはいつ、どこでやるんだ？ それは聞いたのか？」
「今度の日曜、12時半に三磯グランドホテルのレストラン予約してるって」
「またえらく急に決まったもんだなぁ……」
天井方向に視線を泳がせる芝田。
「……で、どうするんですか？」
榎本が聞いてきた。
芝田は榎本を軽くにらんでから、
「……おまえら、俺にここまで話聞かせといてそれは愚問だろ？
そんなお見合い、俺がぶっつぶしてやる」
と言った。
「よぉし、それなら話は早い。さっそく作戦会議だ」
「賛成！ 今日、綾崎先生も『この話、つぶしてほしい』って言ってたし」
早秀と明日香がそういうと、みんなは一様にうなずく。
だが、集団の真ん中にいたえみるだけが、ひとり複雑な表情をしていたことに
は誰も気付いていなかった。
無理もない。
芝田のことを「運命の人」と思い込み、「ダーリン」とさえ呼んでいるえみるにとって、若菜はいわば「恋敵」なのである。
その立場からいえば、この話がまとまって若菜が別の男と結婚してしまえば「不戦勝」になり、芝田を自分のものにできるチャンスなのだ。だが、友達のいる手前、そんな自分勝手な主張はできない。
えみるに選べるオプションは「沈黙」以外にはなかった。
ともあれ、作戦はこのように決まった。
まず公たちがあれやこれやの手を使って引っ掻きまわし、十分混乱したところで、真奈美が「元・恋人」に扮して現れる。そして、最後に登場した「真打ち」の芝田がとどめをさす。
作戦のアウトラインが決まると、それぞれ「私は何の役」、「何を着ていこう」
という細かい打ちあわせに入る。
・・・
土曜日。
この日の「臨時マック集会」は、明日決行される「若菜のお見合い阻止作戦」
の最終打ちあわせだった。
まず、芝田が借りてくることになっているワゴン車に全員が乗り込み、ホテルの前に乗りつける。
ここを「本部」とし、以後は二手に別れて行動する。
ホテルへ潜入するメンバーには明日香と夏穂、公、早秀、榎本の５人が指名された。
夏穂はウェイトレスに扮し、明日香と榎本はカップルに扮して若菜たちの近くに席を取る。
公と早秀は、早秀が演劇部から借りてきた衣装でホームレスに扮し、ホテルの
日本庭園で酒盛りをすることにした。
明日香のチェックによると、ここの日本庭園はお見合いのときの定番散策コースになっているらしいのだ。
一方、真奈美と芝田は最初本部で待機し、潜入隊からの連絡で若菜たちに近づ
いて絡むようにする。えみるは本部に残り、携帯で各チーム間の連絡を仲介することになった。
役割分担が決まると、明日香は携帯で若菜の部屋へ連絡を入れる。
「……はい、綾崎でございます」
「あっ、先生。星野ですけど。
えっと、明日のことなんですけど、万事アタシたちに任せていただけませんか？ 悪いようにはしませんから」
若菜は
「そうですか……。
でも、無茶はいけませんよ。皆さんの進路に響いては困りますし……」
と釘をさしておく。
「分かってますよ、先生。
アタシたち、うまいことやりますから」
明日香はそういって電話を切った。