第４話「お見合いなんかブッ飛ばせ！(後編)」
そして日曜日。三磯グランドホテル。
若菜は内心に沸きあがってくる何かを、自制心を駆使して必死に抑えながら、ロビーへ入っていった。
「お爺様、おはようございます」
「おぉ、待っておったぞ、若菜。
ささ、わしらの部屋で着替えをせんか……」
表に止まっていたワゴン車から、それを見守っている人影があった。
芝田以下、三磯学園の連中である。
「綾崎先生、入ったみたいよ」
芝田はそうささやいた明日香にうなずき、
「よし。夕べの打ち合わせどおりに行くぞ」
と号令をかけた。
その号令に従い、明日香たちは車から飛び降りてレストランの裏手へ走る。
10時45分。
表の車寄せに止まったハイヤーから、老夫婦と長身の青年が降りてきた。青年は
ロビーの前にかかった
「神崎
綾崎 様御席」
という看板を一瞥すると、ロビーへと向かう。
ロビーではひとりの老紳士と初老の夫婦――若菜の祖父と両親、そして、和服に
着替えた若菜が待っていた。
青年はそれを確認すると、立ち止まって深々と礼をする。
ロビーの隅っこでそれを確認した夏穂は、懐からプリペイド携帯を取り出してしゃべり出す。
「目標を確認。これから第二段階に入る」
電話を切ると、夏穂は足元に置いた紙袋――芝田が調達してきたウェイトレスの
制服が入っている――を取り、裏手の従業員用通路を通ってトイレに入る。
そして、中ですばやく制服に着替えると、何食わぬ顔をしてレストランへ。
一方、明日香は榎本とともにカップルを装って入店。「予約席」という札の立っ
ているテーブルの隣に座る。
両家は窓際の、庭がよく見えるテーブルを取っていた。
型通りの紹介の後、ウェイトレスが食前酒を注ぎにきた。
そのウェイトレス――夏穂は若菜の耳もとに近づき、
「先生、ご心配なく。すべて予定通りですよ」
とささやいた。
「ん？ どうしたのじゃ？」
綾崎老は隣に座る孫娘を軽くにらむ。
「いいえ、なんでもございません」
フルコースが始まり、ウェイトレスが新しいグラスにワインを注ぎに来る。
「先生、先生」
そのウェイトレス――夏穂は若菜の前にグラスを置きながら、身をかがめてささ
やきかける。
「？」
「いま先生の前に置いた分だけ、飲んでください」
実は若菜の分以外のグラスには、少量の下剤が仕込んであった。もちろん、それ
を仕込んだのは夏穂である。
果たせるかな、それから数分後。
「あの……ちょっと……」
一人がもじもじしながら立ち上がり、立っていたボーイに
「あの……、お手洗いは……」
とたずねる。
「ここを出られて、左の突き当たりにございます」
それから15分のうちに、若菜以外の全員が次々とトイレに立っていった。
若菜以外の全員がトイレに消えると、テーブルのそばに夏穂がやってきた。夏穂
は若菜に向かってウィンクをしてみせる。
騒動も収まり、コースが再開される。
どうやらお互いの親が、それぞれの当事者――若菜と明雄に、いろいろな質問を
しているようだ。
そのとき、背後の席にいた男女――明日香と榎本が口論を始めた。
「だから、それは違うっていってるだろ！」
「なに言ってるのよ、これでいいの！ 博くんの分からずや！」
「なんだって！ おまえなんかこうしてやる！」
そういうと、その男は立ち上がって連れの女にコーラをかけようとする――が、
目測を誤ってその背後の男――明雄の後頭部に直撃する。
「だ、大丈夫ですか？」
心配になった若菜は立ち上がると、ポーチからハンカチを取り出して明雄の顔を
ぬぐう。
「すいません……」
背後にいた明日香と榎本も立ち上がり、若菜と一緒にコーラに濡れた明雄の顔を
拭き出した。
「どうも、すみませんでしたぁ！」
わざとらしく大声をあげながら、若菜にウィンクしてみせる榎本。
しばらくして食事が終わると、両家の親たちが
「さぁさ、わしら年寄りはロビーにでも引っ込んで、後は若い者同士……」
と声をかけたので、若菜は明雄と一緒に庭を散歩することにする。
ふたりがロビーから出るのを確認した夏穂――既に普通の服に着替えていた――は再び携帯を手にすると、車にいるはずのえみるに連絡を入れる。
車の中。
「ダーリン、出番だよっ」
電話を受けたえみるは芝田に呼びかける。
衣装を着込んで準備を整えていた芝田はうなずくと、
「さぁ、行こうか」
と、真奈美に声をかける。
その真奈美は服の中に一生懸命風船を仕込んでいる。
日本庭園を散策している明雄と若菜。
「……ところで、若菜さん」
「はい、なんでございましょう？」
「若菜さんは、結婚したらどんな家庭を築きたいと思います？」
「……そうですねぇ、
まだ、これというイメージは沸きませんけど……」
と、その時、二人は前方の茂みに妙な気配がするのを感じていた。
見ると、いかにもという感じのアフロヘアーにぼろぼろの服を着た二人連れの男
が、庭にござを敷いて酒盛りをしていた。
「どや、そこのお二人さん。こっち来て一杯やらへん？」
「そうそう、むさい男ばっかりじゃおもんないし」
明雄が二人連れの剣幕に引いていると、ひとりが若菜にしがみつくような格好で
すりより、
「なぁ、姉ちゃん、そんな澄ました顔しとらんと、こっちきて酌でもせぇや、な？」
と肩に手を置く。
若菜は一瞬固まったが、すぐにそいつに肩をつつかれる。
見ると、そいつは若菜にウィンクしながら、
（綾崎先生、僕たちですよ。主人に丹羽です……）
とささやいている。
（主人くんに、丹羽くん？ じゃぁあのお酒は一体……）
（心配しないでください。中身はミネラルウォーターですよ。
それよりも、先生）
（？）
（このあと、杉原先輩とシゲさんが出てきますからね。二人の演技に注目してください）
二人の「アカデミー賞もの」の名演技に若菜が舌を巻いていると、どこからか警備
員らしき人影が走ってくる。
「こらぁ、そこ。何をしとるかぁ！」
その叫び声に、ホームレスに扮した公と早秀は一目散に逃走する。
「まったく礼儀知らずな連中ですねぇ、あいつら」
「そ、そうですね……」
「それじゃぁ、そろそろロビーに戻りましょうか？」
「え、ええ……」
明雄と若菜が歩き出そうとすると、物陰から線の細い、消え入りそうな雰囲気の
女性――真奈美が現れた。
「あっ……、明雄……さん……。
やっぱり……、ここでしたか……」
「き、きみは……？」
見知らぬ女性に名前を呼ばれ、一瞬固まる明雄。
「やっぱり……、覚えてなかったんですね……。私のこと。
去年の秋……、あの大使館のパーティーでお会いした……真千子です……」
「そ、そのきみが……、僕に何の用かね？」
「最近、あなた、全然会ってくれなくなったから……、つてを頼って探してみた
んですけど……、
まさか……、お見合いの話があったなんて……。
ひ、ひどすぎます……。
きょ、去年の……クリスマスイヴ……、あなたが……、言った言葉……、う、嘘
だったんですね……。
『真千子のことだけを、愛してる』って……。
うっ……、ひっく……、ぐすん……」
話しながら、本当に涙までこぼす真奈美。
真奈美の演説を聴いた若菜は、それが演技であることを知りつつ
「明雄さん、そんなことがあったんですか？」
と、軽くにらみながら問いかける。
「し、知らん。こ、これは何かの間違いだ。
若菜さん、信じてくれ！」
二人の美女から問い詰められ、うろたえる明雄。
その刹那、真奈美は
「うっ……！」
と低くうめくと下腹部を押さえ出した。
「ど、どうしたのかね!?」
そういった明雄に真奈美は
「お……お腹の……子供が……」
と、お腹を押さえて返事する。
「なんだって？ 子供っていったい、どういうこと？」
「こ……この……子の……父親は……、明雄……さん……なんですよ。
ちゃんと……責任……とってください」
実をいうと、真奈美の着ている服と肌の間に風船が仕込んであるだけなのだが、
真奈美の迫真の演技は、明雄の肝を冷やすにはぴったりだった。
「明雄さん、これはどういうことですか？
ちゃんと納得できるように説明してください」
再び明雄に迫る若菜。その声には怒気が含まれている。
「ほ、本当に何も知らん！ 何かの間違いだ！」
いっときに強度のストレスに見舞われたのか、泣きそうな顔で叫ぶ明雄。
・・・
（いまのはアカデミー賞ものの名演技だぞ、真奈美くん）
既に着ぐるみを着込んで物陰にいた芝田は、真奈美に内心で拍手しながら
「さぁて、俺もそろそろ行くか」
とつぶやいた。
その頃、明雄はホテルの方へ足を向けていた。
「明雄さん、どちらへ？」
若菜が尋ねると、
「ホテルへ戻って、警察を呼んでもらいましょう」
と、吐き捨てるように答えた。
そこへ物陰から声が。
「その必要はない」
「誰だ！」
見ると、遊園地のアトラクションで見かけるような――事前に演劇部経由で調達していた「宇宙交機シロバイン」の着ぐるみを着た芝田が、ふたりの進路を塞ぐように立っていた。
「とうとう見つけたぞ、星間犯罪者め！
自らの欲望のために、二人の乙女の心をもてあそぶきさまのような悪党には、
この『宇宙交機シロバイン』が正義の制裁を下してやる」
明雄は意味が分からず、きょとんとしている。
彼の目の前にいる「怪人」は、幼い頃より勉学に明け暮れていた超エリートの彼
には、無縁の存在だったからである。
「シロバインだか何だか知らないが、とにかくそこをどいてくれないか？ 私は
忙しいのだ」
明雄はそう返答する。
その返答を聴いたシロバイン――芝田は、
「おのれっ！ シッロバイィ〜ン、マッハパンチ！」
と叫びつつ、明雄の顔面に右ストレートを叩き込む。
準備のできていない明雄は無様なかっこうでその場に倒れる。
明雄が倒れたのを確認した芝田はシロバインのまま、
「さぁ、若菜さん、真奈美さん。私についてきたまえ」
という。
「し……芝田先生？」
そう尋ねた若菜に、うなずく芝田。
芝田は二人を連れて物陰に消えた。
・・・
１週間後。
明日香たちは芝田と若菜に連れられ、ショッピング街の外れにあるファミレス
「ぴあきゃろっと」で昼ご飯を食べていた。
今日のこの食事が若菜のおごりということで、みんな遠慮なしに食っている。
「綾崎先生、お見合いがナシになってよかったですね」
若菜の隣に座った明日香が言った。
「そうですね。あとでお爺様には、たっぷり絞られましたけど……」
苦笑しつつ返事する若菜。
「……それもよかったが、俺が一番びっくりしたのは、真奈美くんのあの演技
だなぁ。
横で見ていて、『アカデミー賞ものの名演技』だって思ったぜ」
若菜のさらに隣に座る芝田が、真奈美に話題を振る。
「そんな……、恥ずかしいです……
また同じことをやれっていわれても……」
真っ赤になってうつむく真奈美。
芝田は再び若菜に振り向くと、
「綾崎先生、メシ代のことなら心配しないでください。
俺も面倒見るから……」
とささやく。
「早秀、よかったね。
あの二人が元に戻って」
「あぁ」
仲のよさそうな芝田と若菜を見て、うなずきあう早秀と明日香だった。