第５話「星の降る夜に……(前編)」
日めくりカレンダーの残りが30枚を切り、街が冬じたくを始めつつあったある日の朝。
「ウィ〜ス、早秀」
早秀は公に声をかけられた。
しかし、当の早秀はたっての睡眠不足から消耗している。
「オス……。おまえ、朝からえらいハイテンションだなぁ」
呆れる早秀に公は
「これが喜ばずにいられるかってんだ。
今度のクリスマス……」
と話し出す。その後のセリフが想像できた早秀は
「真奈美先輩とのデートのアポが取れた……ってか？」
と、話の腰を折ってしまう。
「なんで分かる？」
「３年もつきあってりゃぁ、おまえの思考パターン、もうバレバレなんだよ。
おまえって、結構単純だからな」
「単純で悪かったな」
早秀は公の返事を受け流し、
「……あ〜あ、この時期、もう進路の決まってるやつはいいよなぁ……」
と、天を仰いでしまう。それには理由がある。
彼の話し相手である公は過日、かねてから志望していた航空自衛隊のパイロット養成コース「航空学生
課程」の採用試験に参加していたのだが、もう既にそのスケジュールは全て終わっており、あとは合否発表を待つのみとなっているからだ。
なんでも、一番最後にあった「操縦適性」試験では静岡の空自基地に数日間泊まり込み、しかも実際の飛行機に乗せてもらえたらしく、しばらくの間、彼もその話につきあわされていたのだ。
早秀は公の耳もとに口を寄せ、
「俺は別に気にせんが、この時期、言動には気をつけろよ。
俺も含めて、まだ進路が決まらずにカリカリしてる連中がゴロゴロいるんだからな」
と耳うちする。
「分かってるって」
・・・
その夜。
「クリスマス、かぁ……。
そういえば、明日香とも随分長いこと、遊びに行ってないなぁ。
『マック集会』も、みんな受験があるからいつのまにか沙汰止みになってるし」
早秀はひとりごちていた。
机の上には、各種の参考書やノートが無造作に置いてある。みんな最近になって買い集めたものばかりだ。
早秀はノートに無造作に落書きをしながら、
「明日香……、いるかな？」
そうつぶやくと、机のそばにあるコードレス電話の子機をとる。
「090−xxxx−xxxx……」
明日香の携帯電話の番号を押す。
trrr... trrrr...
数回の呼び出し音があって、
「はい、星野です」
「明日香？ もしもし、俺だよ……」
その声に反応した明日香、
「あっ、早秀。
どうしたのよ急に？」
「そういえばさぁ、受験勉強でこのところおまえとデートしてなかったから、今度久しぶりに会いたいって思ってさ。
もうすぐクリスマスだし……」
「そうねぇ、アタシたち受験生には関係ないけど……」
「でも、逆に考えればそういうときだからこそ、めいっぱい遊んでストレス発散したいって思わねぇか？」
「もぅ、早秀ったら……」
明日香は恋人の意見に新鮮な驚きを覚えた。
「で、どこへ連れていってくれるの？」
２〜３秒の沈黙があって、
「あのさぁ、こないだの『メモスポ』に出てた『三磯スポーツパラダイス』って知ってるか？ あそこへ行ってみないか？
あそこ、いまならメモスポについてる『ウェルカム・チケット』で無料体験できるからな」
「三磯スポーツパラダイス」は、今月初めに仮オープンした会員制総合スポーツクラブである。
本来なら、ビジターは3000円の利用料金が要るそうだが、「メモリアルスポット」によると、いまは「オープン記念お試し期間」として、雑誌に綴じ込みのチケットをカウンターに提示すれば、１枚で最高４人まで館内の全施設を無料で利用できる、というのだ。
「そうね。いいわよ。
このところ机の前ばっかりで、体もなまってたし」
「よかった、断られなくって。
それじゃ、24日の昼１時におまえん家の裏に行くからな」
・・・
23日の夜。
いつもより念入りに体を磨いてお風呂から上がってきた明日香。
「ふんふんふふ〜ん……、明日はデート、早秀とデート……」
と鼻歌を歌いながら部屋に入る。
ベッドの反対側にあるチェストの方へ振り返ろうとしたとき、体に巻いてあった
バスタオルの結び目が緩み、床に落ちる。
それを知覚した明日香、
「キャッ！」
と短く叫ぶと、前を押さえてその場にしゃがみ込む。
顔を上げてみると、その視線の先には早秀の写真が入った写真立てがある。
「……ねぇ、早秀。
見たでしょ？ アタシの……。
……でも、いいよ。
アンタになら、見られても……」
写真の中の早秀にヌードを見られたと思ったのか、真っ赤になりながらつぶやく
明日香だった。
・・・
次の日。星野家の裏口。
「お〜い、明日香。来たぞぉ」
早秀が呼び鈴を鳴らして呼びかける。
「お待たせっ！ 時間ぴったりね」
２階から降りてきた明日香が言うと、
「当たり前だろ？ 俺にとって、おまえに関することは全てのスケジュールに優先
するんだからな」
早秀はそう返し、やおら明日香のおでこにキスをする。
「それじゃ、さっそく行こうか」
いつもとは違う早秀の大胆さに、真っ赤になりながらうなずく明日香。
「三磯スポーツパラダイス」は、駅の裏手の、かつて大きな空き地のあったところに建っている。
早秀は入り口のカウンターで「メモリアルスポット」を受付に見せる。
「あっ、無料体験の方ですね。どうぞこちらへ」
受付の女の子は雑誌のページからチケットを切りとって早秀に返す。
「うわぁ〜っ、広いねぇ、ここ」
入り口から奥をのぞいていた明日香が感嘆の声をあげた。
「ほんとだ……、
野球にサッカー、テニスにバスケ、それに、温水プールまであるぜ」
受付嬢からもらった館内マップを見て、早秀も声をあげる。
「どこから行く？」
「そうだなぁ……、まずは野球コーナーからいこうか」
「うん。
野球って言えば、あの夏のことを思い出すね」
実を言うと、早秀は今年の夏、公や榎本と一緒に野球部に「助っ人」で行っていた
のだ。彼らの加わった野球部は西東京大会の決勝戦まで行ったものの惜敗、甲子園
行きはならなかった。
野球コーナー。
ここにはさまざまなスピードの球を放れるピッチングマシンがある。
「明日香、おまえもやってみるか？」
そういった早秀に、明日香は手を振って
「ううん。アタシこういうの、全然だめだもん。体育のソフトボールだって……」
と断るしぐさをするが、早秀は入り口から見て手前の
「ソフトボール 両打・球速70km/h」
と看板にあるケージを指差して、
「一番球の遅いあそこなら、おまえでも打てるだろ？
俺が打ち方教えてやるからさ」
という。
右打席に入った明日香は、置いてある金属バットを無造作に持って振りまわす。
当然、ボールに当たるわけがない。
「あぁ、全然だめだなぁ。
明日香！」
小さく叫ぶ早秀に振りかえる明日香。
「脇が甘すぎ。もっと脇をしめて」
「こ……こう？」
早秀のいう通りに脇をしめて２球目。だが、まだバットに当たらない。
「どうしたのかなぁ……」
「もっとボールをよく見る」
３球目。まだバットは空を切る。
「打つ瞬間に目をつぶってないか？」
「……うん」
「最後までもっとよく見る」
しかし、４球目も空振り。
そして５球目。やっとバットにかする。
「いい感じ。そのまま、そのまま」
６球目。
キンッ！ という音がして、打球はピッチングマシンの方向へ飛んでいく。
「やったよ早秀、当たった、当たったよ！」
「いい感じ、そのまま、そのまま」
……結局、このゲームで明日香が前に飛ばせた打球は15球中４球だった。
「15打数４安打か、なかなか筋がいいじゃねえか」
「そ、そんなこと、ないよ……」
そんな話をしながら、二人は奥の「ハイパー・モード」という看板のあるケージ
に向かう。
ここの球速は160km/h。現役のプロ野球選手でも打てるかどうか…というシロモノだ。
行ってみると、すでに先客がいたようだ。どこかで見たことのある線の細い女性
がケージの中を見つめている。真奈美だ。
「明日香、あれ……」
「杉原先輩じゃない？」
「とすると、いまあそこで打っているのは……、公!?」
見れば、ケージの中にいる公はまっすぐに前を見つめ、とんでもないスピード
で飛んでくる球を必死に打っていた。が、なにせ飛んでくるのが超プロレベルの速球だけに、
そう簡単に前に飛ばせるはずもない。
「おいおい、杉原先輩の前だからってあんな無茶しちゃってからに……」
あきれる早秀に
「でも、それが公くんのいいところだって思わない？
自分の好きになった人のために、その人に少しでもよく思われたくって、自分の
限界に挑もうとする姿……」
「同感。俺も明日香に賛成だ。
あれくらい根性がなければ、ヤクザにケンカ吹っかけようなんて思わないぜ」
早秀は明日香にそう答えた。二人が今の関係――「恋人」同士になるきっかけを作った
銀虎会との戦いのことを言っている。
「おまたせっ、先輩」
玉のような汗をかきながら、公が打席から出てきた。
公は真奈美の側にいる人物に気付き、
「あれ!? 早秀に星野さんじゃない。
なぁんだ、二人ともここに来てたんだ」
と言った。
「公、いまの見てたぜ。
まったくおまえってやつは……」
「なんだ？」
公は早秀に顔を近づけて迫る。
「無茶するんだから」
「うるせぇ、おまえに言われたかぁねぇ」
「そっちこそ、その汗臭い顔近づけてんじゃねぇ。そんな顔してたら、真奈美先輩
に嫌われるか・も・よ」
「言ったなぁ、早秀。
だったらおまえも打ってみるか？ 160キロ」
「いや、遠慮しとく」
「おまえなぁ……」
そう言うと、公は早秀の頭を左腕で抱え込んでヘッドロックを決め、残った右手
でこめかみをぐりぐりする。
「もうっ、公さんに丹羽さんも、まるで子供なんだから……」
「ほんとほんと。あはははははっ……」
少し離れたところにいる真奈美と明日香は、じゃれあう男二人を見てクスクスと
笑っている。
サッカーコーナー。
こちらは20球以内にゴールにある９枚のパネルを倒す――ちょっと大きめのゲームセンターにもあるようなシロモノだが、キックするスペースとゴールとの間に大小いくつかの障害物が置いてある上に、ブース内に風まで吹くという凝りようだ。
「あっ、ここアタシはパス。早秀がやってみて」
抜け目なく早秀にやらせようとする明日香である。
「しょうがねぇなぁ〜」
と頭を掻きながら、チャレンジしてみる早秀。しかし、ボールは障害物に当たる
ばっかりでなかなかパネルまで届かない。
１ゲームを終えた早秀、ブースから出てくると
「明日香、おまえもやるか？」
といって、明日香をブースへ引っ張り込む。
早秀は受付で渡されたカードを機械に差し込み、ゲームをスタートさせる。
「ほら、いまあそこから球が20球出てくるから、ふたりで交代交代蹴れば10球ずつ蹴れるだろ？」
「えっ!?」
てっきり、一人で１ゲームするものと思っていた明日香は驚いた顔をする。
「せっかく来たんだから、二人で一緒に遊ぼう。そうじゃないとつまらないし」
そういった早秀に、
「あ、ありがとう。早秀のその言葉が一番うれしい……」
耳まで真っ赤になる明日香だった。