第６話「星の降る夜に……(後編)」
「ふぃ〜、いい汗かいたなぁ……」
「ほんと、面白かった。
また暇があったら、一緒にやろうね」
「ああ。受験がひと段落したらな。
……しかし、おまえにあんなキック力があったとはなぁ……。
まぁ、いつか銀虎会と戦った時も結構なキックかましてたけどな」
早秀と明日香は、そんな話をしながらサッカーブースを出てきた。
「ねぇ、これからどこへ行こうか？」
明日香はマップを見ながら尋ねる。
「そうだ。さっきのサッカーコーナーで汗かいたから、プールにでも行くか？」
「えっ、で、でも……、
いま冬だよ。水着……」
「大丈夫。ここはレンタルもやってるはずだ。ほら」
早秀は、マップに書かれたプールについての説明書きを明日香に見せる。
「……ほんとだ。ちゃんとレンタルもやってる」
「なっ、間違いないだろ？」
プールに向かう途中、二人の目の前に「アスレチック・ルーム」という看板が見えた。
「何やってるんだろうね、早秀？」
「ん〜と、ここは『最新のスポーツ医学の成果を駆使したトレーニング設備を完備した、体力づくりの場』だって」
「へぇ〜。じゃぁ、ひょっとしたらアタシのダイエットにも役立つかもね」
ということで、二人はアスレチック・ルームを覗いてみることにする。
「わぁっ、やってるやってる」
最初に中を覗き込んだ明日香が感嘆の声をあげる。
見れば、すでに大勢の人がマシンに取りつき、思い思いのトレーニングを続けている。
それを見て、しばらく黙っていた早秀だったが、やがて口を開く。
「……なぁ、明日香？」
「？」
「おまえ、ああいうマッチョなヤツ、好きか？」
早秀の指差した先には、黙々とベンチプレスのメニューをこなしている筋骨隆々の青年がいる。
「な、何よ急に!?」
明日香は面食らった。
「ああいうのを見ていると……、昔、ヤクザとケンカしたときのことを思い出して……。
公やおまえがいるときは戦えたのに、ひとりになっちまうと……。
あの時、ヤクザに腹を斬られたことを思い出しちまった……」
早秀はそういって脇腹――去年の夏、銀虎会の「黒き三連星」と戦ったときに斬られた傷跡――を押さえ、しばらく黙り込んでいたが、やがて
「なぁ、明日香。
俺、いま、進路以上に悩んでいることがあるんだ」
「なぁに？」
明日香は早秀の顔をのぞきこむ。
「あの時、俺、銀虎会の奴らに斬られて死にかけて、おまえから血をもらって生き返ったわけだけど……。
あのときに、心に誓ったことがあるんだ。
『もっともっと鍛えて、明日香のことを守る』って」
「……うん」
「でも、いまの俺は、その誓いを守れているんだろうか？
これから先、ひょっとしたら何十年もの間、本当に明日香のことを守ってゆけるんだろうか？
……そればっかり考えている」
しばし天使が通って、
「……その約束、守れてるって思うよ。
だって、アタシ……こうやっていまみたいに、早秀がそばにいてくれると気持ちが落ち着くし……。
アタシが好きなのは……、早秀だけ、なんだからね……。
いままでも……、そして、これからも……」
明日香は早秀の耳元に口を近づけ、ささやくようにいった。
「そうだよな……、
俺も、おまえといると……」
・・・
プールの入り口に着く。
「プールのご利用ですね？」
「え、ええ、まあ……」
入り口に立っていた背の高い筋肉質な従業員――ネームプレートに「外井」とある――は、二人の体をなめまわすように見ると、
「結構です。どうぞお入りください」
といって、更衣室の方へ案内する。
「あの……俺たち、水着、持ってきてないけど……」
早秀が言うと、外井は
「あぁ、水着のレンタルをご利用ですね。それならこちらへ」
といって、二人を更衣室とは別の部屋へ連れて行く。
手早く着替えて、先にプールへ出てきた早秀。
しかし、明日香はまだこない。
「明日香のヤツ……遅いなぁ……」
早秀はぶつぶついいながら、更衣室の出口を見ている。
10分くらいして更衣室のドアが開き、オレンジとレモンイエローを迷彩風にあしらったワンピースの水着を着て、明日香が現れた。
「えへへっ、おっまたせぇ」
「お、遅かったなぁ、明日香」
「ごめ〜ん。ここのレンタル水着、結構バリエーションがあるからどれにしようか迷っちゃって……。
でも、合格点のセンスしてるからよかった」
「？」
「もし、ここにいいのがなかったら、早秀には内緒で一回家に帰って、水着取りにいこうかって思ってたんだから」
「そ、そんなことまで……」
早秀はあきれている。
「だぁ〜め。女の子は、そういうことには命懸けるものなのよ。
特に、いまはあなたが一緒だから……」
真っ赤になりながらうつむく明日香。
「何か言ったか？」
「ううん、なんでも……。
さぁ、泳ぎましょ？」
明日香はそう言うと、さっさと水の中に飛び込んだ。
「ねぇ、早秀も一緒にいこっ！
とっても気持ちいいよ」
水の中から顔を出し、呼びかける明日香を見た早秀、
（……こうしてみると、明日香って結構、いい身体してるなぁ）
心の中でそうつぶやいていた。
このとき、早秀の中には６年前、中学１年のときに明日香やクラスの仲間たちと
初めて市民プールへ遊びにいったときのことがよみがえっていた。
あの頃に見た明日香の身体は、随所に幼さを残していた――当の早秀にしても、
そのことについては結構いい勝負だった――が、それから６年間の歳月は、徐々に
ではあるが、明日香の身体を大人の女性のそれに変えていた。
さながらそれは、花になるべき全ての準備を終え、咲き誇る時を待っている花の
つぼみに似ていた。
・・・
そして、夜。
ふたりは駅ビルの屋上に新しくできた展望台にいた。
「本当はここでワイン……、といきたいトコだけど、俺たちはまだ未成年だから、これで」
ふたりはオレンジジュースの入った紙コップを掲げ、重ね合わせる。
「メリー・クリスマス、明日香」
「メリー・クリスマス、早秀」
そう言うと、ふたりは思わず吹き出してしまった。
「……それにしても、よくこんなところが見つかったね。
アタシ、最近『メモリアルスポット』買ってないから、全然気づかなかった。
一応受験生だから、ママもちょっとうるさくなってるし」
「……こういうときでも、チェックは欠かせないさ。
なんたって、俺はおまえといるときが一番楽しいんだから。
どこへ連れて行けば、おまえが楽しめるか……、どんな話題をすれば、おまえが喜んでくれるか……、そればっかり考えている。
だから、たとえ受験があろうとも、プレイスポットのチェックだけは欠かせないのさ。
おまえのことは、他の全てに優先するんだから……」
早秀は明日香の瞳をじっと見て、語りかける。
「………………」
しばらく黙り込んでいた明日香、やがて……、
「早秀……。
いま、アタシの思っていること、聴いてくれる？」
「……あぁ」
「いままで、あまり意識してなかったけど……。
受験勉強やらなきゃならなくなって、早秀としばらく遊べなくなったでしょ？
アタシ……、そうなったときに分かったの。
あなたといる時間が、どれだけ大切だったかってこと……」
「明日香……」
「アタシ……、あなたさえいてくれたら……、もう流行なんてどうでもいい。
別にどこかへ遊びに行かなくても、あなたが横にいてくれさえすれば……」
明日香の言葉を聴いて、早秀は思わず、彼女をその場で抱きしめたくなる衝動に駆られた。
その衝動をこらえつつ、ふたりはしばらくその場に立っていた。
「今夜は、星がとってもきれいね」
よく晴れ渡った夜空を見上げた明日香は、ぽつりとそういった。
「そうだな……。
何億年も前の輝きが、長い長い旅を経て、いま俺たちの目に届いているんだ」
早秀の返事に明日香は
「そう考えてみると、ほんとすごい偶然よね。
アタシたちがこうして出会ったのも……。
この街だけでも何千、何万といる人の中から、こうして出会って、いま、ここに
いるっていうことが……」
「……………………」
再び天使が通って、今度は早秀が口を開いた。
「……受験勉強忙しかったから、せっかくのクリスマスなのに、ちゃんとしたプレゼントも用意
できなくってごめんな。
その代わり……」
「その代わり？」
早秀のほうを向いた明日香。
「今年はこれで、勘弁してくれるかな？」
早秀は明日香の瞳をじっと見て、ささやくように語りかけると、右手の親指と人
差し指を明日香のあごに引っ掛け、こころもち上の方を向かせる。明日香も彼の意
を察し、そっと瞳を閉じる。
早秀は余った左腕を明日香の背中に回し、ゆっくりと自分の方へ抱き寄せる。
そして……。
重なる唇……。
早秀はそのまま、舌で明日香の唇をつつく。
明日香は彼の大胆な行動に一瞬驚いたが、おずおずと口を開けて早秀に舌を絡めてくる。
ぴちゃぴちゃと水音がして、お互いの呼吸が少しづつ乱れてくる。
時間が止まった。
永遠が一瞬に思え、一瞬が永遠に思えてくる……。
（早秀……、あなたの腕の中が、こんなにあったかいなんて、知らなかった……。
アタシは……いつまでも……いつまでも……、こうやってあなたの腕に抱かれていたい……）
明日香は早秀の腕に身を預けながら、そんなことを考えていた。
時間にして30秒ほどお互いを吸いあって、二人は少し離れる。
「……来年のクリスマスも、こうやって一緒にいられたらいいね」
明日香が小さくそういうと、
「あぁ。来年だけじゃなく、再来年もその次も……。
俺たちは、何があっても一緒さ……」
明日香をじっと見つめながら、早秀はきっぱり言った。