第８話「卒業」
・・・
式が終わり、卒業生たちは卒業証書の受け渡し――式場では代表の生徒だけ校長
から証書をもらい、それ以外の生徒はこの後のホームルームで担任の教師から渡さ
れる――のため、自分らの教室へ引き揚げる。
さきほど「スポーツ功労賞」で表彰を受けた早秀と公は、連れ立って３年Ａ組の教
室へ向かっていた。
「やれやれ……、やっと終わったなぁ。
俺、マジで寝ちまったよ」
早秀は両腕を上に伸ばしながら言った。
「まったく……、校長の話が長すぎるんだよなぁ。
いくら俺たちが、21世紀最初の卒業生だからといっても……。
去年の杉原先輩のときも長かったし……。俺、あの時、正直心配だったんだ。
あのひとが途中で倒れないかって……」
そういった公に、早秀はすかさずエルボーを軽く当て、
「お〜お〜、のろけてくれるじゃねぇか」
と突っ込む。
「あ〜、話変わるけど、おまえ、卒業旅行とか行くのか？」
早秀は話題を切り替えてきた。
「いや……、まだ、どうするか決めてないけど……。それがどうかしたか？」
とぼけるような口調で返してきた親友に、早秀はおでこに手を当て、
「くわぁ〜っ、おまえってやつはどこまでも鈍いなぁ！」
とうめくように叫ぶ。
「何でそうなるんだ？」
公が聴き返す。
「おまえ、来月から自衛隊に入って防府とかいうところの基地へ行くんだろ？」
「まぁ、確かにそうだけど……」
その話は事実だった。
いま早秀の隣にいる親友――公は、かねて志望していた航空自衛隊のパイロット候補生課程である「航空学生課程」の採用試験にみごと合格。来月からは山口県・防府にある基地へ行くことが決まっている。
１年前、公がこの進路を選ぶことを宣言した時、彼はそれを巡って進路指導担当
の教師とひと悶着起こし、一時は、大阪に住んでいる公の両親が「事情聴取」の名目
で三磯に呼び戻されたりするという事件もあったが、最終的には主人家側――公の
強い意思に学校側が折れる形で決着を見ていた。
「入隊しちまったら、そうちょくちょくは先輩に会えなくなるぞ。
そうなったら……」
「そうなったら？」
早秀の言葉を聞き返す公。
「杉原先輩、誰かに取られるかも知れんぞ。
いまはおまえがわりと近くにいて、先輩のことを見ていられるからいいとして、
これで防府なんかに行ってみろ、先輩の周りに男が群がるぞ。
俺だって、もし明日香がいなければ杉原先輩に……」
「でも、先輩のところの大学って女子大だし……」
公が反撃するが、
「甘い！
コンパとか学祭とか、その気になりさえすれば、いくらでも男と接触する機会は
作れるぞ。
先輩本人がいくらそういうシーンに近づかないようにしたとしても、行きがかり
上、そういう場に出なきゃならないってこともあるしな。
そのせいで、前に杉原先輩にストーカーがくっついて難儀したことあるだろ？」
とにべもない。
実際問題、真奈美は一度だけ、どうしても断りきれずに合コンに出席したことが
ある。その席で、暗い――とにかく世の中を悲観的に眺めたがる――男に目をつけ
られてしまい、「ストーカー」行為を受けて公ともども難儀したのだ。
「……それについては分かった。
で、おまえは何が言いたいんだ？」
そう迫ってきた公に、早秀は
「入隊するまでの間に、先輩との『思い出』をできるだけたくさん作っておいた方が
いいぞ。先輩がおまえのことを忘れられなくなるくらい……。
まぁ、俺はおまえにあれこれ命令する権利はないから、実際に何をどうするかは自分
で考えるんだな」
と言った。
「ねぇねぇ、公くんに早秀。何をしゃべってたの？」
明日香が話に割り込んできた。公が受け返す。
「あぁ、卒業旅行行くかどうかって話。
ほら、早秀も追試やらなんやらあって、卒業できるかけっこう大変だったし」
公がそういうと、明日香は
「まさか……、公くんと約束があったの？」
と早秀に訊ねる。早秀は首を左右に振って
「いや、まだ具体的な話はしてない。
それに、こいつには俺以上に大切な存在――杉原先輩がいるじゃないか」
と打ち消す。
「だったらいいけど……。
それじゃ、昨日も言ってたとおり、あとで旅行代理店に付き合ってね」
「わかった」
教室で卒業証書を受け取ると、早秀たち卒業生はクラスごとに中庭の方へ出る。
中庭には在校生たちが列を作って待っている。
やがて、彼らは在校生たちの拍手の雨を浴びながら、生徒としては、もう二度と
くぐることのない校門を後にする。
早秀はその隊列の中、公と並んで歩いていた。
「公、いままでいろいろありがとうな。
おまえがいてくれたおかげで、３年間楽しませてもらったし、それに、おまえと
杉原先輩のおかげで、明日香とも……」
「そんな……、いまさら水臭いじゃないか」
照れる公。
「ははっ、それもそうだな……。
それよりも公、自衛隊行っても頑張れよ。訓練とか、すごく厳しいだろうけど。
おまえの決めた『一生の目標』のためにな……」
早秀が公の方に手を置くと、公は前を向きながら力強くうなずいた。
校門を出たところで、早秀は誰かに腕を引っ張られる。
振り返ってみると、明日香が彼の腕をつかんでいた。
「ねぇねぇ早秀。早く行こうよぉ〜」
腕をつかみながらせがむ明日香。
「ちょ、ちょっと待てよ明日香。いまから行くのか？」
「だめなの？」
「いや、そういう訳じゃないけど……」
あまりの突然さにしどろもどろする早秀だが、見ていた公が
「どこへ行くのか知らんが、行ってやれよ、早秀。
俺は馬に蹴られて死にたくないし、それに…、
実はこの後、杉原先輩と待ちあわせしているからさ」
と耳うちするので、明日香についていってやることにする。
「じゃぁな。
また電話するから、いつ防府に行くのか教えてくれよな」
といって、早秀は公と別れた。
旅行代理店の店頭。
明日香は店先に並べられたパンフレットを目で追っていた。
早秀は一言も発言せず、明日香の動きを目で追っていたが、やがて明日香の視線
があるところで止まったのに気付く。
見ると、そのパンフレットには
「早春の沖縄・４泊５日フリープラン」
と表紙にある。
「ねぇ早秀。これにしない？」
明日香が振り返って提案してくる。
「俺はおまえといられれば、別にどこでもいいけど……。
予算足りるのか？」
早秀が当然の質問を返す。
「大丈夫。こういうこともあろうかと思って、ちょこちょこ貯めといたんだぁ」
明日香は笑ってそういうと、財布から１万円札の上端をちらりと見せる。見れば
10万円前後はある。
「あっ、別に、やばいことしてもらったお金じゃないよ。
いまのバイトとか、家の手伝いしたお駄賃とか、正月にもらったお年玉の分とか
を、少しずつ貯めたんだから」
明日香は笑みを崩さずに続けたが、急に表情を少し崩して
「その代わり、あとでアンタの分、ちゃんと返してね」
と付け加えた。
「はいはい、分かりましたよ。明日香さん……」
苦笑するしかない早秀だった。
旅行の方は、明日――２日の午後に三磯を出発して６日の夜に戻ってくることに
なった。飛行機の空席の関係である。
「明日の昼２時、お店――家の裏に集合」と約束して、明日香は家に帰ってきた。
部屋に上がり、今後、もう二度と着ることはないであろう三磯学園の制服をハンガーに掛ける。
明日香は下着姿のまま、しばらくの間、高校生活でのさまざまな出来事――この
制服と共にあった日々に思いを巡らせていた。
「……明日香、ご飯ですよ」
久美が呼ぶので、明日香は部屋着に着替えてダイニングに下りる。
・・・
食事の後。
明日香は修学旅行の時に使った大きなバッグに荷物を詰めている。
「え〜と、何と何を着て行こうかなぁ……。
向こうはきっとあったかいだろうから、そんなに厚着しなくてもいいかなぁ。
あっ、水着……はいらないよね。いくらなんでも」
持っていくべき荷物を詰め終わると、明日香はチャックを閉めたかばんを軽く叩
いて、独り言にしては大きい声で言う。
「うふふっ……。早秀と一緒に旅行だぁ。
ちょっとくらい変なことされても、早秀だったら許しちゃおうかな？
うふふっ……」
そうやって、「変なこと」の中身を想像しながらニヤついていると、久美が部屋に
やって来た。
「ごめんなさい、明日香。勝手に押しかけちゃって」
久美はひとしきり謝ると、
「あぁ、明日からの『旅行』の準備してたんだ。
どこに行くか、決まったのね」
明日香はうなずく。
「うん、明日の夕方から沖縄に４泊５日で。
急に決めちゃったから、空いている飛行機の便がこれしかなくって。
もうちょぴっと早ければ、もっといい日程で取れたんだけどね。
……あっ、もちろん早秀と一緒だよ」
「ふーん、そうなんだ」
久美はそれを聞くと、その場に座り込み、
「明日香。よく聞きなさい」
「ママ、どうしたの急に？」
明日香はきょとんとした表情のまま、その場に腰を下ろす。
「……ママはね、あなたが早秀くんと旅行に行くのには反対してないわ。いいえ、
むしろあの子と行くのなら大賛成なの。
でもね……」
「でも？」
「あの子だって、男の子なのよ。一般論から言って、旅先じゃ気持ちがどうなるか
分からないじゃない？」
「……た、確かにね」
「私はもちろん、早秀くんのこと信じてるけど、万が一ってことがあるじゃない？
まぁ、その『万が一』があって、明日香のおなかが大きくなったりでもしたら、早秀
くんに『責任』を取ってもらうつもりではいるけど……、
もしものことがあって、明日香が『一生赤ちゃんのできない体』にでもなったりしたら嫌でしょ？」
「…………うん」
明日香がうなずくと、久美はポケットから"Family Plan"と書かれた小箱を取り出して、
「念のため、これを荷物に入れていきなさい。
いい？ すぐ取り出せるところに入れておくのよ」
といって明日香に渡す。
「……これは？」
その物体が何なのか理解できない明日香。
久美はそんな娘に、意味ありげな笑みを浮かべると、
「……あなたはまだ、それの使い方知らないみたいだから、私が教えてあげる」
と言って、その箱にしまわれている「物体」の使い方をレクチャーしはじめた。
「……というわけ。分かった？」
「うん。ありがとう、ママ」
「いいのよ、これくらい……。
それじゃ、早く寝なさいね。
あんまり遅くまで起きてると、ホントに飛行機、間に合わなくなるわよ」
そういうと、久美は娘にウィンクしながら部屋を出ていった。
・・・
次の日の昼。
明日香を迎えに来た早秀に、久美は
「早秀くん。明日香のこと、よろしくね」
というと、軽くウィンクして見せる。
「それでは、行ってきます」
久美に頭を下げた二人を、
「二人とも、気をつけてね」
笑顔で見送る久美だった。