最終話「my sweet days」
二人が「結ばれた」あの夜から、長い長い時が経った…………。
翌年、なんとか三流大学に滑り込みで合格、明日香より一足遅れて「大学生」になり、「新聞研究会」に入った早秀は、その伝手で「メモリアルスポット」の編集部にバイトとして潜り込んでいた。
もともと情報収集が趣味の彼。水を得た魚のごとくメキメキと頭角をあらわして正社員顔負けの活躍を見せ、１年後には編集部の名物スタッフになっていた。
そればかりか、大学の先輩でもある編集長にすっかり気に入られ、「卒業したら正社員として雇ってやる」というオファーももらっていたのだ。
明日香もまた、学業の傍ら「メモリアルスポット」の編集部に――早秀のつてで
――出入りしていたが、やがて見込まれてレポーターのバイトをはじめることに。
早秀との息の合った取材活動(半分、遊びも入っていたが)とセンスのよさで、編集
部の名物になっていた。
そして、2005年６月21日――明日香の23回目の誕生日でもあるこの日。
三磯市内某所の小さな教会「セント・エドワーズ教会」で、ひと組のカップル――
早秀と、この春に大学を卒業したばかりの明日香――の結婚式が、ごく親しい知人と
近親者だけを集めてつつましく行われた。
一浪して大学に入っており、まだ学生でもある早秀の立場からすると、この時期に結婚というのはいささか無謀のように見える――事実、明日香も「早秀が大学卒業できるまで待ってもいい」と言ってくれていたのだが、「メモスポ」編集長の一札で就職先が事実上確定していたことと、あくまでも「初めての朝」に交わした「約束」を果たすことに拘る早秀の熱意に周囲が折れ、今日のこの日を迎えることになったのだ。
祭壇の前。
タキシードと純白のウェディングドレスに身を包んで立つふたりに、神父が口上を述べる。
「汝夫、丹羽早秀。
汝はいま、この星野明日香を妻にしようとしています。
汝は真に、この人をあなたの妻とすることを心から願いますか？
汝はこの結婚が、神の御心によるものと確信しますか？
また、汝は神の御教えに従い、夫としての道を尽くし、
常にこの人を愛し、
敬い、尊び、助け、支えて、
その穏やかなる時も、病める時も、
貧しき時も、富める時も、
堅く節操を守り、誘惑を退け、よき慰め手となることを誓いますか？」
聖歌隊の歌う賛美歌が流れる中で、早秀はその言葉を、ひとつひとつかみしめるように聴いていたが、やがて顔を上げると
「誓います！」
きっぱりそう宣言した。
神父はその返答に笑みを浮かべながら、今度は明日香に向き直る。
「汝妻、星野明日香。
汝はいま、この丹羽早秀を夫にしようとしています。
汝は真に、この人をあなたの夫とすることを心から願いますか？
汝はこの結婚が、神の御心によるものと確信しますか？
また、汝は神の御教えに従い、妻としての道を尽くし、
常にこの人を愛し、
敬い、尊び、助け、支えて、
その穏やかなる時も、病める時も、
貧しき時も、富める時も、
堅く節操を守り、誘惑を退け、よき慰め手となることを誓いますか？」
「……誓います」
明日香は小さく、しかしはっきりと宣言した。
「いまここに誓いは交わされ、二人は神の御前にて夫婦となりました。
では、誓いの口づけを」
神父のその言葉に、早秀は明日香の顔を覆っていた薄い純白のベールに手をかけ、
そっと外してやると、軽く目を閉じ、唇を重ねる。
そのとき、閉じられた明日香のまぶたからは、真に愛する者――早秀と結ばれた
歓喜の涙が一筋、こぼれて落ちていた。
夏の陽射しを浴びて、ふたりの影はひとつに溶けあった……。
・・・
それからまた、数年ばかりの時が流れて……。
三磯市内某所の賃貸マンション、表札に
「Niwa Hayahide
Asuka
Misaki」
とある一室。
「ほぎゃぁ、ほぎゃぁ……」
赤子――半年前にこの世に産まれ出た、早秀と明日香の「愛の結晶」にして、二人
が築いた「世界一小さな王国」のプリンセス・美咲――の泣き声がする。
その声に、その王国の主である早秀は起き上がる。
「お〜い、明日香ぁ、美咲が泣いてるよ。
きっとオシメじゃないかなぁ」
早秀はベランダで洗濯ものを取りこんでいるはずの妻・明日香に呼びかける。
しかし、明日香はなかなか戻ってこない。
「ねぇ明日香ぁ、聞いてる？」
「分かってるって。いまやるわよ」
明日香は、外に干していたシーツを抱えて戻ってくる。
「そんなにヒマしてるんだったら、アンタがやってよね。父親でしょ？」
明日香はシーツをクローゼットに運び入れながら、床に寝転がってテレビ――数年前に本格稼動した地上波デジタル放送のサッカー中継を見ている夫に軽く悪態をつく。
ぶつぶつ言いながらクローゼットにそのシーツを押し込むと、明日香は日当たり
のいい窓際にバスタオルを敷き、ベビーベッドの上で泣いている愛娘・美咲をその
上にそっと降ろす。
「はぁ〜い、みぃ〜ちゃ〜ん。
きれいきれいちまちょうねぇ〜」
そう言いながら、おむつを替えはじめた。
早秀はその姿を見ながら、
(明日香もすっかり、主婦が板についてきたよなぁ……。
メモリアルスポットの取材にかこつけて、俺と一緒に遊びまくっていた学生時代とは大違いだ)
と、一種の感慨にふけっていた。
余談だが、明日香は大学卒業後もしばらくの間、早秀と一緒に「メモリアルスポット」の編集部でバイトをしていたが、１年前――妊娠が判明した後に仕事を辞め、いまは主婦に専念している。
明日香が仕事を辞めてからしばらくした頃、早秀は
「家のことやってくれるのはありがたいんだけど、おまえ、その分遊べなくなっちまっただろ。
後悔してないか？」
と聞いたことがある。
その時、明日香は笑ってこういったのを、早秀は覚えている。
「やぁ〜だ、何言ってんのよ、早秀。
こんなことになっちゃうと、学校行ってた時みたいに遊べないでしょ？
だ・か・ら、独身時代にい〜っぱい遊びだめしておいたってわ・け」
明日香は――後に愛娘・美咲となる小さな命が息づいていたおなかをさすりながら
そういうと、早秀にウィンクしてみせたものだ。
・・・
新しいおむつに替えてもらって機嫌が戻ったのか、いつのまにか美咲の泣き声は止む。
「ねぇ、あなた……」
明日香は突然美咲から顔を上げ、早秀の方に振り返る。
「？」
「美咲……、いま、笑ったの……」
そのときの明日香の笑顔は、いままで早秀が見たこともない最高の笑顔だった。