三磯学園ドラマシリーズVol.1
「過ぎ去った記憶の中で(前編)」
……思えば、あの戦いはきつかった。
つい先日のこと。
俺の"想い人"である杉原先輩がヤクザに捕まって、無理矢理結婚させられそうに
なった。
俺はシゲさんや早秀、生物部のみんなと一緒に力を合わせてやつらと戦い、先輩
を取り返すのに成功した。
でも、さすがに相手はヤクザ。ただでは返してくれなかった。勝つには勝ったけど、
俺たちはこてんぱんにやられてそのまま病院へ直行っていうありさま。
そんなわけで、俺はいま、ここの病院のベッドでへばっているのさ。
とはいえ、悪いことばっかりじゃあない。
早秀や他のみんなは相部屋なのに、俺だけはなぜか個室。
しかも、どういうわけなのか、杉原先輩がずっとつきっきりで俺のそばにいてくれて
いる。
ただでさえ、先輩は銀虎会に捕まっていて疲れているはずなのに、何も俺の面倒
まで見なくてもいいのに…と思うけど、先輩が自分で決めたことなので、あえて干渉
はしないでいる。
……で、いま、先輩はうつらうつらと居眠りをしている。
先輩の寝顔って、本当にきれいだなぁ。まるで天使さまみたい……。
俺も体が元気なら、むらっときて何かやりそうになるけど、あのときにヤクザ連中に
結構いいパンチやキックをもらっていてあちこちが痛いので、どうにもならない。
ならば俺は、眠れるまで先輩の手を握っていよう……。
……こうして握っていると改めて思うけど……先輩の手って、ちっちゃくて細くて、力を
ちょっと入れたら壊れそう……。
その手から伝わってくる先輩の温もりを感じながら、いつしか俺は眠りに落ちて
しまった……。
・・・
次に気がつくと、俺の実体はなぜかなくなっており、意識だけが空にいた。
俺の視界には、翼に大きな赤丸を描き、機体を暗いグリーンに塗ったプロペラ機が
映っていた。俺は家にある本で、その機体を見た覚えがある。
旧日本海軍航空隊の名戦闘機"零式艦上戦闘機"。記憶が正しければ、こいつは
後期モデルの「五二型」だろう。
(なんでこんなのが出てくるわけ!?)
そういぶかっていると、どういう加減でか知らないがパイロットの顔が見えた。
その顔は、どういうわけか俺にうりふたつ。
それを見た俺は、妙な気分に襲われた。
(これが、俺の"前世"!?)
ちょっと前に読んだ、仮想戦記小説の単語を思い出した。
"前世の俺"がどんな野郎だったのか、俄然興味が湧いてきた俺は、しばらくこい
つの意識に同化してみることに決めた……。
前世の俺が操る機体は、しばらく普通に飛んでいたが、突然爆音がおかしくなり、
プロペラが止まる。推進力を失った機体は、エンジンから黒煙を吐きながら高度を下
げる。
(おいおい、しっかりしろよ！)
そういったつもりだが、パイロットには届いていなかった。
機体は山の中腹にある建物をかすめて、裏の立ち木をなぎ倒して停まった。前世
の俺は、着地の直前に機体から放り出され、建物の裏手におっこちたようだ。
「……あの、大丈夫ですか？」
俺の意識に、杉原先輩にそっくりな声がした。薄目を開けてみる。
俺の瞼に映ったのは、これまた杉原先輩にうりふたつの、長く美しい黒髪の女の
子だった。
思わず俺は
(杉原先輩!?)
といいそうになったが、ここは一応、別人の意識の中。
「き……きみは？」
前世の俺が問いかける。
「あ、あの……。わ、私……。県立白井坂高等女学校……３年の……、豊坂……、
真智子……といいます。
あなたは？」
"真智子"という女の子に聞かれて、前世の俺は
「わ、私は……、海軍高松航空隊の瀬里沢慎一少尉です」
と、寝転がりながら自己紹介をする。どうやら、前世の俺の名は「瀬里沢慎一」
というらしい。
話を聞いてみると、どうやらこいつの機が落ちたところはサナトリウムらしい。
そして、真智子という子は病気のために１年前から学校を休学し、転地療養という
ことでここに来ているらしい。
それからというもの、前世の俺――慎一は、休暇(慎一は「半舷上陸」といっていた)
のたびにこのサナトリウムを訪れて真智子ちゃんに会っていた。
その風景は、俺には細切れのフラッシュバックでしか見えなかったが、見ていくたび
に、真智子という子が杉原先輩そっくりに見えた。
話をしてみると、彼女も杉原先輩同様に小鳥や静かな水辺、詩集とかが好きで、
裏庭にやってくる小鳥たちと実に楽しそうに会話している。更に聞けば、彼女の実家
は高松の素封家で、父親は県会議員も務めていたことがあるそうだ。
ついでに俺の前世――瀬里沢少尉はといえば、以前は京都の仏教系大学に通っ
ていたらしいが、「学徒動員」で大学を繰上げ卒業させられることになり、「徴兵で陸
軍に引っ張られるよりは」と、海軍の「予備学生」試験を受けて入隊したとか。
「まぁっ、ピッチちゃんったら、すっかり慎一さんになついたみたい。
ほら、あなたの肩で羽づくろいまでして……」
見ると、慎一のまとう軍服の肩に一羽の小鳥が止まっている。
「ほんとだ……」
「この子、いつもは人見知りしてなかなか出てこないんですけど……。
きっと、あなたのそばにいると安心できるのでしょうね……」
……そうやって二人の話を聞いているうちに、
(慎一って野郎が俺の前世だとしたら、もしかしてこの子が、杉原先輩の前世!?)
俺はそう思えるようになっていた。
次に場面が切り替わると、風景は格納庫の前になっていた。
どうやらここが、前世の俺――瀬里沢少尉の勤務している"高松基地"らしい。
格納庫の前には、彼と同じ年格好の連中が多数整列し、壇上を注目している。
やがて草色の軍服をまとった年配の男が二人、壇上に上がってきた。整列している連中は、
そいつらに向けて挙手の礼を送る。
どうやらこいつらが、ここの親玉――基地司令官と参謀らしい。
片方のレニヤード(参謀肩章)をつけた男が怒鳴る。
「いまから司令が話されることは、絶対に口外してはならん。
また、お互いの間においても話題にすることを禁ずる！」
そういうと、一人は壇を下り、残ったもう一人が、重々しい口調で話し出す。
「……諸子も知っての通り、今次大戦の状況はまさに風雲急を告げている。
いまや米英は、その圧倒的な物量にものをいわせて、我が帝国の"絶対国防圏"
であったサイパン・グアム・フィリピンを次々と陥とし、引き続き台湾・沖縄・小笠原へ
とその触手を伸ばそうとしている。
だが、我が方にはそれを阻止できる有効な戦力――空母がない。航空機でさえ、
事欠くありさまである。
かような現状に鑑み、我々に残された手段はただ一つ。
諸君ら一人一人が肉弾と化し、一機を以ってよく一艦を屠る――特攻しかない！」
ざわめきが起こった。
壇上の男はさらに続ける。
「三航艦(第三航空艦隊)司令部より、当基地に特攻隊編成の命令が下された。
よって諸君らは、たった今よりそれに編入された。
出撃は、１週間後である！」
慎一の"戦友"たちは、お互いに顔を見合わせ、何かぼそぼそ言いはじめた。
それを聞きながら、俺は自分の足元が崩壊していくような、不思議な感覚に襲わ
れていた。
(ま、真智子さん……、俺……)
前世の俺が、心の中でそうつぶやいていた。
日にちは飛び、出撃の前日になっていた。
特攻隊に編入された隊員に最後の休暇――上陸が言い渡されたらしい。
前世の俺は、陸軍のトラックに便乗して真智子ちゃんのいるサナトリウムの近く
まで連れていってもらった。
サナトリウムに着く。
前世の俺が、サナトリウムの医師と会話をしている。
「真智子さんは？」
「あぁ、彼女なら、たぶん今ごろ裏庭でしょう。
……しかし、不思議なものですよねぇ。海軍さん」
「？」
「あなたがここへ来るようになって以来、彼女の病状は、見る見る回復に向かって
きているんですよ。この分だと、そう遠からず退院できるでしょうね」
それを知った俺は、複雑な気分になっていた。
(残念ながら、こいつは真智子ちゃんの退院には立ち会えないんだ。なぜなら明日
には、こいつは"名誉の戦死"を遂げているはずだから……)
そんなことを考えているうちに、裏庭に着く。
真智子ちゃんは慎一の姿を認めると、喜色満面といった表情で
「あっ……、少尉さん……。ようやく……会えました……うれしい……」
その声が、泣いている時の杉原先輩そっくりに聞こえたのは気のせいだろうか？
「少尉さん。今日は急にどうされたのですか？」
真智子ちゃんが聞いてきた。
「真智子さん……俺……実は…………………………」
・・・
「……えっ？ 嘘……。もう会えないなんて……」
真智子ちゃんは目に涙をいっぱいためて聞き返してきた。
「命令が出たんだ、特攻出撃の……。
明日には、行かなければならない……」
「そ……そんな……、ひどい……、あんまりです……」
真智子ちゃんは慎一の胸に飛び込んできて泣き出した。非力な拳が、彼の胸を力
いっぱい叩いている。
「少尉……いえ、慎一さん……。行かないで……。
いまの私には、あなただけがたったひとつの支えなのに……。
なのに……、なのに……、あなたがいなくなってしまったら、私……」
「真智子さん……。俺だって、きみを置いて行くなんてことはしたくない。
でも、いまは戦争なんだ……。そして、いまの俺は、帝国海軍の少尉……。
いくら生きようとしても、まわりが勝手に死ぬ方向へ持っていってしまうんだ……」
そう言っている慎一自身も、真智子ちゃんを抱きしめながら泣いていた……。
彼の意識に同化していた俺も悲しくなった。
こいつに同化しているうちに、俺は、こいつが真智子ちゃんに惚れていることが
分かった。そして、真智子ちゃんもこいつを慕っていることにも……。
畜生。
愛し合っている二人が、こんな形で別れさせられるなんて……。
――――――To Be Continued