第50話「遠いあの日の記憶」
両親の部屋。
公と真奈美は寄り添いながら、公のアルバムを見ていた。
ページをめくる真奈美の手が、あるページで止まる。
そこには、褌姿で写真に収まっている公がいた。
「あの……、これは、いつの時の写真なんですか？」
写真の中の公の姿に、こんどは真奈美が真っ赤になる。
「ああ、それは小学３年の時ですかね。
僕の記憶が正しければ、それは三磯神社でやっていた『わんぱく相撲大会』の時のやつでしょう」
三磯神社では、毎年10月にある祭の一環として、小学生の男子による「わんぱく相撲大会」というイベントが行われている。
「親父に聞いたんですけど、ここの神社の神主さんが大の相撲ファンで、
『いつかこの街から横綱を出すんだ』
とかいうことではじめたらしいんですよ、このイベント。
なんか、神主さん自身もその昔、お相撲さんだったらしいんで……」
真奈美はそれには答えず、写真に視線を固定している。
「この相撲大会には、ちょっと苦い思い出があるんですよ」
公はそう言うとアルバムのページを戻し、ある写真を示す。
その写真には、いまの真奈美によく似た線の細い少女が写っている。
「……この方は？」
「昔、隣の家に住んでた娘で、長谷川 彩って言うんです……」
公は問わず語りに話し出した。
・・・
事の起こりは、新学期に入って間もないある日のことであった。
公はいつものように、近所の悪ガキ連中と隠れんぼをして遊んでいた。
隠れ場所を探しているうちに、公はある家の庭の植え込みに紛れ込んでいた。
「よし、ここなら誰にも……」
少し周囲を見渡してつぶやいた瞬間、公は視線が突き刺さるのを覚えた。
（ゲッ、もう見つかったのか？）
そう思ってあたりを見まわす公。
視線の発進先は家の方だった。
公がそっちを向くと、そこには長い髪をした、線の細そうな少女が、布団から上半身を起こして公の方を見ていた。年の頃は、どう
やら公と同じくらいらしい。
「ご、ごめんなさい。
僕、隠れんぼの途中で、ついここに隠れたら……。
まさかきみがいるなんて……」
ばつの悪そうな顔をしながら、少女に謝る公。
しかし少女は、「ふるふる」と首を横に振る。
「え？ 怒ってないの？」
すると少女は、コクッと首を縦に振ると、右手を出して手招きをした。
「え？ 上がってこいって？」
コクッ。
「ねぇ、きみ、いいの？ 僕なんか家に上げて」
少女の寝ていた布団の脇。公は当然の質問をぶつける。
少女はまた「ふるふる」すると、聞き取れるかどうかという小さな声で、
「……いいんです。
パパもママも、夕方にならないと帰ってこないから……」
と答えた。
「そっか。大変だねぇ……」
公はそのまましばらく黙り込んでいたが、やがて、隠れんぼの途中だったことを
思い出し、
「いけね。僕、隠れんぼの途中だったんだ。
それじゃ、またね」
立ち上がろうとした公。だが、少女に服を引っ張られる。
「え？ 何!?」
「あの……、お名前は……？」
そういわれて、公は自己紹介が済んでいなかったことを思い出した。
「あっ、そういえばまだ名前言ってなかったね。
僕は主人 公。『コウ』でいいよ。
ところできみは？」
「…………あの…………、私…………、長谷川……彩……って言います」
「彩」と名乗ったその少女は、やっぱり消え入りそうな声で自己紹介した。
「彩ちゃん、かぁ。いい名前だね」
微笑を浮かべながら、コクッと首を振る彩。
「それじゃぁ。
また、遊びにきてもいいかな？」
もう一度コクッ。
「こんどはちゃんと、玄関から来るからね」
そういうと、公は彩の部屋を出ていった。
公がドアを閉めるまで、彩は寝床から体を起こして手を振っていた。
・・・
それからというもの、公は学校から帰ると真っ先に彩のところへ駆けつけるよう
になっていた。
といっても、当時の主人家と長谷川家はお隣同士だったので、玄関
を飛び出せばものの１分もせずに彩の部屋へアプローチできたのだが。
よくよく話を聞いてみると、彩は産まれつき体が弱く、小さい頃から入・退院を繰り返しており、
そのせいで学校にもほとんど行っていなかったのだ。３年生になってからは始業式
の日に１度顔を出しただけだったという。
そんな日々のせいか、彩は言葉も少なく、肯定する時は「コクッ」、否定の時は
「ふるふる」という反応しか示さなかった。しかし、三日と空けず公と会っている
うちに次第に打ち解けてきて、ポツリポツリとだが言葉が出るようになっていた。
そして公もまた、家からおやつやジュースを持ち出しては彩と分け合って飲み食い
してみたり――さすがにこれは母親にバレてこっぴどく叱られたが――、授業で書いた絵や習字を見せたりと、彩の興味をひこうとしていた。
ゴールデン・ウィークのある日のことだった。
公は三日三晩かけて組み上げた飛行機のプラモデル――かつてわが国がアメリカと矛を交えた大戦争の折に活躍した名戦闘機「零式艦上戦闘機」の模型――を小脇に抱えて長谷川家を訪ねた。それは先日、
９歳の誕生日に父親に買ってもらったやつである。
彩から話を聞いていたのか、公はほとんどフリーパスで部屋に通される。
「あっ……、来て……くれたんですね……」
彩は心からの笑顔で公を迎える。
「ねぇ彩ちゃん、今日は彩ちゃんにいいものを持ってきたんだ。見せてあげるね」
そういうと、公は後ろ手に隠していた模型を彩の前に差し出す。
「わぁっ……、
公くん、手先……器用……なんですね……」
「彩ちゃんに喜んでもらいたくって、三日三晩かけて作ったんだ、これ」
「………………」
ふたりはしばらく、黙ってその模型を眺めていたが、やがて彩が口を開く。
「飛行機……お好きなんですね……」
公は力強くうなずく。
「うん。
飛び上がる時にね、お尻がフワッとする感じ……、あれがいいんだよ。
それにね、父さんが言ってたんだ。
『たとえ地面でどれだけ雨が降っていても、雲の上に出ると、絶対に雨は降らないんだから……』
って」
「…………」
目を閉じて、公の話す「雲の上の世界」にいる自分を想像している彩。
「だから僕ね、おっきくなったらパイロットになりたいんだ。
そしたら、彩ちゃんを一番にその飛行機に乗っけて飛びたいなぁ」
「いいなぁ……。男の子は夢があって」
「ところで、彩ちゃんの夢はなに？ 将来、何になりたいの？」
「………………」
首をふるふるさせる彩。
「まだ……、分かりません……」
・・・
そうやって公と会っているうちに、彩の体調は徐々によくなっていった。
が、その分、公は男友達とのつきあいが悪くなり、
「わぁい、主人は長谷川に惚れとるぅ」
などとはやしたてられることもあった。
それを察したのか、ある時、彩がこう言ったことがある。
「ごめんなさい、公くん……」
「？」
「おばさんに、聞いたの……。
私のせいで……、私なんかと会っているせいで……、クラスのみんなに笑われて
るんでしょ？」
「そんな、彩ちゃんが気にすることないよ」
「でも……」
「いいの。僕がここにいたいからやってるだけなんだから」
「………………」
天使が通って、公が口を開く。
「彩ちゃん、あのね」
「？」
「いつか、彩ちゃんの病気が本当に治ったら……、僕、彩ちゃんをお嫁さんにして
あげるね」
その発言に、彩は心底驚いた表情を浮かべて
「公くん、本当？」
「うん、約束だよ」
彩は右手の小指を差し出して
「それじゃ……指きり……しましょ」
公が同じように指を絡める。
「ゆ〜びき〜りげ〜んま〜ん、嘘ついたら針千本のぉ〜ます。ゆぅ〜びきった！」
そして、10月半ばのある日。
公はいつものように長谷川家を訪ねていた。
公が部屋の戸を開けると、それを待ちかねたかのように彩が駆けよってきた。
「公くん、聞いて聞いてっ。
私、来週から学校に行ってもいいって！」
「彩ちゃん、それホント？」
コクッとうなずくと、彩は最初の口調のまま続けた。
「今日お医者さんで診てもらったら、『もう普通の学校に行ってもいい』って言ってくれたの」
「よかったぁ！」
歓喜を爆発させ、彩をきつく抱きしめる公。
「公くん……、苦しいよ……」
彩にそう言われ、公は腕を緩める。
「ゴメンゴメン。でも、本当によかったね」
そういうと、彩は少し表情を曇らせる。
「でも……」
「でも？」
「私……、いままで……、あまり学校に……行ってなかったから……。
行ったら……、何て言われるか……、心配で……」
つぶやくようにそういった彩に、公は自分の胸をドンと叩いて、
「心配するなよ。何かあっても、僕が守ってあげるから」
と、諭すように言った。
「……あ、ありがとう……」
しばらくして、公が口を開いた。
「そうそう。僕も彩ちゃんにいっておきたいことがあったんだ」
「え？ 何ですか？」
「僕、今度の日曜日、三磯神社での『わんぱく相撲大会』に出るんだ。
もしよかったら、見に来てくれる？」
いつものようにコクッとうなずく彩。
「……あの、頑張って、ください。
私、一生懸命、応援……しますから」
・・・
「……公さんの『初恋の人』だったんですね、そのひと」
公と写真を交互に見比べながら、真奈美が言った。
「ええ。
まだあの頃はガキだったから、後先考えずにモノ言ってることがみえみえでした
けど……、いい思い出です」
公は言葉を続けて、
「ところで、先輩の『初恋』って、いつですか？」
「えっ？」
驚く真奈美に公は、
「いやぁ。僕ばっかり話すのもなんですから、ちょっと聞いてみたいなぁって気が
しまして……」
「……………………」
頬を赤らめながら、うつむいてしまう真奈美。
「？ どうしました、先輩？」
公が真奈美の顔を覗きこむと、真奈美は公に聞こえるか聞こえないかと言うくら
いの声で、
「い、いまです……」
と。
「え？ よく聞こえなかったんですけど」
さらに公が聞き返すと、
「わ、私が……はじめて……す、好きに……なった……男の……人って……、こ、
公……さん……なん……です………………」
真奈美は耳たぶからうなじまで真っ赤になって、そう答えた。