第52話「どきどき！ 進路相談」
４月７日。
公はいつもより早く目が覚めた。
ベッドに寝転がったまま時計を見る。針は５時１分を指していた。
公は時計の側にある写真立てに視線を移す。その写真立てには、美しく長い黒髪
をしたはかなげな少女――真奈美が写っている。
彼にとって、この世の「善なるもの」をすべて体現する存在である真奈美の写真を
眺めながら、公は語りかける。
「先輩……。昨日、うちの部にも新入部員が３人入ってきましたよ。
見た感じ、結構骨のありそうな子ばっかりなんで、部長としてはすごく心強いです。
いつか、先輩が学園に遊びにきたときに、そいつらを紹介しますね」
そして、公は写真の真奈美にそっとキスをする。
「それじゃ、先輩も大学のお勉強、頑張ってください」
・・・
朝食のあと、公はもう一度部屋に上がって制服に着替える。
その後、公は机の上に置いてあった紙を取ってかばんへ入れる。
それは昨日、ホームルームの時間に担任の教師から配られた、進路に関するアンケート用紙だ
った。
これによって進学・就職の各コース別に区分けをし、今後の進路指導の参考にするとのことである。
「それじゃ、先輩。行ってきますね」
机の上に移動させた真奈美の写真にもう一度口づけすると、公はかばんを取って
部屋を出る。
学校への道。
・・・
余談を戻して……。
放課後になった。
公は芝田や他の部員と共に、昨日入部申し込みをしてきた１年生を面接していた。
今回の新入部員は３人。いずれも男子ばかりだ。
「１年Ｃ組、小野坂昌文です」
「１年Ｄ組、上田祐也」
「１年Ａ組、高木 収です。よろしくお願いします」
３人の自己紹介が終わると、今度は公たちの番だ。
「うん。僕がここの部長をしている主人 公。
そしてこちらが、副部長の永倉えみるさんです」
公はそばに立つえみるを指して紹介をする。
「はじめまして。永倉えみるです。
『えみりゅん』って呼んでね」
３年生になっても全然変化のないえみるの自己紹介に、思わず苦笑する芝田であ
った。
そのあとに明日香、榎本を筆頭とする新２年生部員の紹介が終わり、最後に公が、
「で、こちらがうちの部の顧問、芝田先生。
みんなは『シゲさん』って呼んでる……」
と言いかけたとき、校内放送のスピーカーが鳴った。
「お呼び出しをいたします。
３年Ａ組の主人 公くん。３年Ａ組の主人くん。
進路指導の高橋先生がお呼びです。
校内におりましたら、至急、職員室までお越しください……」
「？ なんだろいったい」
空中に疑問符を浮かべる公。
「公くん、今日出した進路のアンケートに何か変なことでも書いたの？」
えみるが聞いてくる。
「わからん……。とにかく、あとはこっちを頼む」
そういうと、公は部屋を出て職員室へ向かった。
職員室。
公が入り口で申告すると、高橋は奥のほうから声をかけてきた。
年の頃は50代前半、幾分薄く、白いものの混じった髪をポマードできっちり７・
３に分けている。
高橋は公を奥の応接セットに導いた。
「……さて、主人くん。きみを今日、ここへ呼んだのは他でもない」
そういうと、高橋は１枚の紙片をテーブルに置いて公に示した。
それは今朝のホームルームで公が提出した、進路に関するアンケートの紙だった。
「このアンケートによると、きみは自衛隊へ進みたいらしいな。
しかも『航空学生』と細かく書いてあるな」
確かにそこにある文字は、紛れもなく公のものだった。
「……きみは成績も大変優秀なようだから、分かってくれると思っていたんだが……」
高橋はつぶやくと、煙草に火をつけた。
「あの……。先生、話が全然見えないんですけど……」
公が聞き返してきた。無理もない。
この男――高橋はしばしば、途中の過程をすっ飛ばしていきなり結論から話をはじめる癖があり、そのせいか「言語明瞭・意味不明」な話になってしまうので、ほとんど全ての生徒から煙たがられている。
「主人。悪いことは言わん。
自衛隊に行くのは止めてくれんか」
高橋は言いたかったことを公に告げた。
「！ どうしてですか!? ちゃんとわかるように説明してください。
僕は将来、空や宇宙に関われる仕事がしたいんですよ。
それに……」
空中に２個の感嘆符と疑問符を１個浮かべて、公は反論した。
「そういう仕事がしたいなら、普通に『ちゃんとした』大学へ行って、そのあとで航空会社に就職するなり、方法はいくらでもあるだろう。
きみの今の実力なら、一流大学も夢ではないんだぞ」
実際、公はこの学校へ入学したのも半分滑り込みで、最初の期末試験では、後ろ
から数えた方が早いくらいの成績だったが、「真奈美」という目標を与えられたことで
急激に実力をつけ、先の学年末試験では、上位20傑に食い込む成績をとっている
のだ。
高橋は言葉を続けて
「いいか主人。
日本はなぁ、憲法で戦争放棄をうたった世界唯一の国家なんだ。
その憲法に違反している人殺しの集団・自衛隊に、わざわざ志願するなんて……、
きみは自分のやろうとしていることが分かっているのかね？」
「………………」
一方的にまくし立てられ、黙っている公に、高橋は更に追い討ちをかける。
「かつてその昔、日本軍は独占資本の尖兵としてアジア諸国に出兵し、多くの人民
を苦しめ、踏みにじるという、未来永劫ぬぐいきれない大罪を犯してきたのだ。
それに対する謝罪と補償はまだ終わっていない――否、この国の歴史が続く限り終わることがないだろう。
そしていま、日米独占資本の尖兵として、『自衛隊』と名を変えた日本軍は国連と
いう名のもとに、アジアへの侵略を再び始めようとしているんだぞ。
いいか主人、きみのやろうとしていることは、独占資本家どもの走狗になって、
アジア侵略の尖兵になることなんだ。
若者なら若者らしく、自由を愛し、勤労人民のための社会を建設するために力を
尽くすべきじゃないのかね？
……まったく、家でどういう教育を受けてきたんだか、親御さんの顔が見たいね」
そこまで言うと、高橋はタバコを灰皿でつぶして、
「とにかく、この志望では受け付けられませんし、私も進路指導の担当として責任
を持てません。
親御さんともよく相談して、明日までに再提出すること。いいね」
そういうと、予備に持っていた新しいアンケート用紙を公に突きつけた。
・・・
公はうなだれた表情のまま生物準備室へ戻ってきた。
「兄ちゃん、どうした？」
声をかけてきた芝田に、
「シゲさん、ちょっと時間あります？」
公が声をかけると、芝田はうなずいた。
「ちょっと、付き合ってもらえます？」
芝田は公に目配せすると、今度は他の連中に向き直って、
「よし。永倉、いつも通りはじめてくれ。
星野は１年どもを頼む」
と言った。
他の部員たちが鳥小屋の方へ去り、部屋には公と芝田が残される。
「……さてと、話を聞かせてもらおうか？」
芝田は窓際の自分の机に身を預けていった。
「シゲさん。
実はこないだ配られた『進路相談』のアンケートで、俺、自衛隊って書いたら高橋
の先公が……」
「あいつが、何か言ったのか？」
「自衛隊に行くのだけはやめろ、って。あいつに言わせると、自衛隊は『人殺し集団』だ
そうですし……」
そう言った公の説明に、芝田は椅子に背を預けて
「あぁ、あいつ――高橋はああいう奴だからなぁ」
と溜息をついた。
どうやら芝田も、職場の同僚としての高橋にはいい感情を持っていないようだ。
公は高橋に持たされた新しい用紙を芝田に見せて
「で、親とも相談して、明日までに再提出しろってこれを」
と言った。
「親に相談しろっていっても、俺の両親は大阪だし……」
「あの野郎、ほんと現実無視なこと言いやがるよなぁ……
どっかからなにか受信してんじゃないのか？」
再び溜息をつく芝田。
「どうしましょう、シゲさん？」
「どうするったって……、基本的にこれは、おまえ自身の問題だからなぁ。
兄ちゃん自身は、どう考えてるんだ？」
芝田に聞かれると、公はしばし腕を組んで考えていたが、やがて
「……やっぱり俺、最初に書いたように自衛隊以外には考えられないです。
さっきは高橋にまくし立てられて言えなかったけど、俺、杉原先輩のことを一生
守っていきたいから……。
そのために、もっと体も心も鍛えていきたいから……。
だからこそ俺は、あえて自衛隊に……」
「でもよぉ、真奈美くんのため『だけ』だったら、別に自衛隊なんかじゃなくてもいいんじゃないか？
そのためだったら、警察とか消防とか海保とか、それなりに別の道もあるわけだし、それに――おまえから前に聴いてるけど――『パイロット』だったら、普通の航空会社に行く道もあるし……」
芝田が当然の突っ込みを入れるが、公は苦笑しながら
「シゲさんも、早秀と同じこというんですね……。
その両方をいっぺんにできるのが自衛隊なんですよ。
あそこの『航空学生』ってコースだったら、高卒から受験できますし、うまくすれば22、3でパイロットになれるんですから」
その言葉に、芝田は公の並々ならぬ決意を感じた。
「兄ちゃん。明日、俺もついていこうか？
俺もあいつには、常々含むところがあるからな」