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第55話「ぶっとび！　猛特訓(後編)」

「……よっしゃ、そういうことやったらウチに任せとき。
　短期間で力つけて、その対抗戦とやらに間に合うようにしたるさかい」
　そう言いきった紅蘭に、公と早秀は当然の質問をぶつける。
「大丈夫かな？　きみに任せて」
「大丈夫大丈夫。なんもかもウチに任せてくれたらええから。
　ほな、明日、クラブ終わったら実験室に来てくれる？」
「分かった」

　・・・
　次の日の夕方。
「おーい、紅蘭。来てやったぞぉ」
　実験室のドアに向かって公が声をかけると、
「あぁ、公はんに早秀はんかいな？
　ちょっと待って。いま、準備してるさかいに」
　と、関西弁の返事が聞こえる。紅蘭はまだ在室しているらしい。
　１分後。
　実験室に入った公と早秀は、紅蘭のいる机の上に妙な物体があるのを見た。それは、 金属製のいくつかの輪っかをバネでつないだものだ。
「紅蘭……」
「？」
「なに、それ……」
　公が当然の質問をぶつけると、紅蘭は
「これか？　これがウチの新発明や。
　名付けて『実用新案・ハイパー野球人養成ギプス』や」
　と誇らしげに言う。
「なんかこれ、昔どっかのマンガで見たような記憶が……」
　とつぶやく早秀。
「そこ、何ブツブツいっとる？」
「いえ、何も……」
　早秀が冷や汗を垂らしながら答えると、紅蘭は
「ほら、つべこべいわずにとっとと服脱いで、このギプスつける！」
　と命令口調で告げる。
　両手・両足に輪っかをはめ、それぞれにバネを渡して固定する。
　最後の１本をはめようとしたとき、紅蘭が後ろから声をかけた。
「あぁ、そのバネ、けっこうきつく設定してあるから……」
「えっ？」
　公がその声に振り向いたその瞬間、限界まで引っ張られたバネが元に戻り、公は
「はうっ！」
　と奇声を張りあげる。
「気ぃ抜いたらバネ戻るさかい、注意しぃやって言おう思てたのに……」
「そういうことは……もっと先にいってくれ……」
　痛みに顔をしかめながらうなる公。
　一方、なんとか無事にギプスを取り付けた早秀は、あまりの痛みに脂汗を大量に 流していた。バネが体毛や肉にはさまっていたからである。
「これを今日から３日間、寝るときと風呂入るとき以外はずっとつけてること。
　ウチの計算やと、それをやっといたら、けっこう筋力つくさかい。
　ほな、あんじょう気張ってや」
　と紅蘭。

　それから３日間、公と早秀はギプスに翻弄されてのたうちまわっていた。
　何しろ、少しでも気を抜くと伸びきったバネが戻ってくるのである。第三者から 見ると、わけの分からない踊りをしている二人は精神に変調をきたしたか、さもなくば怪しげな 新興宗教の信者かのように見えただろう。
　そして、約束の３日後。
「こ……紅蘭。
　約束通り……してやったぞ……」
　この３日間、「ハイパー野球人養成ギプス」のバネに翻弄されつづけていたふたり は、ぜぇぜぇ息を切らしながら紅蘭に訴えた。
「……その様子やと、ふたりともズルはせんかったみたいやな。
　ま、どっちゃにせよ、よう頑張った。
　ほな、もうギプス外してもええで」
　紅蘭がそういうが早いが、ふたりは――年頃の娘が前にいるのも構わず――着て いたものを取って、いままで着ていたギプスを脱ぎ捨てた。その体には、ギプスの バネで体毛や肉を挟んでできた無数の傷がある。
「服着たら、グランドに来てみぃ。ええもんあるさかい」

　グランド。
「紅蘭。今度は何の練習だい？」
　公が尋ねると、紅蘭は笑みを浮かべて
「次のトレーニングは……これやっ！」
　と叫ぶ。
　見ると、ホームプレートの上に怪しげな機械が乗っている。
「これもウチが作った最強ノックマシーン『Ｇ−55号』や！
　ほな、時間もあらへんし早速いくで！」
「ちょ、ちょっと待って」
「こ、心の準備が……」
　紅蘭はふたりの叫びを無視して、マシンを作動させる。たちまち、無数のボール がふたりめがけて飛んでくる。
「おっ、ごっ、はおっ……」
「ほぼっ、べべっ、ぶっ……」
　次々と飛んでくる打球に翻弄され、のたうちまわるふたり。
「まだまだ！
　これが済んだら、次はウチの最強バッティングマシン『マツザカくん１号』で打撃 練習やでっ！」
　マシンのコントローラーを握りながら、紅蘭は叫んでいた。

　・・・
　この猛特訓を、密かに見ている影があった。美由紀だ。
「主人くん……、丹羽くん……。
　あんなにボロボロになって、宗次郎さんのために……」
　シャワーのように飛んでくるボールを必死に追う二人を見て、美由紀はそうつぶ やくと、きびすを返してどこかに消えた。

「……おい、公。
　俺たち……生きてる……よな？」
「たぶん……そう……思う」
「公……。ここ……、ガッコの……グランド……だったよなぁ？」
「あぁ……」
　地面に大の字に寝っ転がり、胸を激しく上下させながら、二人は言い合っていた。
そんな二人に、別の二つの影が駆け寄ってくる。
　近寄ってきた影は二人を抱え起こすと、
「おい、起きろ！　主人」
「丹羽くん、起きてください」
　と口々に叫ぶ。
　それを聞いた二人、うっすらと目を開けると
「あぁ……沖田に……」
「保坂さん……!?」
「おまえら、いったいここで何してたんだ？」
　沖田が詰め寄ると、公は
「なにって……特訓。
　おまえらのやってる野球のレベルに……近づくために……」
　と弱々しく返事する。
「またそんな無茶を……。俺たちの――俺と、美由紀のために……」
　そういった沖田に、早秀は目だけで笑いながら、
「俺たち……美人の女の子の涙を見ると……放っておけない性分なんでね……。
　この性分だけは、一生治らんよ……たぶん……」
　とうそぶいた。
「ま、まぁ……」
　早秀の言葉に、その場にいた唯一の該当者である美由紀は頬を赤らめる。
　そして公も、
「そっ、俺たちはまたの名を『三磯国際救助隊』って呼ばれてるんだ」
　と調子を合わせる。
　もっとも、この二人にはかつて「杉原真奈美」という少女を救うべく、強大な武闘 派ヤクザと渡り合った実績があるので、あながち大言壮語とも言えないのだが。
「おまえら……」
　苦笑する沖田だった。

　・・・
　試合の当日になった。
　今年は三磯学園側がホーム・きらめき高校がビジターである。
　一塁側の三磯側ベンチ。
「11」「12」の背番号をつけた新しいユニフォームに身を包んだ公と早秀が、それ ぞれの想い人――真奈美と明日香に向き合っている。
「公さん……試合、頑張ってくださいね。
　私……私……、一生懸命応援してますから」
「大丈夫ですよ。
　僕たち、今日のために特訓してきたんだから」
　不安げな真奈美に、そう笑って見せる公。
「ねぇ早秀。
　せっかく出るんだから、一発大きいの、ガツーンとかましてきてよ」
　無邪気に声をかけた明日香に、早秀は苦笑しながらも
「おいおい……。ま、明日香がそこまでいうんなら、やれるだけやってみるさ」
　と胸を張る。
「それにね、この試合終わったら、杉原先輩直伝の『あーちゃん弁当』が待ってるん だからね」
　明日香はそういうと、早秀にウィンクしてみせる。
「あぁ〜、いいないいなぁ、早秀だけ。
　星野さん、俺にも弁当ないの？」
　駄々っ子のように、明日香にせがむしぐさをする公。
「公くん。あんたにはアタシなんかより、もっとかわいい奥さんがいるんじゃない？
　浮気は、ダ・メ」
　明日香は隣にいる真奈美を指す。
「それとも、今から乗り換える？」
　明日香につっつかれ、
「……やめとく。
　俺、前に一度それやってひどい目にあってるし、今度やったら、それこそ確実に 刺されそうだから」
　と肩をすくめる公だった。
「うふふっ……。
　心配しなくても、公さんの分はちゃんと用意してありますから」
　真奈美は、子供をあやすような表情で公に話しかけた。
「……お〜い、主人に丹羽。
　そろそろ試合始まるぞ！」
　キャプテンの土方が呼んできた。
「それじゃ、先輩。行ってきます」
　公はそう言うと、右手の人差し指と中指を自分の唇に一瞬つけ、それを真奈美の 額に一瞬押しつけると、きびすを返してホームプレートへ走っていった。
　真奈美は公の大胆な行為に赤面しながら、背番号「11」をつけたユニフォームに 身を包んだ彼の後ろ姿を見送っていた。

　さて、この試合における両校の先発メンバーは次の通りである。

　三磯学園は、沖田と島田が抜けた以外はレギュラー・メンバー。対するきらめき 高校は、過日の選抜大会でベスト８に残った時の主力メンバーをメインとしている。
　きらめき高校の意気込みが、この点からも伺える。
　なお余談であるが、三磯学園の２番・永倉選手は、生物部副部長・永倉えみるの いとこに当たる。

　閑話休題。
　三磯側が守備位置につくと、審判は右手を上げて 「プレイボール！」
　と叫ぶ。
　きらめき高校の先頭打者はセンターの中田。過日の選抜大会でも大活躍した俊足 バッターだ。彼が打席に立つと、きらめき側のベンチから
「相手は素人だ。バントでもしてオタオタさせてやれ、カツハル！」
　という声が聞こえる。公はその声を無視して、中田に向かって第１球。
　だが、球ははるかに大きく上へホップしてバックネットへ。早秀が手を伸ばすが、 当然捕れるわけもない。
「へいへい、ピッチャーノーコン！」
　きらめき高校のベンチからヤジが飛んでくる。公はそれに応えるかわりに、中田 へ第２球。今度は中田の胸元を直撃するかのような軌道で早秀のミットへ。思わず、 中田はその場にしりもちをつく。
　立ち上がりながら、公をにらみつける中田。
（この野郎、危ねぇじゃねぇか！）
　負けじと中田をにらみ返す公。
　だが、公の気迫の方が勝っていたのか――何しろ、 かつて愛する女性のために、ヤクザと戦ったくらいだから――、先に目線を切った のは中田。
　これで勝負は事実上ついた。中田は絶好球をみすみす見のがし、三振。
　公は返す刀で、続く和田・藤島も三振にしとめ、１回表を０点で乗りきった。

　きらめきベンチ。
「あのピッチャー、いい根性してやがる……。俺にメンチ切り返してきやがった」
　先頭打者の中田がつぶやいた。
「三磯にあんな選手、いたっけ？」
　きらめき高校の監督・岡路幸男は首をひねった。
「たしか、あそこは部員が10人しかいなかったはずだが……」
「それでなんで『11』『12』って背番号の選手がいるんですかね？」
　他の部員の問いに、岡路は
「よその部から引っ張ってきたのかな？
　だとすると……」
　ブツブツとそういっていた。

　さて、高校野球世界での暗黙の了解事項として「攻守交代は常に全力疾走」がある。
　この了解事項にのっとった攻守交代が行われ、１回裏の三磯学園の攻撃は公から。
　公が金属バットを持って左のバッターボックスに入ると、一塁側から
「公くーん！　かっとばせー」
　という黄色い声と、それより少し小さ目の声で
「公さん、頑張って」
　との声。明日香と真奈美だ。
　公がそれに反応して左の親指を立てると、ベンチ裏の二人――明日香と真奈美は
「あっ、公くんがこっち向いて笑ってくれた！
　ねぇ先輩、見たでしょ？」
「ええ……」
　と喜色満面の表情になる。 　そのやり取りを見ていたきらめき高校の先発・蛯田は
（あの野郎、シロウトのくせに女といちゃつきやがって……。
　きさまみたいな腰抜けがホイホイ行けるほど、甲子園は甘くないんだ！）
　と心で叫びつつ第１球。公はそのスピードに即応できなかったのか、みすみす見 逃してストライク。
　結局この調子で、公の第１打席は三球三振に終わった。
　その後、２番の永倉、３番の原田も凡退。結局、三磯学園も初回の攻撃は０点に 終わった。

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