第58話「ウキウキ！ペアマラソン(前編)」
「……何々、『第１回メモスポ杯争奪・ペアマラソン大会』だって？」
ここは駅前にある「マキシマム・バーガー」の３階。
公は向きあって座る後輩・榎本が差し出した「メモリアルスポット」の最新号――今日発売だったもの――に見入っていた。
「あれ？ 主人先輩、知らなかったんですか？
この話、前号から出てましたけど」
「そうだっけ？ 前のときはそこまで見てなかったな……」
公は後頭部をかきながら榎本に返事した。
「……なになに、優勝したカップルはメモスポの表紙に出られるって？」
記事に書いてある要綱を見ていた公がつぶやいた。
それを聞いた榎本、時代劇に出てくる悪代官のような顔つきになって、
「いいでしょう、これ。
主人先輩もどうです？ 杉原先輩と組んで」
「俺は別にかまわんが、あのひとがどういうか……。
あのひと、かなりの恥ずかしがりだからな。
それより榎本、俺の話よりもおまえはどうなんだ？」
公が聞き返すと、榎本は電気に打たれたように立ち上がり、別のテーブルにいるえみるのところへ駆け出した。
「永倉先輩！ そ、その……ちょっと……いいですか？」
「ふにゅ？ えみりゅんに？」
榎本はうなずくと、持っていた「メモリアルスポット」をえみるの前に差し出して、
「えっと……、その……こ、今度の……ペアマラソン……なんですけど……、
も、もし……よろしければ……、ぼ、僕と……いっしょに……」
と、普段の彼からは想像もつかないしどろもどろとした口調で話しはじめる。
「んーと……」
えみるはあごに指をやってしばし考えていたが、30秒くらいして、
「ごめんなさい……。
えみりゅん……他の人と一緒に出たいから……」
と。
榎本はその場で石化した。
その騒ぎをよそに、公と真奈美は「メモリアルスポット」のページに見入っている。
「いまも榎本のやつと話してたんですけど、これ、おもしろそうですね。先輩。
よかったら、一緒に出ません？」
「えっ、そんな。恥ずかしい……」
頬を赤らめてうつむいた真奈美。
「でも、これって男女ペアでないと出られないから……」
その言葉に、しばらく考え込んでいた真奈美だが、
「恥ずかしいけど……公さんが、面白そうって言うのなら、私……」
その返事に、顔が輝く公。
このふたりの特徴は、一度方向性が決まると話が早いことだ。一分後には、もう
その話題で盛り上がっていた。
ここで、読者諸兄姉のためにこのレースのルールを説明しなければなるまい。
このレースは、三磯神社の大鳥居から裏山を登って、頂上にある祠までの往復を
男女一組で競うものだ。
基本的にどのルートを通ってもよいが、コース上に７箇所のチェックポイントがあり、ここでスタンプをもらわないと次へ進めないことになっている。
また、参加者の健康管理の点から、祠の折り返し点では昼食と簡単な健康診断を
受けることになっている。
……さて、マキシマムからの帰り道。
連れだって歩く公と真奈美。
「大丈夫かなぁ、今度のペアマラソン……」
真奈美が小さく切り出した。
「私、運動とか全然やったことな
いし……、出ても、公さんの足、引っ張ってしま
いそうな気がして……」
足元に視線を移しながら、つぶやくように話している。
しばしの間があって、公が話し出す。
「先輩。別に、そんなこと気にしなくてもいいと思いますよ。
僕はね、先輩と一緒に走れるんだったら、勝ち負けなんて気にしませんから……。
それに……」
「それに？ それに、何ですか？」
顔をあげて聞き返してきた真奈美に、
「先輩が高校行ってたときは、そういう機会ってあるようでなかなかなかったでしょ？ 学年違ってたから。
だから僕、すごく楽しみなんですよ。
なんたって、二人で一緒に走れるんだから……」
真奈美のほうを向いて、そう語る公だった。
背後で走る車のライトが、振り向いた真奈美の顔を照らしていた。
「……そういえば、このマラソンってお弁当タイムがあるんでしたよね？」
真奈美が尋ね返してきた。
公がうなずくと、
「私……当日、お弁当作ってきますね」
そういった真奈美に、
「お弁当ですかぁ。
いいですね、楽しみにしてますよ」
と、これ以上ないくらいの最高の笑顔で微笑みかける公だった。
・・・
日にちは流れ、当日になった。
公たちはスタート地点の受付で参加登録をしていた。
ふたりは受付用紙にそれぞれの名前・年齢・職業を書き込む。
「えーと、男性の方は『主人 公』さん。18歳・高校生。
で、女性の方が『杉原真奈美』さん。18歳・大学生。
これでよろしいですか？」
スタッフが記入事項を読み上げると、ふたりはそれにうなずく。
「それで、本日、お弁当はお持ちでしょうか？」
「はい」
真奈美はうなずくと、大小二つの弁当箱をテーブルに置く。
「では、こちらのお弁当は私どもでお預かりします。
預かり状をお渡ししますので、頂上の折り返し地点でお受け取りください」
そして、受付でスタンプカードとお揃いのゼッケンをもらうと、早速ゼッケンを
身につける。
自分の分のゼッケンをつけ終わった公、思わず隣の真奈美に視線を向ける。その
真奈美は、いつもとは違って白いＴシャツに短パンというかっこう。
（先輩って、本当に何を着ても似合うよなぁ……）
真奈美のそんな姿を見ながら、新鮮な驚きを覚える公。
（特に、この、どうみても筋肉のついてそうにない細い腕とか脚とか……。
抱きしめたら、壊れそうで……）
「あの……、ど、どうかしましたか？」
固まっているように見えた公に、真奈美が声をかける。
「いやぁ、いままで先輩のそういう姿、見たことなかったから、
なんか新鮮でいいかなぁって……」
「そ、そうですか……。
この服、洋子さんが見たててくれたんですよ。今日のこと話したら……」
「道理でぴったりだなぁって思ったら……、そうだったんですか。
洋子さんって、ほんとに先輩のこと、よく知っているんですねぇ」
「そうなんですよ。
私がおむつをしていた頃から……」
そういうと、頬を赤らめる真奈美。
「え？ どうかしたんですか？」
「いいえ、なんでもありません……」
「やっほ〜、公くん！」
ふたりの背後からする声。振り返ると、そこには早秀と明日香がいた。
「あっ、早秀に星野さん。きみたちも出るんだ」
「俺達にそんなこと聞くのは愚問ってもんだぜ、公」
当然といったそぶりで胸を張る早秀。
「そっ。
公くんと杉原先輩には悪いけど、このレースはアタシたちの超ラブラブパワーで
絶対優勝するもんねっ！」
明日香はそういうと、早秀の腕に身を預けてくる。
「おわっ、あ、明日香!? 何もこんなところで……」
しどろもどろになる早秀に、
「いいじゃない、早秀？
だってアタシたち……」
といってウィンクをしてみせる明日香だった。
と、そこへ別の声が。
「やっほ〜、明日香に公くん！」
「夏穂！ あなたも出るの？」
明日香が振り返ると、そこには夏穂がいた。子供向けの特撮ヒーロードラマで
"正義の味方"の役でもやっていそうな風貌の若者が側に立っている。
「も、森井さん。そちらは？」
公の質問に、夏穂は胸を張って
「あっ、みんなにはまだ紹介してなかったわね。
こちらは本郷義昭さん。あたしの"カレシ"なの」
「本郷です、どうぞよろしく。
みんなのことは、夏穂からいつも聞いてますよ」
本郷と呼ばれたその青年は、公たちに向けて頭を下げる。
公は夏穂の耳元に口を寄せると、
「へぇ、なかなか感じよさそうな人じゃない？
いいひと見つかって、よかったね」
とささやく。
負けじと夏穂も
「どお？ びっくりしたでしょ？」
そこへ真奈美が乱入してくる。
「あの……、公さん。
森井さんと、何の話をしてたんですか？」
それに慌てた公、
「い、いや……、な、何でもないです……」
もしもこれがマンガなら、公の背中には超特大の汗が流れているだろう。
「おい、榎本！」
見知った少年――榎本の影を見つけた公は、それを呼びとめる。
「おまえも出るのか？」
そう言った公に榎本は
「ちゃんと相手が見つかったんですよ、先輩」
そういうと、榎本の背後からえみるが姿を現した。
この二人のことを知っていた公は、思わず驚きの声を上げる。
「おまえ、確かこないだ、永倉さんに頼んで玉砕したんじゃ……」
「それがね……、急におととい、永倉先輩が電話かけてきて『一緒に出よう』って頼
まれたんですよ」
それに合わせてえみるも
「だってぇ〜、ダーリンがどうしても用事があるって言ったの……。
でも、えみりゅん、どうしても出たかったから、榎本くんに頼んだの……」
と、もじもじしながら話しはじめる。
「お〜お〜、みんな楽しそうにやってるじゃねぇか」
そこへ他の少年たちとは違う太い声がする。
みんなが一斉に振り返ると、そこには芝田が立っていた。長身の女性――若菜が
側に立っている。長身でいて、かつ鞭のような繊細さを漂わせている若菜と、柔道家のように小柄でがっしりした体格の芝田が並ぶと、まさに凹凸コンビである。
「あっ、シゲさん……」
「芝田先生……」
その場にいた公の仲間たち全員が芝田たちを見る視線の中に、ひとつ鋭いものが
あった。その視線の発進先はえみるだった。
（ダーリン……、用事があるって言ったあの言葉、ウソだったの？
それも……よりによって綾崎先生と!?）
嫉妬を込めた視線で芝田をにらみつけるえみる。
だが、えみるにとって惜しむらくは、そのパワーが肝心の「標的」――芝田に届いていなかったことだ。なぜなら芝田は、そのとき、他の連中との話に夢中になっていたのだから。
そんなこんなでスタート時間が迫る。
公たちは選手たちの群れの中ほどにいる。
「いいですか、先輩。
スタートしたら、みんなドッといっせいに来ますからね。
はぐれないように、しっかりつかまっていてくださいね」
公は真奈美の手をしっかりと握り、彼女を見据えながら言った。
「……はい」
うなずく真奈美。
その真奈美は、スタンプカードの入った透明ホルダーを首から下げている。
時計の短針が「11」の数字をさす。それを見て取ったスターターは、
「用意……」
と叫び、持っていたピストルのトリガーを絞る。
パン！
皮膚を引っぱたくような音がして、ランナーたちはいっせいに走り出した。
「先輩、しっかり僕につかまってて！」
公は隣にいる真奈美に向かって叫ぶ。真奈美も必死に公の手を握り、後方から
迫ってくる人の流れに抵抗する。
と、その横をすりぬけていくカップルがいる。
「公、先に行ってるぜ！」
早秀の声だ。
「兄ちゃん、お先！」
続いて芝田。
「すんません、主人先輩！」
「公くん、お先に！」
榎本・えみる組と夏穂・義昭組が走り去って行く。
そうこうしているうちに、公と真奈美は後方集団に取り残されてしまった。
「……だいぶ、後ろになっちゃいましたね」
「そうですね」
「ごめんなさい。私、走るのとっても遅いから……」
ちょっと泣きの入りかけた真奈美に、公は
「いいんですよ、先輩。別に勝ち負けなんて、気にはしてませんから……。
それよりも、ふたりで頑張って、最後まで走りましょう」
と、子供をあやすように話しかけるのであった。