その日もスタジアムは超満員だった。
３月末から始まったペナントレースもいよいよ終盤。首位争いを繰り広げ、今年のシーズンを大いに盛り上げた両チームともこのゲームを残すのみだった。
そのゲームの先発は両軍のエース同士。好投を繰り広げた両者の前に、両軍の打線はなかなか火を噴かず、２−１で終盤を迎えた。
９回裏、ツーアウト満塁。
打席に立ったバッターはリーグを代表する４番打者。心・技・体ともに充実一途な頼れる主砲だ。
対するピッチャーはそのチームの「抑えの切り札」と呼ばれる男。
甲子園に出場した経験はなく、ドラフト会議でも下位指名、いままで一軍と二軍を行ったり来たりという存在だったが、今シーズンから就任した現監督に見込まれ、一軍定着を果たしたプロ入り３年目――まだ21歳の若手プレイヤー。しかし、そのガッツはチームの先輩をも凌ぐ。
第１球。バッターは見送る。審判のコールは「ボール」。
第２球。バッターはまた見送る。
しかし、ボールはストライクゾーンをわずかにかすめる。
審判は大きな身振りで叫ぶ。
「スットラーイクッ！」
３塁側からは歓声、１塁側からは溜息が聞こえる。
第３球。バッターは初めてバットを振る。
打球はバットをかすめてファールグラウンドへ。これで２ストライク。
第４球。ピッチャーは勝ちを意識してしまい、コースを外す。
審判のコールは「ボール」。
第５球。これも外してボール。
「タイム！」
キャッチャーがタイムを要求、マウンドへ駆け寄る。
「オイ、ブルってるのか？」
ミットで口元を隠しながら、彼はピッチャーに尋ねる。ピッチャーは小さくうなずく。
「気持ちは分かる。だが、何もそんなにビビることはないぞ。いつもの試合と同じようにやればいいだけだ」
そういって、キャッチャーはピッチャーの肩に手を置く。
その手は、やはり震えていた。
「それに……」
続けてキャッチャーは、３塁側スタンドの一点に視線を移す。
ピッチャーがその方向を向くと、そこには一人の少女がいた。ピッチャーの立つ一点だけを向き、祈りを捧げるようにこちらを見ている。
「おまえ、言ってただろ？ 『優勝できたら、Ｖ旅行にあの娘を連れて行く』って。
おまえに励まされ、医者もサジ投げた難病を克服したあの娘のためにも、ここは一つ、おまえの最高の球を放ってこい！」
キャッチャーにそう言われ、ピッチャーはうなずく。
キャッチャーが守備位置に戻り、プレイが再開された。
キャッチャーからのサインは……ない。
（俺の好きな球を放ってこい、ということか）
ピッチャーは続いて、３塁側にもう一度視線を移し、彼のために祈っている少女を一瞥する。
（真奈美……、この一球だけは見ていてくれ……）
心の中で少女にそう呼びかけると、彼はロージン・バッグを落とし、グラブの中の球を握る。
セット・ポジションから、彼は渾身の力を込めて球を放る。
その０コンマ数秒後、バッターがこれまた渾身の力を込めてスイング。
そして……。
≪Ｆｉｎ≫