「３月12日・高松上空3000フィート」
SCENE-01
2000年２月某日・2200時 都内某所・神崎家
神崎明雄は、連日連夜のアルバイトに消耗しきった表情で部屋の戸を開けた。
部屋に入った彼がまず目にしたのは、ベッドサイドの電話機に点滅している発光ダイオードの光だった。
（こ……、この光は……、まさか!?）
明雄は予感を覚えつつ、点滅しているボタンを押す。
電子音の後に、彼には耳慣れた声がする。か細く、いかにも消え入りそうな声だ。
「あ……あの……、もしもし……。
えっと……、真奈美……です……。
最近……、お話してないなぁって、思ってたんですけど……。
今日も……、お留守みたいですね……。
ぐすっ……」
声の主は、明雄の想い人である杉原真奈美だ。明雄の住む街から、距離にしておよそ800キロ離れた四国は高松に住んでいる。
二人が出会ったのはいまをさかのぼること６年前。明雄が家の都合で、横浜から高松へ転校してきたときのことだった。
ある日、明雄は担任の教師の言いつけで、始業式以来一度も登校してこないある女生徒の家に、プリントを届けに行かされた。その女生徒が、真奈美だった。
体が弱く、そのせいでふさぎ込みがちな彼女だったが、明雄が何度も訪ねてくるたび、不思議と彼には心を開くようになった。
彼の有形無形の励ましによって学校へ行く勇気を取り戻し、そして、彼にほのかな恋心を抱きはじめた真奈美だったが……、その「想い」は、半年後の明雄の再度の転校によって凍結させられた。
それから３年。
１通の手紙から再び始まった明雄と真奈美の交際だったが、なにぶんにも東京と高松のこと。そうめったと会えるものではない。
それでも毎日、電話でのやり取りは続いていたのだが、このところ明雄のバイトが忙しくなって連絡が取れないのだ。
真奈美のメッセージは更に続く。
「……あっ、ご、ごめんなさい。
あなたの声が、聞きたい……。
電話……、待ってます……」
真奈美の声に込められた「せつなさ」を感じ取った明雄は受話器を取り上げると、脳内メモリーに焼きつけた電話番号を押しはじめた。
「０８７……８××……××××……」
SCENE-02
同日同時刻 高松市・杉原家
真奈美は眠れなかった。
いつ、東京からの電話がかかってくるかと思うと心配で、居ても立ってもいられなかったのだ。
時折、ベッドサイドに置いた電話機を眺める。
「明雄さん……あのメッセージ……聞いてくれたのかなぁ……」
思い出したようにつぶやく真奈美。
（ねぇ。いったい、いつまで待てばいいの？）
そう思うと、真奈美の大きな瞳には知らず知らずのうちに涙が溜まっていた。
たまらず、両手で顔を覆ってしまう真奈美。
その刹那……。
Trrrr...
Trrrr...
待ちわびたベルの音だ。
反射的に手を伸ばし、受話器を上げる。
「はい。杉原です……」
「真奈美？ 僕だよ……、明雄。
ごめんね。バイトが忙しくなって、電話をかけられなくってさ」
その声を聞いた瞬間、真奈美は喜色満面の表情を浮かべて、
「嬉しい……。私のこと、覚えていてくれたんですね……」
といった。
「忘れるわけ、ないよ。
いつだって真奈美だけなんだからね、僕には」
「はい……。私も、あなただけ……」
「………………」
「………………」
天使が何人か通って、明雄が口火を切る。
「ところで、今度の12日って、真奈美の誕生日だったよね？」
「えっ、覚えていてくれたんですか？
嬉しい……」
ふたたび涙声になる真奈美。
「真奈美も今度で20歳だろ？
今年は、真奈美がビックリするようなすごいプレゼントを用意してるんだ」
「えっ、そ、そんなに気を遣ってもらわなくても……。
私は、あなたさえいてくれたら、他に何もいらない……」
SCENE-03
同日・同時刻 都内 神崎家
（畜生、800キロの距離が恨めしい。
この場に真奈美がいたら、今すぐにでも抱きしめたいのに……）
明雄は真奈美の声を聞きながら、脳内の独立した部分でそんなことを考えていた。
それからたわいもない世間話に花が咲いていたが、やがて……。
「あっ、いけない。もうこんな時間だ。
それじゃ、あまり遅くなるといけないからこれで……」
そこまで言って、明雄はふとあることを思い出した。
「そうそう、言っておかなきゃならないことがあったんだ」
「えっ、何ですか!?」
「12日の午前０時になったら、庭で懐中電灯をつけていてほしいんだ」
「か、懐中電灯……ですか？」
不思議がる真奈美に、
「いいかい。その光を、東の方角に向けて照らしてほしいんだ」
「……はい。あなたの頼みなら……」
「うん、頼むよ。
……それじゃ、おやすみ。
愛してるよ……」
「私も……、おやすみなさい……」
東京と高松を結んでいた回線は切れる。
明雄は電話のフックスイッチを押すと、今度は別の番号をプッシュした。
「……ああ、勇太。俺だよ。
例の件、セッティングよろしく」
SCENE-04
３月11日・1600時 東京都下・調布空港
格納庫。
明雄は二人の男とともに、最後の点検をしていた。
これから乗り込む飛行機――デ・ハビランド・カナダ社製の双発小型ターボプロップ輸送機、DHC-6「ツイン・オッター」――に積み込む19個の荷物。包装に欠陥はないか、入念に調べる。
チェックが終わると、それぞれの荷物にパラシュートを取り付ける。
荷物を積み終わると、パイロットの「勇太」といわれている男が、明雄ともう１人の男に状況説明をはじめた。
「いま傍受した米軍の気象情報によると、ETA（目標到着時刻）の目標付近の天気は晴れ。風もそんなに吹かないそうだ。
従って、進入針路は予定通り、軽井沢〜大町〜松本〜軽井沢の順で繰り返す。１回目のパスで３個、２回目からは２個づつ落としてゆく。
明雄は予定通り、10回目のパスのときに降りてもらう」
勇太の言葉を要約するとこうなる。
もと航空自衛隊のパイロットだった勇太は、自機の侵入目標を松本市と想定して行動している。つまり、ここでいう「軽井沢」は、その目標におおむね東の方から進入することを指し、「大町」とは目標を通過後、そのコースをいったん北――右の方へ旋回させることを指す。
明雄は勇太の示した進入コースを現実の地形と照らし合わせ、うなずく。
やがて、明雄と勇太を乗せた飛行機は調布空港を飛び立った。
いったん八尾空港に着陸し、時間調整と給油を行って再び目標へ行く。
SCENE-05
同日・2355時 高松・杉原邸前庭
（明雄さんはああ言ったけど、いったい、何をするつもりなのかしら？）
真奈美は家から持ち出した懐中電灯を片手に、そんなことを考えていた。
電話の指示では、０時になったら懐中電灯を東に向けて照らすように言っていたのだが、いまになっても真奈美には意味が分からない。
実はあの電話の後、何度か電話をする機会があったので聞いてみたのだが、いつも都合よくはぐらかされてしまう。
明雄の言うことは100％信じている真奈美だが、今回に限っては疑問符がつきそうだ。
そうこうしているうちに時間がきた。
言われた通り懐中電灯を点灯し、地面に斜めに立てておく。
その光は、きっちり東を向いていた。
SCENE-06
３月12日・0000時 高松・杉原邸東南方上空3000フィート
空に一筋の光が上がる。
操縦席に座る勇太は、それを見て叫んだ。
「ウェルカム・パーティー(歓迎委員会)発見！
明雄、お名残惜しいが、そろそろ支度だ」
それを聴いた明雄はうなずくと、客席に座っているもう１人の小男に
「やってくれ」
と小さく言った。
小男はうなずくと、積んできた荷物を３個投げ落とす。
機体は杉原邸の上空をフライパスすると、一度右に旋回して大きな輪を描いてから再度左へ切り返し、もう一度杉原邸へ突入して荷物を投下する。
SCENE-07
同日・0003時 杉原邸前庭
真奈美の耳に、聞き慣れぬ爆音が響いた。
と同時に、謎の物体が空中に舞う。
空中の物体は途中でパラシュートを開き、速度を落としつつ落下。着地すると、物体の蓋が自動的に開く。
駆け寄った真奈美がそれを見ると、中身はバラの花束だった。
それぞれにメッセージカードが添えられている。
「俺がこの世で唯一、愛する女・真奈美へ。
きみの生きてきた20年間の時間。そして……。
これから二人で寄り添って歩む『未来』に乾杯！
2000・3・12
SCENE-08
同日・0020時 杉原邸上空3000フィート
「勇太！ そのまままっすぐ、光の方へつけてくれ！」
ジャンプスーツに身を固めた明雄は、操縦席に向かって叫んでいた。
操縦桿を握る勇太は、必死に機体を降下針路へもって行く。
「ようし、ちょい右……、いや、ずれた。１度左……、ボムロード、アライン！
そちらの準備はいいか？」
明雄の方に向かって叫ぶ。
「ＯＫ。やってくれ」
「降下10秒前……、５秒前……３……２……１……、ナウ！」
勇太の叫びに合わせて、明雄は機体の床を蹴って空中へ飛び出す。
降下目標となる懐中電灯の光を確認して、リップコードを引く。
すとん、がくんという衝撃がしてパラシュートが開き、明雄は体が上に引っ張り上げられるような感覚に襲われる。訓練通り、そのまま全身の力を抜いて体をスイングさせる。
３往復目に入る前に、コントロールを自分のものにした。
FINAL SCENE
同日・同時刻 杉原邸前庭
明雄が飛び降りる準備をしていた頃、真奈美は庭に落ちてきた荷物――花束を拾い集めていた。
「えっと、これで19個目よね……」
真奈美がつぶやいていると、東の方からまた爆音がやってきた。さっきからここに花束を落としていた飛行機だ。
その飛行機、今度は人間らしきものを投下した。
（え!? 何、なに……）
真奈美がいぶかっていると、パラシュートが開いてそれが人間であることが分かる。
まもなく人影は真奈美の目前で着地。パラシュートを外すと、彼女に駆け寄ってくる。
「真奈美！ 20回目のお誕生日、おめでとう」
真奈美に向かって叫んだその人影は明雄だった。
真奈美も駆け寄り、ジャンプスーツ姿の明雄と抱き合う。
しばらくお互いのぬくもりを感じあっていた二人だったが、やがて明雄が離れ、抱えてきた最後の花束を差し出していった。
「さっきここへ降ろした花束は、いままできみの生きてきた時間。
そして、いま僕が持っているのが20個め。
この20個めの花束を、僕たちの新しいはじまりとして……」
といって、抱えてきた花束を真奈美に差し出す。
「はい…………」
「いま、改めて、言わせてほしい。
『真奈美……、僕は……、きみだけを……、愛してる……』」
再び抱き合ったふたりのシルエットは、夜の闇に溶け込んでいった。
真奈美の20回目のバースデーは、はじまったばかりである……。