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Sentimental Graffiti 1 After stories vol.3
「新しい命――もうひとつの誕生日」

作者注：この作品は以前に発表した
「こたつでテレビ」 及び「季節外れの里帰り」の続編です。
そちらと合わせてお読みいただけると、より楽しめるかと思います(^^)

　ある日の夜。
　俺と真奈美はいつものように小さなテーブルに向きあって夕食をとっていた。
　ちなみに、いまテーブルに並んでいる料理は俺の作ったもの。
「い、いつもごめんなさい。
　ただでさえお仕事で疲れてるでしょうに、こんなことまで…」
　そういう真奈美に俺は
「いいっていいって。
　いつも言ってるだろ？　こういうことってさ、俺たち――男にはどうしても 入れない部分があるんだから、俺にできることはやらせてくれって」
「それはわかってるんです。けど……」
　なおも不満そうな真奈美に、俺は少し声を潜め加減に
「ほら、そんな顔してると……」
　真奈美の膨らんだお腹に視線を落としながらささやく。
　それでやっと真奈美は
「そ、そうですね……」
　と納得してくれる。

　……そうなのだ。
　いま、真奈美の中には、俺と彼女がこれまでゆっくり育んできた「愛の結晶」 ――はじめての赤ちゃんがいる。
　去年の夏、真奈美からその事実を聞かされたときには正直嬉しかった。

　それからというもの、俺たちの周りはまだ見ぬ赤ちゃんを中心に回り始めた。
　しばしばある産婦人科の定期検診に、会社を休んで律儀につきあい、出産や 育児に関する雑誌を買ってきては「これは」という部分に蛍光マーカーで線を 引き――まるで学生時代のテスト勉強みたいに。
　ベビー用品を見て回ったり、本屋で買ってきた「赤ちゃんにつけてあげたい名前」とかいう姓名判断の本とふたりで首っ引きになりながら「男の子だったら……」「女の子だったら……」と、生まれてくる子供につけてやる名前を考えたり……。
　当然のことながら、真奈美にとって生涯ではじめて体験する「妊娠」という イベント。
　もともと体が弱かった彼女のことだから、正直どうなることか心配だったけど、意外にもこれといった問題はなく、赤ちゃんも順調に育っている らしい。
「ねぇ、あなたは男の子と女の子、どっちがいい？」
「うん、どっちでもいいかな」
「そうね……。どっちでもいいですよね。
　丈夫で元気な子だったら……」
　笑いながらそんな話のできる時間が、俺には心地よかった。

　trrr... trrr...
「あ、電話……」
　真奈美がベルに気づいて立ち上がろうとしたが、俺はそれを押しとどめて
「俺が出る」
　と受話器を取る。
「はい。鶴丸でございます」
　電話してきたのは、俺の直属上司だった。
　なんでも、明日どうしても俺に会わせたい人がいるから、大阪まで付き合え ということらしい。
「……困りますよ課長。課長だって知らないわけじゃないでしょ？　俺が明日 休み入れてるってこと。
　明日、カミさんの誕生日＆結婚記念日なんですよ」
　そうなのだ。
　今日は３月11日。
　そして明日――12日は真奈美の誕生日でもあり、いまをさかのぼること12年 前のあの日、真奈美が俺に告白してくれた日でもあり……、
　そして、二人の結婚記念日でもある――だからこそ、この日は例年休みをも らっているのだが。
　なんとかそのあたりを伝えて、休みにしてもらえるよう頼んだのだが、課長 は「向こうの都合がどうしてもつかないから……」と態度を変えない。

　電話を切ったあと、俺は苦い薬を無理やり飲まされたような気分で、
「ゴメン真奈美、電話聞いてたと思うけど、明日……」
「えっ、嘘……。一緒にいられないんですか？」
「そうなんだ、急に大阪まで出張しなきゃならなくなって……」
　そう言いながら、なんとなく「こんなこといったら真奈美泣くだろうな」と、 俺は頭の中の独立した部分でそう考えていた――事実その通りになったのだが。
「そ、そんな……あんまりです……。
　せっかくの、私と、あなたの、記念日なのに……」
「ゴメン、本当にゴメン……」
　俺には、そっと真奈美を抱いてやることしかできなかった……。

　次の日の朝。
　いつもの朝ならば、俺が仕事に出かけるときには真奈美が玄関先まで送って くれて、「いってらっしゃい」と軽いキスを交わすのだが……、今日はそれが ない。
　無理もない。ゆうべの一件以来、真奈美はすっかりふさぎこんでしまったの だから。どうしても外せない仕事のためとはいえ、真奈美には――そして彼女 のお腹にいる赤ちゃんにも悪いことをしたと思っている。
（こりゃ、早いうちに何かで埋め合わせしないとな……）
　そんなことを考えながら近所のバス停へ歩いていると、俺を呼ぶ声がする。
「あら、剛ちゃん。今日は結婚記念日でお休みじゃなかったの？」
　振り返ると、そこには俺よりもかなり年上の老婦人がいた。
　彼女の名前は「北村美佐子」。俺たちの隣に夫婦で住んでいる。
　ここのご夫婦には、俺たちが今の家に引っ越してきたときから何かと世話に なっている。
「あぁ、北村の奥さん。急に仕事が入りましてね……」
「そうなの…。
　そんなことより、剛ちゃんトコの赤ちゃん、もうすぐだったっけ？」
「えぇ、医者の言うには来月の頭くらいになるかと……」
　そんな話をしながらも、俺はなんとなく不安だった。
　いくら、今日急に仕事が入ったからといって、真奈美があんなに落ち込むと は思ってもいなかったわけだし、ましてやいまの彼女は身重だ。もし、真奈美 や赤ちゃんに何かあっては……。

　・・・
　こういうときの予感って、どうしてこんなに当たるんだろう？
　俺が東京駅で課長と合流し、新幹線に乗ろうとした時、俺の携帯が鳴った。 妙な胸騒ぎがする。
　課長に断って物陰に行き、通話ボタンを押す。
「はい。鶴丸ですが…」
「あぁ剛ちゃん、いまどこなの？」
　その声は、今朝道で会った「北村さんの奥さん」――美佐子さんだった。
　受話器越しに聞こえる声の調子がおかしい――相当慌ててるみたいだ。
「東京駅です。これから大阪まで出張で…」
　美佐子さんはその声をさえぎるように
「いい、落ち着いて聞いてね。真奈美ちゃんが……」
「真奈美がどうかしたんですか？」
「病院へ、運ばれたの…」
　なんだって？
「な、なんでまた……」
「ベランダで洗濯物干してたら、急に産気づいたみたいで……。
　ウチの人が気づいて、慌ててタクシー呼んで病院へ…。
　あたしもこれから追っかけ行くんだけど、剛ちゃんは……どうするの？」
「どこの病院？」
　美佐子さんが教えてくれたのは、真奈美がかかり付けになっている産婦人科の 名前。
　真奈美についてやるべきか、このまま大阪へ向かうべきか……。
　俺が逡巡していると、課長がこっちをのぞき込んでいるのに気づいた。
（どうした、何があった？）
　課長の表情がそういっているのを感じた俺は、
「課長、ウチのカミさんが……」
　と、事情を説明しようとしたが、皆までいう前に課長は
「……行ってやれよ。仕事も大事だけど、いまは、奥さんについてやることが 何よりも大事だから」
「課長……」
「奥さん、体が弱いんだろ？　俺もおまえから話聞いてるから、そのくらいの ことは知ってる。
　向こうには、俺からよく謝っておくから……」
　その言葉に踏ん切りがついた俺は、課長に最敬礼すると、そのままタクシー 乗り場へ駆け込んだ。

　病院に着く。
　俺はタクシーの運転手に一万円札を渡し、「釣りはとっといて」と叫ぶと、 大急ぎで病院へ駆け込む。
　真奈美がいると思われる分娩室の前に着くと、開口一番、
「真奈美の具合は？　赤ちゃんはどうなったんですか？」
　待合室にいた北村さん夫婦に質問を叩きつける。
「なんとも、いえんな……」
　扉のほうを向いたご主人が口を開く。
　その視線を追いかける俺。
　美佐子さんから東京駅で電話を受けてからここに来るまで、かなりの時間 が経っているのに、向こう側の様子に変化はない。
　それだけでも、事態の容易ならざること――かなりの難産になっているのが 理解できる。
　いったい、どうなってしまうんだろう……？

　看護婦さんが一人出てきて、真奈美の状況を説明してくれる。
　案じていた通り、もともとの出産予定日よりかなり早く陣痛が来てしまった ところにかなりの難産となってしまい、ただでさえ少ない体力を消耗し尽くし、 このままでは母子ともに危険らしい。
「帝王切開」という方法もあるにはあるんだが、いまの真奈美の残された体力では 100％の成功は保証できないとか……。
　なんてこった。
　絶体絶命じゃないか……。

（俺は、真奈美に何もできないのか？）
　うなだれて廊下のソファに座り込んだ俺の肩に、かかる手がある。
　北村さんのご主人だ。
「こういう時の男ってのは、ただ信じて待つ以外にない。
　あんた、いつも真奈美ちゃんに言ってたんだろ？
『出産だとか育児とか、そういう場面には男がどうしても入れない部分がある から、それ以外のところではできるだけ助けてやりたい』って」
「……」
「いままでおまえさんは、真奈美ちゃんに安心して赤ちゃんを産んでもらえる ようにって頑張ってきたんだろ？
　今度は、真奈美ちゃんが頑張る順番なんだ。
　ここでおまえさんが真奈美ちゃんを信じてやらなかったら、いままでのこと がみんな無駄になるかも知れないんだぞ。
　そうなったら、真奈美ちゃんはもっと悲しむことになるんだからな」
　ご主人の言葉に俺は
「……そうかもしれませんね。いや、きっとそうなんでしょうね……」
　そう返すのがやっとだった。

　分娩室の扉が開いて、看護婦さんが明るい声で呼びかけてくる。
「ご主人様ですか？　どうぞお入りください。
　奥さんもとっても頑張りましたよ！」
「ほら、行ってあげなよ。新米パパさん。
　行ってママと子供に会って来いや」
　背中を押され、俺はゆっくりとその扉をくぐる。

　３月12日。
　俺と真奈美――二人の記念日に、また新しい１ページが加わった瞬間だった ……。


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　【fin】

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