Tokimeki Memorial Side Story
「THE
NIGHT BEFORE」
時計の短針は、既に12の数字を通過し、日付は1998年の３月１日になっていた。
きらめき市内某所、「美樹原」と表札にあるその家。その家の２階、４畳半の洋間にて、いま、一人の少女――同家の次女・愛が眠りについていた。
といっても、その眠りは決して心地よいものではなかった。
それもそのはず。今の彼女は、おそらくこれまでの人生の中で最大のものと思われる、どうにもならぬ問題を抱えていたからだ。
彼女が抱えていた問題――その根源は、机上の写真立てに入っている写真の被写体になっている少年に由来している。
その少年、名は「田安 剛士」という。
そもそも彼女が剛士と知り合ったのは、１年生の冬。縁あって招待された伊集院家のクリスマス・パーティーでのことだった。
その席で、一緒に参加していた中学時代からの親友・藤崎詩織に紹介してもらったのがすべての始まりである。
聞けば、詩織と剛士は小学校からの幼なじみで、家も隣同士らしい。
それ以後、愛は何かと機会を見つけては剛士と会うようになっていた。
元々が内気な性格で、積極的にアプローチができない彼女のこと。「デートの誘い」の大半は、剛士のほうから持ちかけて来ていたが、時には自分から誘うこともあった。
そして、学校の外で会う剛士は、常に彼女のことを第一に気遣い、優しくエスコートしてくれていた。
だが、そんな剛士の優しさが、かえって愛を苦しめる結果になっていたのは「皮肉」とでもいうべきだろうか。
元々が積極的な性格でないところに、剛士が結構鈍感で、なかなか愛の好意に気付こうとしていない――そのように見える。
そこへ持ってきて、剛士はほかの女生徒にも人気がある。
愛が悩むのも無理はなかった。
しかし、こればかりは詩織に相談するわけにもいかない――愛の見るところ、どうやら詩織も、剛士には相応以上の好意を持っているようだったから。
「この気持ち、伝えたい………。でも、それを言ってしまうと………」
「もし、断られてしまったら……、私……………」
そうした思いが、頭の中で無限ループとなって巡っていたのだ。
「それに、卒業したらもう、会えなくなっちゃいそうだし……。
こんな気持ちのまま卒業してしまうのも、嫌……」
先日、愛は――両親の勧めもあったのだが――かねてから志望していた「きらめき信用金庫」の採用試験を受けていた。
一次の筆記試験はなんとか合格。二次の面接試験も――剛士との交際がわずかでもプラスに働いたのか――必要以上にあたふたすることもなくクリアし、４月から市内の本店に仮採用されることが既に決まっている。
そして剛士は「卒業後は自衛隊に行く」といっていた。彼によると、
「もうだいぶ前から、親の脛かじるのは、高校までって決めてたから」
とのこと。つまり、今から約24時間後には、二人は別々の進路に向かって進むことになるのだ。
そんなこんなで、愛はずっと「どうしよう……、どうしよう……」と考えて悶々としていたのだが、やはり睡魔には勝てなかったらしい。フッと意識が途切れ、そのまま眠りに就いてしまったのだ。
（………愛よ。美樹原 愛よ。起きなさい）
「誰、私の名前を呼ぶのは？」
愛が目を開けると、そこには一人の女性が立っていた。
鞭のように細くしなやかな肢体は、純白のシンプルなデザインのドレスに包まれ、腰までありそうな栗色の髪は、どんな銘柄のシャンプーを使えばこうなるのかと知りたくなるほどさらさらしていた。
同じ女性である愛から見ても、素直に「綺麗…」と思えた。
「あなたは、誰？」
（私は、この世界で起こるすべてのことを見守る存在――そう、あなた方の言葉で言えば「天使」というのでしょうか。
もちろん、あなたのこともずっと見守っておりました。
ところで、あなたは「田安 剛士」という御方のことが……）
「…………………………………………………」
愛にとって、その問いかけは図星だった。
（そして、その気持ちを打ち明けたいと思って悩んでいらっしゃるのですね？）
自らを「天使」と名乗ったこの謎の女性、どうやら愛の本心を知っているらしい。
「……………………………………………………は、はい」
ようやく消え入りそうな声で、愛は答えた。
（恐れることは何もありません。告白なさいませ）
「え!? で、でも…………」
（あなたのいる学校には「伝説の樹」なるものがあるそうですね？
卒業の日に、その樹の下で女性から告白して生まれた恋人は、永遠に幸せになれる、という…）
愛も、「伝説の樹」のことは知っていた。
この樹はきらめき高校の看板の一つになっており、この伝説を頼りに他県から入学を志望する女の子もいる、という話は聞いていた。
しかし、愛は半分、「自分には縁のないこと」と思っていたのだ。
（恐れることはありません。きらめき高校の伝説を信じるのです）
天使は、そんな愛に諭すように話し出した。
（私の見たところ、彼の心は、いまやあなた「だけ」に向いております。
あなたも覚えているでしょう？ いつか、あなたがさらわれそうになったときのことを）
その言葉に、愛はあることを思い出していた。
それは去年の春。遊園地でのことだった。
その日、たまたま野外ステージで行われていた「ヒーローショー」を剛士と一緒に見ていたとき…。
「子供たちをさらって戦闘員にするんだ！」
ステージ上の「怪人」が命令するや、突然、数人の戦闘員が飛び降りてきて愛に駆け寄ってきた。
その戦闘員――正確には「戦闘員」役を演じていた俳優――は、どうやら愛を「子供」と誤認したらしい。
愛が捕まってステージへ引っ張られようとしたとき、剛士が突然戦闘員との間に割り込み、無理やり引き剥がそうとした。
それをきっかけに、演技と現実を混同して逆上した戦闘員と大乱闘になり、剛士はかけつけた警備員に取り押さえられてこっぴどく油を絞られたのだが……、
その日の別れ際、剛士はさりげなくこう言ったのだ。
「…俺、美樹原さんじゃなきゃあんなことしないよ」
天使の話はまだ続く。
（……あなたが今の気持ちをぶつければ、きっと、よい返答があるでしょうね）
「じゃ、じゃあ、どうすれば…………」
愛がたずね返す。
（彼の机の中に、メッセージを入れていきなさい。
「伝説の樹の下で、待っています」と……）
「それで、それで本当に、あの人に気持ちが通じるのですか？」
（心配は無用です）
天使は断定的に言った。
（彼はきっと、その手紙を読み、あなたのことだと気づくでしょう。
伝説の樹に彼が来たならば、あなたの今の想いを、まっすぐ、飾らずにぶつけなさい。
この教え、ゆめゆめ忘れないように…………）
そういうと、天使の姿はフェードアウトするように消えていき、愛の視界には、見慣れた部屋の天井が見えるだけだった。
「今のは…………、夢？」
正気に戻った愛がつぶやくと、ドアをノックする音が聞こえた。
「愛、どうしたの？ すごくうなされてたみたいだけど」
その声の主は愛の母親だった。
「ううん、何でもない」
「そう……。だったらいいけど、明日は卒業式でしょ。早く寝なさいね」
そういって母親が歩み去ると、愛は部屋の明かりを点けて机に向かい、引き出しからお気に入りのレターセットを取り出した。そして、真っ白い便箋に
「伝説の樹の下で、待っています」
とだけ書いた。
その朝、愛はいつもより早く家を出た。
「愛、どうしたの？ まだ学校に行く時間じゃないでしょ？」
母親にそういわれたが、愛は
「大事な用があるの」
と答えて玄関を出た。
それから数年後。
美樹原家の両親は、次女が連れてきた田安 剛士なる青年の口から、
「お父様、お母様。
愛さんを、僕に下さい」
という言葉を聞かされることになる……。
《終》