「THE iDOLM@STER」Side Story
「Do You Believe "Destiny"?」
2008年8月17日「コミックマーケット74」頒布
「Do You Believe "Destiny"?」所収
最終話「夢はまだ続く」
…かくして絆を取り戻し、三度目のデビューを小次郎のもとで果たした春香。
公私ともに全幅の信頼を置く小次郎との二人三脚となったその活動は、前二回の活動時をはるかに上回る実績となって結実した。
音楽番組の出演者欄に「天海春香」の名前が載れば、それだけで、その番組の視聴率にはっきりとわかる影響を残し、シングルを出せば、そのたびにヒットチャートの上位一桁に名前を残し、ひとたびライブをやれば、そのチケットは前売り開始から一分と持たずに完売、金券ショップやネットオークションでも五桁単位で取引がされ…。
当時の芸能マスコミは、そんな彼女に「アイドル神」という異名を与えて称えた。
そして、彼女の所属する７６５プロダクションもそれにつれて業績を急速に伸ばし、女性アイドル業界においてトップクラスの規模を誇る芸能事務所へ成長していた。
その三度目となる再デビューを果たしたとき、春香は小次郎と新しい「約束」を交わしていた。
それは、春香が大学を卒業したときに果たされることになっていた。
当初の予定より少し遅れたが、それは五年後の春に果たされることになった。
二〇一三年の年頭。
大学卒業が決まったのを契機に、春香は「この春を期して結婚、同時に芸能界からは完全引退する」ことと、自身の二十四回めの誕生日となる四月三日に「お別れコンサート」を開くことを発表した。
記者会見の席上、レポーターからの
「お相手はいったいどんな方なんですか？」
というお決まりの質問に、春香は
「彼は――私の嬉しいときも悲しいときも、共に笑い、共に泣き、そして、うたうたいとしての私のことをずっと見守ってくれた、生涯ただ一人の『大切な人』なんです」
と答えた――その「大切な人」は、もちろん小次郎のこと。
そのとき、彼女の左の薬指には、シンプルな銀のリングが光っていた。
そうして、春香が名字を「麻宮」へと変え、日本の芸能シーンから姿を消して、もう十五年が経っていた。
結婚三年目に産まれた長女の「桜」、その三年後には長男の「翼」と二人の子供にも恵まれ、夫・小次郎の変わらぬ愛情に包まれて、妻として、また母として、平凡ながらも幸福な生活を送っていた。
そんなある日の朝。
♪ちゃっちゃちゃっちゃちゃらららら、ちゃっちゃちゃらら〜
耳元で聞こえるその音に、かつて叩き込まれた何かを反射的に思い出した小次郎は寝床から飛びおきた。
「おはようございます、あ・な・た」
小次郎の視界に飛び込んできたのは、彼がもっとも愛する女性――当年三十九才になっている春香の姿だった。
その顔つきもスタイルも――経年変化による影響を若干受けてはいるが――基本的なところは小次郎が「アイドル」としてプロデュースをしていた頃と変わっていない。
「朝ご飯、出来ていますから食べてくださいね。今日は桜ちゃんが手伝ってくれたんですよ♪」
「おっ、そうか。桜がねぇ…」
春香と小次郎は、年齢が約二十歳も離れている夫婦なだけに、桜が生まれたときの小次郎の「親バカ」ぶりはすさまじく
「大人になっても、この子は絶対嫁にはやらん」
と周囲の知人に言いまわって呆れられたりもしたものだ。
「それはそうと、春香…」
「？」
「頼むから、『起床ラッパ』の音楽目覚ましにするの、止めてくれないか？ アレ聞いてると、自衛隊いた頃の条件反射で飛び起きてしまうから。一度パンツ一丁で飛び出しそうになって、桜に見つかってすごく気まずくなったの、おまえも知ってるだろ？」
「うん。でも、せっかく律子さんが『ぜひに』って薦めてくれたから、使わなきゃ損じゃないですか」
「律子か…。あいつめ、相変わらずムチャクチャする女だなぁ」
かつて、春香と同じ事務所で一緒に「トップアイドル」を目指していた秋月律子の名前が出て、小次郎は昔を思い出していた。
律子は春香が引退したのと前後して現役アイドルとしての活動を休止し、いまは二人の在籍していた「７６５プロダクション」のプロデューサーとして、後進のアイドルのプロデュース活動についている。
「お母さん、お父さん起きたの？」
ダイニングの方から声がする。娘の桜だ。
「う、うん。いま行くわね、桜ちゃん。…さぁ、あなたも早く」
春香に促され、小次郎は妻と娘の手作りの朝食をいただくためにダイニングへと向かった。
その日の夜。
キッチンで鼻歌を歌いながら洗い物をしていた春香は、後ろから桜に声をかけられた。
「お母さん、ちょっと話があるの」
「？ どうしたの、桜ちゃん」
春香は水道の蛇口をひねって水を止め、桜に向き直る。
「お母さんに、是非相談したいことがあって…」
「相談って、なぁに？」
「……」
何かを言い出そうとしてもじもじした表情を見せる桜。
娘のその表情に、春香は落ち着いて聞いたほうがよさそうだと判断、
「ゆっくり話聞きたいから、ちょっと待っててね。紅茶入れてあげるから」
ティーバッグではなく、本格的に茶葉から入れた紅茶のカップをテーブルに置き、春香は娘に向きあう。
ちなみにこういう紅茶の入れ方も、春香がアイドルだった時代、同じ事務所にいた水瀬伊織から教わったものだ。
日本有数の財閥「水瀬家」の令嬢だった伊織。
彼女は、春香が小次郎と結婚して芸能界を去ってから数年後、在京プロ野球チームのあるスター選手と結婚したものの、種々の理由によりまもなく破局。その後も芸能界に残り、いまは女優として活躍しているらしい。
閑話休題。
「さ、どうしたの桜ちゃん。お母さんに話って」
その問いかけに、桜はしばし逡巡していたが、やがて意を決したように口を開く。
「………あのね、お母さん。私ね、昔のお母さんみたいに、アイドルになろうと思ってるの」
「えっ？ アイドル？」
桜の話によると、彼女のクラスメートが、ティーンズ向け雑誌の広告に載っていた新人オーディションに応募することになり、桜にも「一緒に出ないか」と声をかけてきたそうだ。
「桜のママ、元アイドルの『天海春香』なんでしょ？ ――私のパパも昔、あなたのママのファンだったって」
「桜が出たらぶっちぎりで優勝間違いなしじゃない。なにせ、桜はアイドルの『サラブレッド』なんだから」
と煽られてもいるらしい。
その話を聞き終わった春香は、しばらく目を閉じ、何かを考えるような表情を見せていたが、やがて顔を上げると
「…そう、なんだ。お母さんね、なんとなく『いつかこんな時が来るんじゃないか』って思ってたの。あなたは覚えてないかもしれないけど、小さい頃、お父さんと一緒に私の実家に帰った時、私の出ていたＤＶＤ見て
『さくらも、おかあさんみたいになりたい』
って言ってたのよ。まさか本当になるとはねぇ…」
「そ、そんな昔のこと覚えてたの？」
思わず頬に手を当て、照れたような表情を見せる桜。
「お母さんはね、あなたが『アイドルになる』ということに反対するつもりはないわ。結果はともかく、『挑戦』するのは、いいことだと思うの。でもね…」
「？」
「アイドルっていうのは、単に『歌が好き』なだけ、って半端なことで勤まるものじゃないのよ。それだけは覚悟しておいてね。ダンスから表現力、メイク、ダイエット、その他いろいろ…。あの頃は私、もう毎日毎日がレッスンと仕事で終わっていたんだから。それに…」
「それに？」
聞き返す桜に春香は
「その時の事務所の社長やプロデューサーさん――お父さんにも
『アイドルというのは夢を売る商売だ。家に帰るまでどころか、プライベートの時間も含めて、自分のイメージを落とすようなマネはしてくれるな』
って厳しく仕込まれたの。だからお友達ともあんまり無茶な遊びできなくなったし、学校の勉強だって手を抜けなかったんだから」
「……」
桜は母親の若かりし頃の苦労話を聞いて黙り込んでしまった。
「でもね…。そうやってアイドルをやってきたからこそ、私は、あなたたちのお父さんと出会えたのよ。もし、私がアイドルになってなかったらお父さんと出会うこともなかったし、あなただって産まれてこなかったんだから」
「そ、そうなんだ」
「アイドルやっていた頃のいつだったかな……、お父さんが私にこんな話をしてくれたことがあるの。
『俺の夢は、春香を芸能界という空の高みへ上げてやること』
って。お父さんね、若い頃、飛行機のパイロットになるため勉強してたんだけど、事故に遭ってダメになっちゃったから…、その夢を、私に託したのね。自分が空を飛ぶ代わりに、私を『芸能界』という空へ飛ばして…」
そういうと、春香は桜の方に手を伸ばし、彼女の手を握った。
「お、お母さん…」
「そして今度は、娘のあなたが、私の見た夢を受け継いで……」
「……」
「応援、するわね。いまからお母さん、『アイドル・麻宮桜』のファン第一号になるからね」
真夜中のベッドルーム。
春香は小次郎に、娘が新人アイドルのオーディションを受けようとしている、という話を聞かせた。
「……そうか、桜がねぇ。やっぱりあの子には、お義母さんから春香に受け継がれてきた『うたうたい』の遺伝子が…」
小次郎は春香の話を聞き終えるとそう言った。
「もしも…もしもですよ、桜がオーディションに受かって、本当に『アイドル』になっちゃったら、あなた、どうします？」
「うーん、出来たら俺のところの事務所に来てもらえるといいんだがなぁ…。俺のところに来ると、絶対『親の七光り』とかいわれるだろうから、それもどうかと」
桜が受けようとしているオーディションは、――小次郎がいまでも在籍している７６５プロダクションも含めた――芸能事務所十数社が合同で行っている新人オーディションだ。
最終選考に残った二十名前後の候補者に対し、参加した事務所全てが入札を行い、複数の事務所から入札のあった候補者については抽選で所属事務所が決まる、というシステムだ。
「それに…」
「『それに』どうしたんですか？」
妻にそう尋ねられて小次郎は
「やっぱり、ちょっと淋しくなるな。正直な話。俺たちだけの『娘』じゃなくなるんだから」
春香は夫のそんな本音を聞いて
「うふふっ。やっぱりあなたって娘・命なんですね。あの子が生まれたとき、『桜は絶対嫁にはやらん』なんていって、みんなをあきれさせてましたからね。…安心してください。その分、私がたっぷり甘えてあげますから」
といいながら、小次郎に抱きついてきた。
「お、おいおい。おまえだってもうそんな年でもないだろうに…」
「いいえ。私だって、まだまだこれから『女盛り』なんですから」
春香の言うことももっともだった。
アイドルだった当時から「化粧要らず」といわれるほど、自然な美しさを持っていた彼女。
小次郎の手になる「アイドル」としてのプロデュースを経て、ますますそれに磨きがかかり、また最近では、それに「成熟した女性」としての変化も（良い方向で）加わっていたのだ。
「…俺の夢を実らせてくれたおまえ。そのおまえの夢を受け継いでくれる桜。いつか、あの子にいい出会いがあって、結ばれて…。またその次の世代へ『夢』を引き継いでくれたら……、とてもステキだろうな…」
小次郎は、――かつて二百万人以上のファンを虜にした魅力を残しながらも――すっかり成熟した女性になっていた春香を抱きしめながら、ささやいていた…。
それから更に何年かの時が経って…
「伝説のスーパーアイドル・天海春香の娘」ということで、国内の有力事務所複数から注目された存在だった桜は、かつて母親の属していた７６５プロダクションに入社が決定。
実父であり、この世界の第一人者であることを示す「アイドルマスター」という称号も持っている超辣腕プロデューサー・麻宮小次郎のレッスンをクリアーした彼女は、母譲りの「うたうたい」としての才能をフルに開花させ、スターダムの階段を一気に駆け上っていった。
その姿は、母・天海春香の若かりし頃の姿を彷彿とさせるものだった。
もちろん、当初は「所詮は二世タレント」「親の七光り」という評価もあったが、桜が母を上回る活躍を見せると、その声も自然と止んでいった。
ちなみに、娘の大ブレイクを受けて春香にも「芸能界復帰」の打診があったが、彼女は
「これからは若い子の時代だから、私なんかが今更戻っても…」
と首を縦に振らなかったという。
この日、桜はドーム球場での単独コンサートを行うことになっていた。
当然、チケットは発売開始後数分で完売。
全国各地から押し寄せた十万人近いファンが、いまかいまかと開演を待ちわびていた。
開演一分前、舞台袖。
この日のために新調されたステージ衣装を身にまとった桜は、プロデューサーでもあり、父親でもある小次郎から激励を受けている。
「プロデューサー、今日の指示は？」
「そうだな…。今日、このステージが最後、というつもりで、おまえの全てを出しきって来い！」
桜はその力強い言葉にうなずくと、
「うん。分かった。それじゃ行ってくるね、『お父さん！』」
と、ステージへ向けて駆け出していった。
同時に客席からは爆発的な大歓声。
この瞬間、小次郎と春香が娘に托した「夢」というバトンは、彼女へ確実に受け継がれた。
そして、アイドルの歴史がまた一ページ……。