「THE iDOLM@STER」Side Story
「漂流姫200X」
初出：2007年8月19日「コミックマーケット72」頒布
第４部
それから数ヶ月が経っていた。
春香と小次郎はニューヨーク郊外のうらぶれたアパートの一室に居を構えていた。
普通に成田から出国、という方法では「プロジェクト」の手の者にかぎつけられる恐れがあるということで、二人の出国は非常に複雑なルートが取られていた。
まず、伊織の実家――水瀬家所有のビジネスジェットで深夜に調布から沖縄へ移動。到着後「アメリカ海兵隊の日系人将校（小次郎は少佐・春香は少尉に扮装していた）」に偽装して米軍基地へ入り、そこから本土への輸送機に便乗してアメリカへ入った。
更にアメリカ到着後、今度はコリアン系アメリカ人に偽装することに。
小次郎は「キム・テジャン」、春香は「ファン・ソネ」という名前を与えられてニューヨークへ入り、いまの部屋に居を構えたのである。
これらの手配は、すべて高木とアメリカにいる千早のスタッフがやってくれた。
「どうして、こんなことになっちゃったんだろう…」
夜明け前。午前四時。
春香はどうしても寝つけずに目を覚ましていた。
母国の日本では、つい最近まで「国民的アイドル」としてその名を轟かせていた春香。
いかなる運命のいたずらか、いまはその名前も築き上げた名誉も「封印」させられ、本来の名を名乗ることさえもできない。
最近になって、日本にいた時と同じように歌のレッスンを受けることができるようになったが、言葉のギャップがある上に正体を明かせず、コミュニケーションもなかなか上手く取れない。
「ねぇ。プロデューサーさん…。
私たち、いつ日本に帰れるのかなぁ」
春香は、こちらに着いてから幾度となくした問いを、目の前にいる男――小次郎に投げかけてみる。
その小次郎は眠っていた。
寝返りを打ったので、春香には背中が見える。
いまの彼女と同じくらいの若い頃に軍隊――航空自衛隊にいて、訓練で鍛えられた、というその大きな背中。
春香は手を伸ばし、そっとそれをさすってみる。
かすかに伝わってくる彼の体温。
そのぬくもりに、春香は調布を飛び立ったときのことを思い出していた。
水瀬家のビジネスジェットの狭い座席に、肩を寄せ合うように座っていた二人。
そのとき、春香は泣いていた。
それがたとえ一時のこととはいえ、「アイドル」としての名も、自らの両親から授かった名も全てを封印し、「過去のない人間」として生きなければならないことに。
そして、この国で二十年近く生きてきてできた人々との縁――両親、地域、学校の友人、芸能界でできた「仲間」とのそれ――をも凍結しなければならないことに。
小次郎はそんな春香の肩を抱き寄せながら
「だいじょうぶ。こんなことは、すぐに終わるさ…。
全てが片付いたら、すぐに日本に帰ろうな…」
と、ささやきかけるように何度も言っていたのだ。
そう。春香が自分を壊さずにここまで来られたのは、全てこの男――小次郎が側にいたからだ。
日本で「アイドル」をやっていた頃、彼はずっとこんなことをいっていた。
「俺のミッションは、春香が芸能界で飛べるように『守ってやる』こと…」
春香はそんな彼を信じ、ついてきて、その結果、（一時期のこととはいえ）百万人以上のファンを集め、祖国の平均的な給与労働者の数年分の収入に匹敵する金を1年で稼げる「高額納税者」にまでなったのだ。
そしていつしか、彼女が小次郎に対して抱く「信頼」は「愛情」へと変化していた――ひとりの「女性」として、ひとりの「男性」に抱くそれに。
（このひとは、私に道を示してくれる。
このひとについていけば、私は守られる…。
だから、いまはこの人を信じるしかないのね）
…その「ある意味」幸せな時間は、扉の方から聞こえてきた爆発音でかき消された。
春香は悲鳴を上げながら、反射的に身を伏せる。
それに反応して小次郎が飛び起きてきた。
「！ どうした春香！？」
春香からの返事はなかったが、小次郎はかつて自衛隊にいた頃に叩き込まれた何かを思い出す。
「テロリストか…？ それにしては変だな？」
煙が収まり、全身に黒装束をまとった男が一人、部屋に躍り込んできた。
「な、なんだお前は！？」
小次郎の呼びかけに、男は
「７６５プロダクション所属のアイドル――いや、『元』アイドルといったほうが正解かな？
天海春香君とその担当プロデューサー・麻宮小次郎君だな？」
と、二人にとっての母国語――流暢な日本語で応えた。
「俺たちの『正体』を知っているとは…貴様は何者だ？」
男は手探りで照明のスイッチを入れると、覆面を取って
「私に見覚えはないかね？」
その顔は、明らかに二人と同じ黄色人種――日本人の特徴を備えていた。
「！？ 貴様はあの『ゼネラル・アーティスツ』の？」
男――小次郎が日本で会った時は「ゼネラル・アーティスツ」の「中村」と名乗っていた男はうなずくと
「おまえが余計なことをしてくれたおかげで、我々の進めていた『プロジェクト・ハーメルン』は頓挫した。
おまえらが日本から消えた後、おまえらのボス――７６５プロの高木が我々の計画をメディアに暴露しやがってな。
我々も反撃に出ようとしたが、おまえらのバックの『水瀬財閥』と『関東萩原一家』にしてやられた」
「関東萩原一家」というのは、日本で小次郎と春香がいた７６５プロダクション所属のアイドル・萩原雪歩の父親が率いる広域暴力団だ。
ちなみに、そこの組長である雪歩の父親は、高木とも親交が深いらしい。
「我が方の実行部隊は萩原一家に吶喊を食らってすり潰され、私だけが、命からがらここまで逃げてきたんだ。
…麻宮小次郎。お前さえ、お前さえいなければ…、
我々の『計画』は何もかもがうまくいってたんだ！」
中村のその口調にただならぬ「何か」を感じた小次郎は、背後にいるはずの春香に視線だけを送って
「春香。警察へ連絡だ。それと千早にも」
千早に連絡を入れれば、その話は彼女の担当プロデューサーや現地スタッフにも同時に伝わるはず、という読みだった。
小次郎は間髪入れず、枕の下に置いてあった拳銃を取り出す。
セーフティを外しながら
「いいか春香。
警察と千早のところへの連絡が済んだら、バスルームに入って鍵をかけるんだ。
俺がいいというまで、絶対出てくるなよ」
春香の耳元で小次郎はささやく。
春香がバスルームに駆け込んだのを確認すると、小次郎は手元の拳銃の銃身をスライドさせ、マガジンに入っていた一発目の銃弾を薬室に送り込んだ。カチリと音がして撃鉄が起きる。
中村と小次郎は同時に銃口を相手に向ける。
中村の方の銃口がわずかに震えているのを見てとった小次郎は
「どうした？ 震えているぞ。
…おまえ、まともに拳銃撃ったことないな」
そう中村に問いかける。その答えは図星だった。
「急所を外すとかえって暴れるからな…、
撃つ気があるならしっかり狙えよ！」
小次郎に挑発され、かえって頭に血が上った中村は発砲。
しかし、照準をろくに定めずに撃ったため、弾は小次郎の左肩の皮膚をわずかにこすって背後の壁に着弾。
一方、中村と同時に撃った小次郎の弾は、中村の持っていた銃に着弾してそれを弾き飛ばす。
中村はしびれる手を押さえてうずくまる。
銃を構えたまま中村ににじりよる小次郎。
「さぁ、観念しろ…」
あとは中村の手が届かないところへ銃を蹴り飛ばし、抑え込んで手頃なロープで縛ればよい。
そうすれば、あとは春香が呼んでこちらに向かっているはずの警官に「住居不法侵入」の現行犯として引き渡すだけ――のはずだった。
しかし…
「…！ ぐはっ…」
うめきをあげたのは小次郎の方だった。
見ると、中村の背後に何者かが立っていた。
その手には、小次郎が持っているのと同じ黒光りする何か――銃口の先から発砲煙が立ち昇る拳銃が握られている。
「ふぅ。こいつだけじゃ心配だから、ついてきて正解だったぜ」
その声にはなんとなく聞き覚えがあった。
日本で春香がアイドルをやっていた頃、オーディション会場で時々見かけた悪徳記者によく似ている。
（なぜ奴がアメリカにまで…）
そんな声を出そうと思ったが、小次郎は痛みで言葉が出ない。
小次郎のうめき声に、春香はたまらず飛び出してきた。
「プロデューサーさん、プロデューサーさん。しっかりして！」
前のめりに倒れた小次郎の体にしがみつき、激しくゆすぶる。
だが、返事はない…
「プ、プロデューサーさぁぁぁぁぁん！
死んじゃ、死んじゃいやぁぁぁぁぁ！」
狭いアパートの一室に、春香の号泣が響いていた。
どれくらい時間が経ったのか…
あるいはそれほどでもないのかも知れないが…
すすり泣きに変わっていた春香の耳元に、聞きなれた声がする。
「…ったく、いつまで経ってもドジは直ってないな。春香」
「！？ プ、プロデューサーさん、生きてたんですか？」
「あぁ、まぁな。この通り足もついてるし。
昔、自衛隊にいたときに一回死んでから、どうも閻魔さまには嫌われてるみたいでな」
そういいながら起き上がってきた小次郎に、凍りついたような顔をする刺客二人。
小次郎を狙った二人目の襲撃者が撃った弾は、彼が常時着込んでいた抗弾ベストを貫通したが、偶然にも首から下げていたロケット――春香が日本でアイドル活動をしていた頃、ファンクラブの公式グッズとして作ったもの――に食い込んで止まっていた。
ともあれ「命拾い」をした小次郎はもう一度銃を握り直し、二人の刺客に近づく。
「あいにくだったな。
俺はずっと昔に一度死んで、パワーアップしてるんだよ！」
「あ、あわわ…」
刺客たちはすっかり浮き足立っている。
「とっととそいつを連れて失せろ！
さもないとこの場で本当に死体になってもらうぞ！」
小次郎が一喝すると、二人の襲撃者はほうほうの体で部屋から逃げ出した。
「ふぅ、やっと行ったか…」
小次郎がため息をつきながら後ろを振り向くと、春香はまた泣きながらうずくまっていた。
「？ 春香？」
春香は顔を起こすと、小次郎に飛びついてきた。
「プ、プロデューサーさん…
私……、プロデューサーさんが撃たれて、うめき声が聞こえてきたとき、もういてもたってもいられなくて…
そうしたら、プロデューサーさんが倒れてて…もう死んじゃったかと思って…。
私のせいで、目の前で誰かが死ぬのって、嫌だから…。
もしプロデューサーさんが起きなかったら、私、あのピストルで死のうかとまで思ってた。
だって、だって私、プロデューサーさんがいないと、もう…」
あとはもう言葉にならない。
小次郎は春香の背中に手を回し、ゆっくり撫でさすってやる。
「春香、心配かけてすまん。
でも、もうこれで全部終わりだ…。
約束通り、一緒に日本へ帰ろうな」
しばらくして、落ち着きを取り戻した春香が切り出した。
「プロデューサーさん。
今度こっちに来る時は、ちゃんと『天海春香』の名前で来たいですよね…」
少し沈黙が流れて、小次郎が返す。
「あぁ。そうだな…。
でもその前に、高木社長にお願いして再デビュー、だろうけどな。
日本に帰ったら、もう一度レッスンやり直しだな」
「はいっ。
その時は、またよろしくお願いしますね、
プロデューサーさん☆」
部屋の窓から、射し込む光。
ニューヨークは、朝を迎えていた……。