第10話「ふたつのものが、融けあうとき」
……あたり一面が火の海だった。
燃えさかる家やビル。見えざる巨人が下から拳で突き上げているかのように
ゆすぶられる地面。それにつれて、あたりに飛び散る屋根瓦や看板、ブロック、窓
ガラスの破片。それらに追われて、悲鳴を上げながら右往左往する人々。
その中に、明日香はいた。
「助けて！ 早秀、助けて！」
「明日香か？ 俺はこっちだ、早く、早く手を出せ！」
早秀のその叫びに気づいた明日香、
「早秀ね？ どこにいるの？」
と、叫ぶように訊ねる。
「俺はこっちだ！ 早くこっちへ来い！」
早秀はそう叫びつつ近寄ろうとするが、人波に邪魔されて明日香に近づけない。
明日香も同じように早秀のところへ行こうとしているが、こちらも近づけない。
（畜生、こっちから明日香は見えているはずなのに……）
早秀は焦るが、焦れば焦るほど明日香から離れてゆく。
それでも何とか逃げ惑う人々を押しのけ、あと１ｍほどまで近寄った瞬間……、
再び大地が鳴動した。
まるで見えない巨人が両側をつかんでゆすぶっているかのように、上下左右に激しくゆすぶられる地面。
大地に裂け目が出来てゆく。
あろうことか、そのとき明日香はちょうど裂け目の上に立っていた。当然のよう
に支えを失った明日香の体は、この惑星を支配する物理法則のひとつ「万有引力」
に忠実に従い、惑星の中心部へ向かって毎秒9.8ｍの加速度をつけて落下を始める。
「キャァァァァァァァァァァァァァァ……！」
この世のものとは思えない悲鳴を上げつつ、奈落の底へ自由落下して行く明日香。
「明日香！」
早秀が叫んだ瞬間、視界が暗転した……。
・・・
一度暗転した早秀の視界に、再び光が戻る。
「……こ、ここは？
するといまのは……夢？」
早秀は天井を見上げたままつぶやいた。
「あっ……。気がついたみたいですね」
ショートカットの栗色の髪に、まだ少女の面影を残している顔つきをした看護婦
が、早秀の顔を心配そうに覗き込んでいた。
「外科病棟・美坂 栞」というネームプレートが見えた。
早秀はベッドに寝転がったまま、あたりを見回す。
さっきの看護婦に医者、そして若菜がいる。
「あ、綾崎先生……。
俺、なんでこんなところにいるんですか？」
「丹羽くん……。
あなた、たいそうひどい怪我をされたようで、ずっと眠っていたんですよ。
お医者様の話ですと、脇腹を刀で斬られてひどい出血だったとか。
もし、お医者様の手当てが遅れていれば、命まで……」
目に涙を浮かべながら、若菜が話し出した。
「それで俺、こんなところに……。
それよりも明日香は？ 公に杉原先輩は？」
機関銃のように問いを発した早秀に、若菜はうなずいて、
「はい。全員、無事こちらの方にいらっしゃいますよ……」
と告げた。
それを聞いて早秀、
「よかった……、全員、無事だったんだ！」
と、こちらも半泣きになりながら小さく叫んでいた。
「はい。でも……」
「でも、どうしたんですか？」
「星野さんが……」
「明日香が、どうかしましたか？」
自由のあまり利かない体を無理矢理起こしながら、若菜に迫る早秀。
言葉に詰まる若菜。
「……あとは私たちが話します」
そこへ栞が割り込んできた。
「あの娘――明日香ちゃん、でしたっけ？
あの娘ね、『なんとかあなたを助けたい』って、私たちに泣き付いてきたんですよ」
早秀は鳩が豆鉄砲を食らったような顔になって、
「いったい、俺が寝ている間に何があったんですか？
明日香が、何かしたんですか？」
と栞に向かってくる。
「それについては、私から話した方がいいかな？」
栞の傍らに立っていた医者が話を切り出した……。
・・・
銀虎会との激闘の末に真奈美を取り返し、別荘を立ち去った三磯学園の一行。
だが、そのために払った代償は大きかった。
表で戦っていた芝田と千恵・えみるは、銀虎会組員の猛反撃で全身の10数箇所を打撲。夏穂と明日香も、
輝明の「金茶小鷹」及び「気功波」を食らったことによるショック症状で失神、公もまた、輝明との一騎
打ちで「部活奥義」を多用したために昏倒していたし、榎本も刀傷で出血していたが
……。
一番被害が大きかったのは早秀だった。
「黒き三連星」の第１撃――"ジェット・ストリーム・アタック"で深い刀傷を受けた上に、２度目のジェット・ストリーム・アタックでも激しく殴られたからである。
バスの車内。
「たいへん、早秀が……！」
輝明の"金茶小鷹"で一時は倒れていたものの、ほのかと若菜の応急手当てで目を
覚まし、ずっと早秀に付き添っていた明日香が悲鳴を上げた。
それを聴いて、慌てて若菜がやってくる。
見ると、明日香の膝枕で寝かされている早秀がうめき声をあげている。
「ぐおぉぉぉ……、痛い、痛いよぉ……」
苦悶の表情。
脇腹に巻かれているユニフォームの"包帯"は既に真っ赤に染まり、布地の吸収限
度を超えた早秀の血は、明日香のズボンにまで付着している。
それを見た若菜、
「沢渡さん、病院まであと何分くらいですか？」
と、見に来ていたほのかに訊ねる。
ほのかは運転席に駆け寄り、運転している大輔と２・３言葉を交わしてから若菜
のところに帰ってくる。
「あと、15分くらいです」
そういうと、ほのかは携帯を取り出して
「いまの状態を病院に連絡しますから、明かりを点けてください！」
と叫ぶ。
夏穂が懐中電灯を持って来て、早秀を照らす。
それを見て、ほのかが連絡を始める。
・・・
病院の「処置室」。
その前には軽傷の明日香と夏穂、戦闘に参加していなかったために無傷のほのか、
若菜、大輔がいた。
扉が開き、血のついた白衣をまとった医者が出てくる。
医者は５人を一瞥すると、
「丹羽早秀さんの関係者の方ですね？」
と訊ねてくる。誰からともなくうなずく。
「あの……、丹羽さんは？」
若菜が聞いてくる。
「実は、急なお願いをして申し訳ないのですが……。
彼の出血が予想以上にひどく、緊急に大量の輸血が必要なのですが……、間の悪いことに、この病院ではストックが底を尽きかけております。
血液センターにも先ほど連絡して、最優先でこちらに回してもらえるように手配はしているのですが……、事態は一刻を争います。
そこで、皆さんの中で、緊急輸血に協力してくださる方がいらっしゃいましたら、
是非お願いしたいのですが……」
それを聞いた夏穂、
「あたしの血、使ってください！ あたし、Ｏ型だから。
Ｏ型なら、何でも合うんでしょ？」
しかし医師の返答は
「RHマイナスＢ型に限ります」
とつれない返事。
一同、押し黙ってしまう……。
天使が通って、明日香が口を開く。
「ねぇ、先生。
そのRHなんとかっていう血があれば、早秀は助かるのよね？」
「ま、まぁ。確かにそうだが……」
「あ……、あたしの血……、それなの……。
RHなんとかってやつのＢ……」
と、つぶやくように言う明日香。
「明日香、それ、本当？」
夏穂が目を円くする。
「……うん。
この前の土曜日、ママと一緒にお買い物に行ったとき、ついでに献血行って調べ
てもらったから、間違いないって思う」
明日香はそういうと医者に向き直り、ユニフォームの左袖を破って
「先生、早秀に使ってください！ あたしの血」
と告げた。
「お嬢さん、いいのかね？
きみだって……」
医者は驚く。
実際のところ、明日香自身も銀虎会との戦いでそれなりにダメージを負っており、
手当が必要だったからだ。
「かまいません。これで、早秀が助かるのなら……」
医者は明日香の真剣な目つきを見て、続ける。
「しかし、今の彼の状態だと、下手をすれば相当の量の輸血が必要になりそうだが
……、それでもいいのかね？」
明日香は医師の目をまっすぐに見たまま、うなずく。
「あたしの血で、早秀が助かるのなら……、喜んで……。
あたし……、早秀のためだったら……、この血を全部あげてもいい……。
あたしと早秀の命、取りかえっこすることになっても……、かまわないから……」
医者は明日香のまなざしから伝わってくる"覚悟"にうたれて
「分かりました。それでは、処置室の方へ……」
というと、明日香を処置室へ連れていった。
・・・
「……と、いうわけなんだよ」
医者がそういうと、早秀は胸に手を当て、正常なパルスを刻みつづける心臓の鼓
動を確かめながら、
「そうだったんですか……。
いま……、俺の中に流れている血には……、明日香のも混ざっているのか……。
俺と……明日香……、二つの血が、俺の中に……」
とつぶやいた。
「正直、あのお嬢さんがあそこでああ言ってくれなければ、きみはいま、ここにいられ
なかったかも知れんのだぞ」
医者はそこでいったん言葉を切る。
その後を栞が引きとって
「あの子ね、あなたに輸血している最中もずっと
『早秀。お願い、死なないで。
早秀が欲しいっていうんなら、アタシの血、みんなあげるから……』
って、泣いてたのよ」
と、うっすら涙を浮かべて語った。
医者は早秀のそばに屈み込んで
「明日香ちゃん……だったな、あのお嬢さん。
彼女、きみの恋人なんだろ？……大事にしてあげなさい……」
早秀の耳元に口を寄せ、そうささやいた。
「先生、それで、明日香は？」
「あぁ、彼女なら心配ない。
あの娘自身も怪我をしていたところに、きみに輸血をしたもんだからひどく疲れ
を訴えていてね……。いまはここの隣の病室で休ませているところなんだ。
彼女が起きてきたら、ちゃんとお礼を言いなさい」
早秀はうなずく。
その夜。
早秀は痛む体を引きずって、明日香のいる病室の前に立っていた。
明日香を起こさないように気遣いながらドアを開け、明日香の休んでいるベッド
の前に立つ。
眠っている明日香を見る。
その寝顔は、「自分の役目をすべて果たした」といわんばかりのとっても穏やかな
表情だった。
そんな明日香を見ながら、早秀は切り出した。
「明日香……。ごめんな……。
『おまえのことを守る』って大見得切っておきながら、死ぬ一歩手前のひどい目に
は遭わせるし、その上、おまえ自身も怪我してたのに、俺に血をくれたばっかりに
倒れるなんて……。
俺……、俺……、情けないよ……。
好きになった女一人、ろくに守れないなんて……」
早秀の目に涙が充満してくる。
そのあふれる涙をぬぐいもせず、早秀は続ける。
「でも、だからこそ俺、いま、おまえに誓いたいんだ……。
今度こそ……、今度こそ……、俺の持っているすべてを尽くして、おまえのこと
を守っていきたい。
いま、そのための力が足りないのだったら、もっともっと体も心も鍛えて、その
力を手に入れるよ。
だって……、だって俺には……、もう、おまえ以外には考えられないから……。
銀虎会の奴らに消されかかった俺の命の火を、もう一度ともしてくれたおまえ以
外には……。
……最後に、これだけは言わせてくれ。聴いてないとは思うけど……。
明日香……。俺の命を救ってくれて、ありがとうな……」
そうつぶやくと、早秀は上体を折り曲げ、依然として眠りつづけている明日香の
頬にそっとキスをした……。
「いまはこれで帰るけど、おまえが起きてきたら、改めて礼をさせてもらうよ……」
最後にそうつぶやいて、早秀は自分の病室に戻った。
・・・
次の日、体力の戻った明日香は他の女性３人――千恵・夏穂・えみるのいる病室
に移った。
一方の早秀も、明日香からの輸血の効果か奇跡的な回復を見せ、５日後には公を
除く男子２人――芝田・榎本がいる病室に移ることができたのである。
それからいくばくかの時が経って、夏休みに入ったある日。
早秀たちはディスティニーランドへ遊びに繰り出していた。
夕闇が迫るその時、この遊園地最大の呼び物「ナイトパレード」が行われていた。
眼前で繰り広げられる光と音のページェントを見ながら、明日香が切り出す。
「このパレード……好きな人と……見たかったんだ……」
「明日香……」
やがて、ふたつの影はひとつに重なる。
初めての出会いから５年の時を経て、早秀と明日香は"恋人"という名の新たなる
ステージへ第１歩を踏み出した……。
――――――To Be Continued