第48話「早春の誓い(後編)」

　第48話「早春の誓い(後編)」

　２月28日。
　この日、３年生は午後からの登校であった。
　もちろん、「登校」といっても授業があるわけではなく、用件というのも、いよいよ明日に迫った卒業式に関する重要な伝達事項の通知と"卒業アルバム"及び卒業記念品――今年は、それぞれの苗字の印鑑――の配布がメインだった。
　３年Ａ組の教室。
　ひとわたりのスケジュールが終わり、教壇に立った担任教師が話を始めた。
「……いよいよ、明日で皆さんともお別れになります。
　皆さんの中には、大学や専門学校といった上の学校へ進まれる方、就職をされる方、中には自分の意志を遂げられず、浪人をされる方と色々な方がおられますが、皆さん一人一人が、この三磯学園で学んだことを忘れず、この学校の生徒であったことに誇りを持って、これからの長い人生を生きていってほしいのです……」
　真奈美は机に視線を落としながら、３年間の高校生活を思い起こしていた。
　(私の高校生活……。思えば、いつも誰かの世話になりっぱなしだった……。
　１年生の時は、体が弱いせいでなかなか学校になじめなくて、あまり学校に行けなかった……。でも、芝田先生や綾崎先生が何かと世話を焼いてくれて、留年だけは免れた……。
　そして２年になって、部のみんなが辞めてしまって一人になったとき、公さんがやってきた。
　あの人は、最初に部へ来たとき"私の力になる"って言ってくれた。だから私は、ついついそれに甘えてしまって、最後まであの人に、先輩らしいことを何一つしてあげられなかった……。いつも、公さんに助けてもらってばかり……。
　でも、このままじゃいけない……。
　卒業するのを契機に、いままでの自分を変えていかなければ……)

　HRが終わった。
　そのまま家に帰っても良かったのだが、真奈美は芝田たちに挨拶をすべく、生物準備室へ顔を出した。
　ドアを開けてみると、芝田を中心に生物部員が円陣を組み、何やら話をしている。
部とは直接に関係がないはずの早秀や若菜の姿も見える。
　真奈美と対面の位置にいた公がいち早く彼女に気づき、声をかけた。
「あっ、杉原先輩だ」
　その声に、みんなは一斉に円陣を解く。
　真奈美は彼らの行動が理解できなかったのか、
「あの……。みなさん、どうなされたのですか？」
　と、誰にともなく尋ねる。
　返答したのは芝田だった。
「あぁ、真奈美くん、来てたんだ。
　いやね、明日、真奈美くんの卒業式だろう？　それで、真奈美くんの卒業をお祝いして、みんなで面白いことをしようっていう話をしてたんだ」
「それ……どういうものですか？」
「それは……、いまは言えない。いまきみに言ってしまうと、全然面白くないからなぁ……。
　ま、当日のお楽しみっていうことで」
　そういうと、芝田は真奈美にウィンクをしてみせる。
「？」
　その意味が分からない真奈美だった。

　帰り道。
　真奈美は公と一緒に家路についていた。
「あの……公さん。
　こうやってあなたと一緒に帰るのも、明日が最後ですね。
　本当にありがとうございます。２年間、こんな私のために頑張ってくれて……」
　真奈美は頭を下げた。
「そんなこと……。僕の方こそ、先輩には感謝しています。
　一緒にいられた２年間で、先輩からいろんなものをもらいましたから……。
　クラブで僕に見せてくれた、生きとし生けるものすべてへ注いでいるやさしさ、思いやり。そばにいて、近くでそれを感じられる時間は、どんなに大金を積んでも買えない貴重なものでしたよ、僕にとっては」
「…………………………」
　しばらく真奈美は黙っていたが、やがて口を開く。
「公さん………………」
「？」
「私…………、最近、思ってることがあるんです」
「それは？」
「今度、高校を卒業するのをきっかけに、いままでの自分を変えたいと思っているんです」
「いったいどうして……？」
「いままで18年間生きて来て、私はずっと、誰かに頼って、守られてばかりで暮らしてきました。
　高校に入るまではパパに、高校に入ってからは芝田先生、そして、あなたに……。
　特にあなたには、他の誰よりも優しくしてもらってたのに……、あなたに、先輩らしいことを何一つしてあげられなくって……。いまのいまになって、そのことが悔しく思えて……。
　だから、私、高校を卒業するのをきっかけに、いままでの自分を変えたい……。弱い私を卒業したいんです……。
　あなたがいなくても、一人で歩けるように……」
　大きな目に涙をいっぱいにためて、真奈美は一言一言、かみしめるようにいった。
「先輩……」
「でも……、でも……。今日だけ、いまだけは……。まだ、弱虫のままの真奈美で ……、いさせてください……」
　真奈美は公の胸に飛び込んで泣き出した。
　そんな真奈美のことが愛しく思えた公は、彼女の華奢な背中に手を回し、苦しくない程度に力を入れて抱きしめてあげる。
　いつしか、真奈美の涙が公の制服の胸を濡らしはじめていたが、彼は気にもとめていなかった。

　・・・
　一夜明けて、３月１日。
　この日、三磯学園を卒業するのは、第24期生211名。当然真奈美も、その末席に加わっている。
　まず卒業証書の授与に先立って、部活動などで功績のあった生徒が表彰される。運動系・文化系の部活で活躍した何名かの生徒――彼ら彼女らは、今後、国内の大学や実業団、プロチーム、あるいは海外留学などの進路へ向かい、それぞれの分野での専門家を目指すことになる――の名前が呼ばれた後、最後に司会役の教師が
「おしまいに、特別表彰。
　３年Ａ組、杉原真奈美さん！」
　とマイクに向かって叫ぶ。
　まさか自分が表彰されるとは思っていなかった真奈美、思わず鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。
「杉原さんは、健康上のハンデがありましたが、それをよく克服して、３年間通算の総合成績で学年１位の実績を残し、他の生徒の模範となられました。
　それでは杉原さん、ステージの方へ」
　そう言われても、まだ真奈美はどぎまぎしていたが、両隣にいた生徒から背中を押され、ようやくステージへ歩み出す。
「表彰状――。
　特別表彰　３年Ａ組・杉原　真奈美殿。
　あなたは本校在学３年間を通じて、大変優秀な成績を収められ、他の生徒の模範となりました。
　ここにその功績を称え、これを賞します……」
　真奈美は校長から賞状と記念の銀メダルを授かる。
「よく、頑張りました。みごとです」
「……ありがとう……ございました……」
　それから真奈美は、表彰を受けた他の生徒たちと並んで仲間たちの方に向き直り、表彰状を持った両手を高く掲げる。場内からは割れんばかりの拍手が鳴り響く。
　表彰を受けた生徒たちが席へ戻ると、各クラスの代表に卒業証書が手渡される。ここでは時間の関係上、あらかじめ各クラスで選ばれた代表の生徒のみが校長より直々に卒業証書を受け取る。それ以外の生徒は、このあとのHRで、担任の教師から渡されるのだ。
　クラス代表への卒業証書授与が終わると、演壇に立つ校長が話を始める。
「街に春の足音が聞こえ始めたこの３月１日、本年もまた、多くの若者たちがこの学園から巣立って行きます……」

　・・・
　卒業式が終わり、卒業生たちが卒業証書を受け取るべく一度教室へ引き上げると、残っている在校生たちは中庭に整列しはじめた。
　その中ほどに立っていた生物部の面々。
「いいな。卒業生がみんな通り過ぎたら、すぐに校門へ行く。隣の子にも、そう伝えてくれ」
　公は両隣に立っているえみると明日香に言った。
「早秀が、杉原先輩を足止めすることになっているから……」
　何をするつもりなのだろうか？

　やがて、校舎の方から徐々に拍手の波が広がって行く。卒業生の先頭が出てきたのだ。あちらこちらから
「先輩、卒業おめでとうございます」
　といった、在校生たちによる祝福の声が聞こえてくる。
　その隊列の中ほどに、真奈美の姿が見えた。当然生物部の面々も声をかけるが、後ろからも人が流れて来ているので、なかなか立ち止まってはくれない。

　真奈美は人の流れに押されながら、――生徒としては――もう二度とくぐることのない校門を後にした。
　門を出たところで、真奈美は誰かに服を引っ張られる。振り返ってみると、そこには早秀がいた。
「に……丹羽さん!?」
「杉原先輩。ちょっとここで待っていてください」
「？」
「公たちが、先輩に何かプレゼントをしたいっていってましたから……」
　何がなんだか分からないが、早秀がそういうので真奈美はとりあえず待ってみることにした。どのみち、このあと別に予定があるわけではなかったのだから。
　５分くらい待っていると、やがて校内の方から、
「杉原せんぱ～い！　卒業おめでとうございま～す！」
　という複数の叫び声が聞こえてきた。振り返ってみると、公を筆頭とする生物部員が自分に向けて駆け寄ってくる。
　その光景に真奈美が目を白黒させていると、いつのまにか彼女の体は、背後に回っていた早秀に抱きかかえられていた。公たちも早秀を中心に円陣を組む。
　真奈美を抱きかかえた早秀が叫ぶ。
「杉原ぁ～、真奈美先輩のぉ～、卒業をぉ～、祝してぇ～、
　胴上げ行くぞぉ！　ワ～ッショイ！」
「ワ～ッショイ！」
　周りを囲む後輩たちの唱和とともに、真奈美の体は30センチほど宙に浮きあがる。ニュートンの物理法則に従い落下する真奈美の体は、まわりを取り囲んだ16本の腕に抱きとめられる。そして、再度宙に押し上げられる。
　それが２回、３回と続き、７回目のキャッチでようやく地面に降ろされる。
「卒業おめでとうございます！」
　部員たちの拍手と口々に言われる祝辞に囲まれ、真奈美は
「みんな……みんな……、本当にありがとうございます。
　とてもいい思い出ができました。今日のことは一生忘れません」
　と、涙ながらに話していた。

　それからしばらく、生物部の面々は真奈美を囲んで話をしていたが、やがて一人抜け、二人抜けとしていって、結局最後に公だけが残った。
「先輩。まだ時間もありますし、少し歩きませんか？」
「は、はい……」
　そういって、二人は杉原家へ向かって歩きはじめた。

「……先輩。僕、あなたにお伝えしたいことが……」
「あの……。伝えたいことって、なんですか？」
　真奈美は公の目をじっと見つめる。
「……………………」
「……………………」
　真奈美の視線に射られてしまい、公は用意していた言葉がなかなか出てこない。真奈美も公の返事を待って、言葉を発しない。
　結構な人数の天使が通過して、そして……。
「覚えていますか、先輩？　僕が初めてクラブに来た日のことを。
　あの時、僕は先輩に言いました。"これからは、僕があなたの力になる"って」
「はい。覚えていますよ、昨日のことのように……」
「あれから２年。僕は"先輩のことを守る"というテーマを決めて頑張ってきました。ヤクザと戦ったのも、大阪への転校を断ったのも、すべてはあなたを守るため……」
「…………………………」
　公の気持ちを知っていた真奈美は、あえて発言しない。
「でも昨日、先輩の言っていた決意を聞いて、僕は気づかされました。
　中途半端に優しくするのは、逆に罪なことだって……」
　そこで公は言葉を切り、さらに続ける。
「だから、僕は……。
　もっともっと体も精神も鍛えて、強くなって、ひとりの女性として先輩のことを守っていきたいんです！
　そのために……、高校出たら、自衛隊に行こうかと思ってるんです」
「えっ!?」
　驚く真奈美。
「先輩は、自分のことを"弱虫でダメな女の子"っていってました。
　だけど、それは大きな間違いです。失礼を承知で言わせてもらうならば、それは先輩が自分で勝手にそう思い込んでいるだけだと思います。
　こうやってあなたのそばにいると、僕は自分の中の"嫌な部分"、"駄目な部分"が浄化され、あったかい気持ちになれるんです。そして、あなたの中からにじみ出る "やさしさ"に触れて、僕は元気になれるんです。
　あなたのことを守りたい、守ってあげたいと思う気持ち……、
　その想いが、ともすればくじけそうになる僕の心を支え、ここまで強くしてくれたんです……。
　だから、先輩にはもっともっと、いまの自分に自信を持っていてほしいのです。そして、僕のことを見守って、応援していてほしいのです。
　だって、僕にとっての先輩は、どんなに高価な宝石よりも価値のある、この世界でたったひとつの、大切な宝物なのですから……」
　真奈美は、公の言葉の一つ一つに込められた想いを体中で受け止めて、心の中の "琴線"が激しく振動するのを感じた。
　いつしか、真奈美の瞳からは大粒の涙が次々とこぼれ落ち、そして……。
「公さん…………。わ、私なんかでいいんですか？
　こんな……私なんかで………………、本当に………………、いいんですか？」
「もちろん。
　あなたでなくては、意味がありません。
　僕が"守りたい"と思えるひとは、死ぬまで先輩ただ一人……………………」
　そういうと、公は両手を広げて真奈美を包み込もうとした。
「あ、あれ……？
　も、もう、泣き虫は卒業したはずなのに……うれしくて……うれしくって……、涙が…………止まらないんです…………。
　公さん……お願い……。
　あなたの……胸の中で……泣かせてください………………」
　真奈美はそういうと、公の胸に飛び込んできた。

　二人は抱き合ったまま、いままでより深く、長い口づけを交わしていた……。
「先輩…………、愛してます…………」

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　――――――To Be Continued

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