第47話「早春の誓い(前編)」
年が明けて３学期になると、３年生は授業がなくなり、週１回の"登校日"だけの
登校となる。
この時点で進路の決まっている生徒は、この時期を生かして、気の合う友達と"卒業
旅行"に行ったり、受験から解放されたいまを契機と遊びまくったり、運転免許を
取るべく自動車教習所に通ったりと、思い思いの時を過ごしている。ちなみに、三磯学園の校則では二輪／
四輪の免許取得は認められているが、自分の名義で車両を所有することは認められ
ていない(就職志望の生徒の場合、就職先の事情によっては即、運転免許が必要なこと
もあるための配慮である)。
さて、現在、生物部唯一の３年生で、元部長でもあった真奈美の場合は……。
年明け早々に、かねて志望していた三つの大学・短大の入試を受けたが、その後
は卒業旅行に行くわけでもなければ、友達と遊びに行くわけでも教習所へ通うわけ
でもなく、週一度の"登校日"以外はずっと家にこもり、庭にやってくる小鳥たちと
遊んでいる。
(どうして私は、公さんと一緒の学年じゃなかったんだろう。
あと１ヶ月、どちらかがずれていれば同じ学年になれたのに……。
同じ学年だったら、学校も３年間一緒にいられたし、修学旅行だって一緒に行け
たのに……)
最近の真奈美は、ときどきそんなことを思うのであった。
その真奈美が、一途に想いを寄せている公の方はというと……。
相変わらず、生物部の部長として目下奮闘中である。
「杉原先輩が、いっぱいの愛情を注いできたこの空間とこの部を、自分の代で潰す
わけにはいかない」
その想いが、公を駆り立てているのだ。
"勇将の下に弱卒なし"という言葉があるが、部の仲間たちも、公のそんな意志を
汲んでよく補佐をしてくれている。２学期から参入してくれた明日香や、榎本が連
れてきた３人の１年生部員も、最近になって仕事が板についてきたので、公として
はひと段落ついている。
２月半ばのそんなある日、３年生の登校日のことである……。
・・・
「ハイホー、ハイホー！ しっご〜とがすっきぃ〜！」
部活の時間になって準備室に入ってきた公は、通常より120％アップ(当社比)の
突っ走りぶりだった。
榎本は――彼の視点から見れば――"トイレの100Ｗ電球"のように見える公を見て、
「主人先輩、今日はやけに張り切ってますねぇ」
とぼやく。
たまたま隣にいた明日香、
「そりゃぁ、今日は杉原先輩が登校日で来てるんだもの。元気になるわけだよ」
と解説をする。
「あっ、そうか。杉原先輩は主人先輩専用の"加速装置"だもんなぁ」
そう納得した榎本に
「あのぅ、榎本くん。その"杉原先輩"っていったい……」
そこへ、榎本がスカウトしてきた１年生の一人である堀江由紀が尋ねてきた。
「あぁ、あっちで主人先輩と話している人。
きみたちはあんまり面識ないはずだけど、前の部長さんで主人先輩の"恋人"。
ついでに言うと、うちのクラブの公認カップルなのさ」
由紀に解説をしている榎本の発言を聞いていたのか、公は
「榎本！ そういうことはあんまり大声で言うもんじゃない。恥ずかしいだろうが」
と茶々を入れる。
実際、真奈美もいまの榎本の発言が聞こえていたのか、顔を真っ赤にしてうつむ
いている。
「だって、事実は事実でしょ？」
「へぇ〜、主人先輩って年上の人が好みだったんだぁ」
割り込んできたのは、これも新部員の一人である飯盛雅弓である。
「ん〜それはだなぁ……、オホンッ！ 妙なこと言わせるんじゃない、雅弓くん」
「それで、この二人についてのすげぇ話があるんだ。
まずはこれを見てくれ」
そう言うと、榎本はやおら制服を脱いで、裸の背中を見せる。
その背中には、明らかに刀傷と分かる傷跡がくっきりついていた。
「これは去年の夏、主人先輩や星野先輩、永倉先輩といっしょに、ヤクザへ殴り込
みに行ってできた傷なんだ」
そう言うと、榎本は公の方を向いて目配せする。
公はどう返事していいか分からず、どぎまぎしている。
「公くん、話してあげてもいいでしょ？ あのこと」
明日香が助け船を出してきた。公は一瞬迷ったが、榎本にうなずく。
それを見て榎本は、去年の夏、真奈美をめぐって銀虎会との間に繰り広げられた戦い
の概要を３人に説明しはじめた。
「……主人先輩って、おとなしそうに見えてすごいんですねぇ。杉原先輩を助けるために、
ヤクザとケンカして勝っちゃうなんて」
そう言ったのは、こちらも新部員のひとりである大村まゆ子だ。
「そうだろう？
俺は残念ながら、そのときはこの傷通り、ヤクザに背中を斬られてノビてたんだ
けど、正直、そばで見ていて"カッコイイ"って思ったさ。いまどき女の子に、ここ
まで命懸けになれる人なんてそうそういやしない。
"男が男に惚れる"って、どっかのヤクザ映画みたいなことが、本当にあるんだなぁって思ったさ」
「ステキ……。私、主人先輩に惚れちゃいそう」
そういい出した雅弓の目は輝いている。
「私も……」
由紀までそう言い出した。
「横取りはいけないりゅん。
この人には、もう決まった人がいるんだからね」
えみるが話に割り込み、真奈美の方を指して言った。
調子に乗って榎本が、
「そうそう。その代わり、俺あたりで手を打たない？
いまなら、先着１名さまご優待……」
と３人に向かって話し出す。
たちまち榎本は、他の全員からの強烈なツッコミ――えみる＆明日香のハリセンチョップ、公のエルボーに早秀の膝蹴り、そして真奈美のゴミ箱アタックの同時攻撃――を食らって沈没する。
部活が始まった。
真奈美は他の部員の邪魔をしないように、少し離れたところから後輩たちの仕事
ぶりを見守っていた。
その最中、陣頭指揮をとって忙しい公に代わり、真奈美の話し相手になっていた
のは芝田だ。
「真奈美くん。もう進路の方は決まったのか？」
「えっと、ま、まだ決めかねてまして……」
「確か、真奈美くんの志望は清華女子大の文学部と一流女子大の社会学部、三磯女
子短大の保育学科の３つだったよなぁ」
「はい……」
「清華と三磯女子短大はともかくとして、確か一流女子大の社会学部といえば"地球環境学科"があったよなぁ。
真奈美くん、将来はやっぱり、エコロジー関連の仕事がしたいとか？」
「……………………」
真奈美は黙ってしまった。
実を言うと、真奈美自身の本当の夢は別にあるのだが、それはこの進路とは直接
関係がなさそうだし、言うべきかどうか迷ったので発言しなかった。
しかし、心の中ではこうつぶやいていた。
(いまの私の夢、それは……。
公さんの、お嫁さんになることなの。
やさしくて、あったかくて、思いやりのある公さんと一緒になって……。
かわいい公さんの子供を作って、育てて……。
公さんやその子供たちといっしょに、春・夏・秋・冬、いろんな季節といろんな
喜びを分かち合いたい……。
誰にも言えないけど、それが、いまの私の、たったひとつの夢……)
そしていつしか、真奈美の脳の一部分はあるイメージを意識に投影していた。
そのイメージとは……。
・・・
部活が終わると、みんな公と真奈美に気を遣って、さっさと先に帰ってしまった。
こうなると当然、
「杉原先輩、あの、良かったら、一緒に帰りませんか？」
「は、はい……。喜んで……」
ということになる。
その帰り道。
「先輩。そういえば、もうすぐ卒業なんですね……。
なんか、僕、寂しくなっちゃいますよ……」
公はぼやくようにそういった。
「そんなこと……。
丹羽さんや生物部の皆さんがいらっしゃるでしょ？」
「そりゃまぁ、そうですけどね……。
何かこう、張り合いがなくなるというか……」
公はしどろもどろになりながら、何とか言葉を紡ごうとする。
そんな公の態度を見て取った真奈美、
「ところで……。
そういう公さんも、もうすぐ３年生ですよね？」
「まぁ、今度の学年末試験でよっぽどへまをしなければ」
「それでしたら、そろそろ進路のこと考えておいた方がいいと思いますよ。３年の
始業式が終わったら、すぐに"進路相談"がありますから、進学にせよ就職にせよ、
そのときまでにはどうするか考えておいた方がいいですよ。
それで、公さんは卒業したら、何をされるのですか？」
それを聞いて公は、
「そうですね……。
前々から僕は、何か空や宇宙に関する仕事をしてみたいって思っていたんです。
それで、パイロットになりたいって思って……。
これ、いつかも言いましたよね」
「そう言えば、公さんって最近、英会話の学校に通われているとかお聞きしました
けど……、それも？」
「ええ。
飛行機のパイロットは英語ができないと、世界中のどの空港にも降りられないんです。それで……」
「そうなんですか……。
そうしますと、やっぱり普通の大学に行って、それから航空会社ですか？」
「それもいいんですけどね……、
この進路だと、自衛隊というのも選択肢に入るんですよね。
前に何かの本で見たんですけど、"航空学生"っていうコースなら高卒から試験が受けられますし。
まぁ、受けるとしても、ものすごく倍率高いそうですがね」
続けて
「それに、ウチの親父も若い頃、少しだけ自衛隊にいたことがあって……。
"若い頃に軍隊の教練を受けとけば、将来、きっとどこかで役に立つ"
なんてことを言ってるんですよ。
それで兄貴も、高校出て２年ほど自衛隊行ってましたし……」
「そ、そうなんですか……」
真奈美は分かったような分からないような顔をする。
「それに、これは……。
……いえ、今は言えません」
「？」
「もう少ししたら、言える時が来ると思いますからそのときにでも……」
公はそう言いながら、心の中で、言おうとした言葉をつぶやいていた。
(俺の想いは、たったひとつ……
いま、俺のそばにいるこの人――杉原先輩を、ずっと、ずっと守っていきたい……
そのためには、もっと強い力が必要なんだ。
だから、俺……)
……結局、真奈美は迷いに迷った挙げ句、三磯女子短大に行くことに決めた。
セント・エドワーズ教会で子供たちの相手をしていた経験から、「保母になって
みたい」と思っていたからである。
――――――To Be Continued
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