「THE iDOLM@STER」Side Story
「遠すぎた道」
初出：2008年12月30日「コミックマーケット75」頒布
改稿：2017年７月１日
第二話「レピーク民族解放戦線」
千早たちを乗せた旅客機――ホワイトスター航空のボーイング７７７は、ユーラシア大陸上空の成層圏空域を、時速八百キロ前後の巡航速度を維持しながら一路日本へ向かっていた。
英国から日本までは十時間以上の旅路になる。
機内の乗客たちは機内サービスの音楽や映画・ゲームを楽しんだり、持ち込んだ本を眺めたり、またある者は眠ったりと、思い思いの時間をすごしていた。
さて、千早はといえば……、
事情を知らない者が見れば、これが日本でも有数の歌手である「如月千早」の姿かと疑うほどの無防備な――それでいて、少女と大人の要素とがほどよくブレンドされている――寝顔を晒しつつ眠っていた。
無理もない。
千早は、パートナーだった小次郎と離れ、単身、英国で過ごしてきた日々の緊張から解放されていたからである。
この数年、千早が過ごしてきた「クリステラ・ソングスクール」での学びの日々。
それは、日本で彼女が受けてきたレッスンなど児戯に思えるほど厳しく、かつレベルの高いものであった。
とはいえ、小次郎たちのレッスンも甘かったわけではない。
日本と外国では「歌」に求められるものが違っていたのだ。
母国の日本で、「アイドル」として、プロのうたうたいとしてのキャリアをスタートさせた千早。
どうしてもその方向性は、日本人の多くが好む「Ｊ・ＰＯＰ」に近づく。
クリステラでのレッスンは、まずその方向性を一度「リセット」するところから始まった。
そしてその上に「世界で通じる」形を築いていくのである。
そんな日々の中、日本にいる小次郎とは時々メールで連絡を取り合っていたのだが、彼の「ぬくもり」を知った千早にとって、彼のいないベッドでの眠りは、決してよい眠りとはいえなかった。
そんな日々もようやく終わり、彼の待つ日本への帰途に。
……無防備な寝顔も、それが理由だった。
さて、千早が眠っていた頃、機内のモニターではニュース映像を流していた。
「これは、激しい内戦の続くレピークから届いた最新の映像です。
首都・ワスフエニを奇襲攻撃によって電撃占領した反政府軍――レピーク民族解放戦線は、政府・軍の関係者のみならず、何の罪もない一般市民にも無差別に銃を向け、現在までに判っているだけで、三万人近い犠牲者を出している模様です。
首都を制圧した民族解放戦線は、『敗残兵掃討』に名を借りて、このように暴行・略奪・放火と無法の限りを尽くしており……」
モニターには、迷彩服の兵士が、数人がかりで年端も行かぬ子供を追いまわし、銃の台尻で殴りつけている映像が映し出されていた。それを見て客席から上がる悲鳴。
「ひどい……」
「あんな小さな子供まで……」
無機質なキャスターの声はさらに続ける。
「……一方、民族解放戦線の奇襲攻撃によって壊滅的な大打撃を受けたレピーク政府軍ですが、外交ルートを通じて、周辺の同盟諸国に資金面ならびに軍事面での援助を強化するよう呼びかけており、戦火の一層の拡大が懸念されております……」
非情だと顔をしかめざるを得ないニュースをどこか他人事のように見ていた人々の耳に、その唐突な怒号が飛び込み。
「フリーズ！」
千早の幸せな眠りは、この叫び声で中断させられた。
直後に飛び込んでくる複数の悲鳴。
一瞬にして意識が正常に戻り、機内の情景が網膜を通じて脳内に飛び込んできた。
見てみると、座席の所々から立ちあがってきた、戦闘服に覆面をした複数の人物が武器を構え、それぞれ、小脇に抱えた別の乗客やアテンダントに突き付けている。
「たったいまから、この機は我々『レピーク民族解放戦線』の支配下に置かれた！」
戦闘服を着た人物の一人が、客室全部に聞こえるような声で宣言した。
そのそばにいた乗客の一人が、何かを叫びながら立ち上がったが、あっという間に殴り倒されて昏倒する。
「諸君らもおとなしくしていれば、これ以上の手出しはしない。
現在、この機はレピーク領内のマドゥク飛行場へ向かっている。
諸君らはこれより、わが『レピーク民族解放戦線』の人質として首都ワスフエニへ連行される！」
その宣言を聞いた乗客たちは、みな一様に背筋の心棒を抜き取られるような感覚に襲われた。
無理もない。自分たちの目の前にいる男たち――「レピーク民族解放戦線」の名前とその悪逆非道ぶりは、先ほどのニュース映像で十分に知れ渡っていたからだ。
（私たち、これからどうなるのかしら……）
眠っていてそのニュースフィルムを見ていなかった千早も、事態のあまりの展開に、半ば放心状態になって彼ら――解放戦線の兵士たちを見ていた。
その頃、千早が目指していた最終目標――日本の７６５プロ本社。
事務室に隣接する大会議室、上座にあたる壁には
「千早ちゃん おかえりなさい！」
と大書された横断幕が掛けられ、真っ白なテーブルクロスのかかった会議机には、一流ホテル――所属タレントの一人である「水瀬伊織」の実家が経営に携わっている――のレストランから、ケータリングスタッフ込みで取り寄せた料理が並んでいる。そして先ほど、春香お手製のケーキも焼きあがって運び込まれ、後は主賓――千早の到着を待つばかりだった。
ちなみにいま、小次郎はここにいない。
日本に着いた千早を、誰よりも先に出迎えるべく、成田へ赴いている――ここには、小次郎と一緒に現れる手はずなのだ。
だがしかし……。
「それにしても、千早ちゃん、遅いですねぇ……」
小鳥が、空のグラスを右手でもてあそびながら、誰にともなく問いかける。
「プロデューサーさん、成田まで千早ちゃんを迎えに行っているはずなんですけど……、そのプロデューサーさんからも連絡来てませんし。
飛行機、遅れてるんでしょうか？ 天気が悪いとか何かで……」
小鳥の言葉に
「もしかして、飛行機落ちちゃったのかなぁ？
それとも乗る飛行機を間違えて、実はアメリカにいっていた……って、誰かさんじゃないからそんなことはないか」
小鳥の脇にいた春香がそう言うと
「ちょっと春香！
こんな時に、冗談でもそんなこと言わないでくれる？」
律子からたしなめられる。
「あぅ……ごめんなさい……」
たしなめられて小さくなる春香を見ながらも、眼鏡のレンズ越しの律子の瞳には一抹の不安が漂う。
到着予定の時間を大幅にオーバーしているのに、千早からも小次郎からも、未だに連絡がこないためである。
そのいらだつ空気に我慢のならなくなったのが、所属タレントの中で最年少の双子――双海亜美と真美の姉妹である。
「亜美、もうおなかぺこぺこ〜」
「真美も〜。律っちゃん〜、ピヨちゃん〜、先食べちゃっていい？」
「ダーメ。さっきから何度も言ってるでしょ？ 千早が帰って来るまでは……」
「亜美（真美）はもう待てないのだ〜」
全然聞く耳を持とうとしない亜美と真美。
その時、小鳥の服の胸ポケットに入っていたスマートフォンが着信音を鳴らす。
小鳥は会議室の隅に行き、画面をタップする。
「はい、音無です」
「小鳥さん？ 俺です、麻宮です……」
小次郎の口調にただならぬものを感じた小鳥。
「どうしたんですか？ 千早ちゃん迎えに行ったんじゃ……？」
「千早は……帰ってきません。
千早の乗っていた飛行機……、テロリストにハイジャックされたそうで」
「……！？」
受話器の向こうで、小鳥が息をのむ。
「とにかく、ここにいても仕方ないんで、俺、事務所に帰ります。
他の娘たちにも、そういっといてください」
そういうと、一方的に小次郎は電話を切る。
「……どうしたんです、小鳥さん？
プロデューサー、なんていってたんです？」
焦燥した律子に声をかけられて半生解凍した小鳥。ようやく重い口を開いて
「千早ちゃんの乗った飛行機……ハイジャックされたって」
「「「「「「「「「「ええーっ！？」」」」」」」」」」」
乙女たちの悲鳴が、会議室にこだました。
「そうだ、テレビ！ ニュースで確認しないと」
そういうと、律子は懐からスマートフォンを取り出す。
スマートフォンのＴＶ機能を呼び出し、音量を最大にする。
画面に映ったアナウンサーは、上ずった声で語りだした。
「……繰り返します。
ロンドンから成田に向かっていた、ホワイトスター航空五一一便のボーイング７７７型機が、日本時間の午後一時ごろ、北極海上空でレピーク共和国の反政府勢力『レピーク民族解放戦線』によって乗っ取られ、現在、レピーク領内へ向かって飛行している模様です。
この便には、乗客・乗員あわせて二百六十人あまりが乗っておりましたが、このうち、日本人乗客が二十人ほどいるという情報もありまして、現在、確認を急いでおります……」
「……」
乙女たちの誰もが息をのんだ。
「こ、この便って……」
律子がつぶやくように言うと、
「プロデューサーさんの言っていた、『千早ちゃんが乗っている便』ってこれだったのね……」
小鳥も律子に合わせてそういった。
「で、でも……何かの間違いってこともあるんじゃないですか？
さっきの春香ちゃんじゃないですけど、実はスケジュールの都合で違う飛行機に乗っていたとかそんなので……」
所属タレントの一人である萩原雪歩が口ぞえする。
「何にしても、このニュースだけじゃ、情報が少なすぎてなんともいえないわね」
つぶやくように言った律子。ふと手をたたくと、
「そうだ、ネット！」
というが早いが、事務室のほうへ駆け出して行く。
「ちょ、ちょっと、どこ行くんですか律子さん？」
春香がそういって律子を追いかけたので、他の乙女たちも何が何やらわからずに春香についていく。
事務室。
愛用のノートパソコンで起動しているブラウザにキーワードを叩き込む律子を、他のタレントたちが取り巻くように眺めている。
やがて、ブラウザに映し出されたオンライン百科事典サイトは、先のニュースで言っていた「レピーク」という国のことについての情報を画面に吐き出した。
――このレピークという国、ほんの二十年前までは立憲君主制の穏健な国であったという。
しかし、約二十年前に国内で良質、かつ埋蔵量の非常に多い天然ガス田が見つかったことで歴史は大きく動き出した。
これまでどおりの穏やかな立憲君主制を維持しようとした国王と、天然ガス田を基に外国資本をとり込み、国土の開発を推し進めることを主張した閣僚たちとが激しく対立し、ついには軍部を巻き込んだクーデターに発展。
反乱を抑えられなかった国王は外国へ亡命しようとしたものの、いち早く王宮を抑えた反乱軍に捕まって殺され、反乱軍の指導者でもあった陸軍総司令官の「セングム将軍」が大統領に就任、共和政を宣言したという。
これに対し、旧国王派の残党たちが「民族解放戦線」を結成して反乱を起こし、現在、政府軍と攻防を繰り返している、とのことである。
そしてつい先日、解放戦線は首都のワスフエニを占領。
「敗残兵狩り」と称して略奪と暴行の限りを続けている解放戦線に対し、政府軍は近隣同盟国に軍事援助を仰いで反撃の機会をうかがっている、という……。
「千早たち、こんなところに捕まってるのか……」
これも所属タレントの一人である菊地真が、内心の憤懣を抑えきれないような――アイドルとしての仕事では絶対に見せられない表情を見せながらつぶやいた。
「だ、大丈夫、なんでしょうか……千早ちゃん……」
雪歩のその声は、いま、ここにいる乙女たちすべての思いを代弁していた。