「THE iDOLM@STER」Side Story
「遠すぎた道」
初出：2008年12月30日「コミックマーケット75」頒布
改稿：2017年７月１日
第六話「せまりくる砲火」
千早がダブを連れてワスフエニ市内に入ってから、数日が経っていた。
その日、千早はダブの入院している病院を訪ねていた。
「足の具合はどうですか？」
千早にたずねられたダブは、少しはにかむように
「あぁ、もう大丈夫だ」
と返事する。
「市内ならどこでも自由に歩き回っていいなんて……。『人質』のはずなのに、いい待遇ですね、私」
千早のその言葉は本当だった。
事実、政府軍の空襲に巻き込まれて自らも怪我をしているにもかかわらず、重傷を負ったダブを背負ってワスフエニまで歩いてきたことが評価されたのか、千早は「人質」から「英雄」に昇格していたのである。
そのようなことをダブから告げられると、千早は
「そんな……、私はただ……」
「あなたが認めなくても、私たち解放戦線の全員がそう思っている。
なにしろ、あのプライドの塊みたいな兄をひざまずかせたのは、あんたが初めてなんだから……。
それより私が驚いたのは、あんなに興奮していた大勢の群衆の目を一瞬にしてひきつけさせたことだな。
やっぱり、世界的なうたうたいともなると、存在感が桁違いなんだなって実感した……」
ダブは、千早に背負われてワスフエニへ戻ってきたときに見た情景を思い返すようにそういった。
「でも……、それが、ここでなんの役に立つというのでしょう？
うたうたいが……、人の命を救えるのでしょうか？」
顔を伏せた千早が消え入りそうな声でそう尋ねると、ダブは強い調子で
「できる！ あんたにならできるさ」
ときっぱり答えた。
千早は顔を少し上げて
「ありがとうございます。そのお気持ちだけでも、嬉しいです」
と、ダブの手を取って礼を述べた。
……と、病室のドアがまた開き、大柄な男が入ってきた。
ダブの兄である、解放戦線の指導者、バジル・グスマンである。
「具合はどうだ？ ダブ」
開口一番、そういったバジルにダブは
「兄さん、いったいどうしたんだい？」
バジルはダブの問いかけを半ば無視して
「わが解放戦線は……、明朝、全戦力を以って政府軍に奇襲攻撃をかけることを決定した！」
原爆級の発言をその場で炸裂させた。
「！」
「兄さん……。話が違うじゃないか！
私がワスフエニに帰ってきたら、政府軍との和平交渉をはじめるって話じゃなかったの？」
ダブが猛然と抗議をしはじめた。
バジルは力なく首を左右に振ると
「情勢が急変したんだ……。
セングム政権が我々を一方的に悪者に仕立て上げるため、意図的に流したデマ情報を……世界中が鵜呑みにしたんだ。
国連の安全保障理事会で、われわれを掃討するための多国籍軍が派遣されることが決まってしまったんだ！
もう、世界のどこの国も我々の主張を聞こうとはしない。ならば……」
バジルはいったん言葉を切ると、少し顔をあげてこういった。
「我々に残された道はただ一つ……。
せめて政府軍だけでも壊滅させ、それを以って、我々の『正義』を世界に証明するしかないんだ！」
「そんな……」
ダブと千早は同時に下を向くと、そうつぶやいた。
――いくら世界各国が、セングム政権の流した偽情報に躍らされているとはいえ――事実上退路を断たれてしまったバジルたちにとっては「かなわぬまでもせめてひと太刀」というところだろうか。
しかし、この戦いの結果生まれた「地獄」の一端――廃墟と化した村落――を見てきたダブと千早にとっては、バジルの主張は到底承服できかねるものだった。
「……どうして……」
やっと聞き取れるような声を出したのは千早だった。
「どうして、あなた方はそんな発想しかできないんですか？
あなたたちがこんな戦争をはじめたせいで、どれだけの人間が辛い思いしているのか、お分かりなのでしょうか？」
その声に気づいたバジル、
「どういうことだ？」
気色ばんで千早に聞き返す。
「私は……ここにいるダブさんといっしょに砂漠を歩いて……、戦争の本当の姿を見てきました……。
崩れた建物……、死体の山……。
若い男の人はみんな兵隊に取られ……、家畜も井戸も全滅して……、食べ物も飲み水もなくなって……」
たどたどしい口調だったが、千早のその言葉には、この国に入ってから見てきたさまざまなものから感じた想いがこもっていた。
「それなのに……、いま総攻撃なんか始めたら……、そんなのが何倍にも何十倍にも拡大されます。
こんなの……、戦いでもなんでもありません。
ただの自殺です！」
「チハヤ……」
本当は自分がバジルに言いたかったことを全部千早に言われてしまったのか、ダブはそれだけいうのが精一杯だった。
しかし、バジルは千早の言葉に、何も心を動かされなかった。
そればかりか
「聖女よ……、きさまに何がわかる？」
と、逆に千早を問い詰めた。
「所詮は外国のうたうたいであるおまえに……、いったいこの国の何がわかるというのだ？
それだけ大きな口をたたくのなら、まず自分がやってみろ！
うたうたいが……人の命を救えるのか？」
「……」
千早は何もいえなくなった。
そんな千早に、バジルは口調を少し緩めて
「本来ならばおまえもこの場で銃殺、というところなんだが……、しかし……、おまえは私の唯一の肉親――ダブの命を救ってくれた恩人であることに変わりはない。
せめてもの情けだ。総攻撃の始まる前に隣国へ脱出できるように手配しておく。今夜には護衛の者をやるから、それまで体を休めておくといい」
バジルはそういうと、病室から出ていった。
バジルの去った病室の空気は凍りついたままだった。
ダブは右手で顔を覆い、何やら意味不明の言葉を口走っている。
一方の千早は、バジルの去ったドアのほうを見ながら、心の中で先ほどのバジルの言葉を反芻していた。
（うたうたいが……人の命を救えるのか？……）
その空気は、建物の外から聞こえてきた神経を逆撫でするような甲高い音で破れた。
それに気付いたダブが窓の外を見ると、彼らのいる病院から数ブロック先にあるビルに、鉛筆のような何かがめり込んでいた。次の瞬間、そのビルはまるで空気を吹き込みすぎた風船のように膨れあがり、轟音とともに弾け飛ぶ。
戦場慣れしているダブは、すぐにその現象の正体に気付いた。
「政府軍のミサイル攻撃だ！ かなり本格的だぞ！」
ひと声そう叫んだダブは、シーツをはねのけてベッドから飛び出すと、その勢いのままに、固まっている千早の右手をつかんで病室から駆け出そうとする。
「地下にシェルターがあるから、そこへ逃げるぞ！ ここにいては危険だ！」
そう叫びながらダブがドアに体当たりをかけ、廊下へ飛び出そうとした瞬間、二人はこちらへ近づいてくる轟音を聞いた。
振り返ると、窓の外には、炎のリングを作りながらこちらへ近づいてくる中華鍋のような何か――ミサイルが見えた。そのミサイルの目標は、明らかにこちら！
「伏せろ！」
ダブはそう叫んで千早を廊下側へ突き飛ばす。
次の瞬間。鼓膜の機能を麻痺させるような轟音が轟き、大量の瓦礫が二人の上に降ってくる。ミサイルが上のフロアに命中したのだ。
しばらくたって、千早は咳込みながらゆっくり身を起こす。
どうやら、ミサイルが建物に当たる直前、ダブが突き飛ばしてくれたおかげで、たいした怪我はないようだ。
「ダブさん！ どこにいるんですか？」
叫びながらあたりを見回すが、爆発した後の煙やホコリがもやのように漂っていてよく見えない。
少ししてもやが晴れると、千早の目の前には信じられない光景が広がっていた。
ダブはミサイルの爆発で落下してきた梁に体を挟まれ、口から泡のように血を吐いていた。
「ダブさん！」
慌てて駆け寄る千早。
「チハヤ……、よかった…無事で…」
「しっかりしてください！ いま助けますから」
「無駄だ。背骨が完全に折れているみたいだ……」
ダブは千早の申し出をすげなく拒絶した。
「それより……約束してくれるか？ チハヤ」
「約束？」
「必ず……この国から生きて脱出するんだ……。
そして……いつか……」
「いつか？」
「いつか……、この国に平和が来たとき……。
あんたの歌声で……、人々を幸せにしてほしいんだ。戦いで荒れ果てた、この国の人々の心に、その歌声で……潤いを……。
笑顔を忘れた人々に…人間らしい…ぬくもりを……」
そこまでしゃべったとき、ダブは咳込んで血の塊を吐き出す。
そのしぶきが顔に、体に降りかかるのもかまわず、千早はダブの両手を握りつづけている。
「それが……で、できるのは……チ……チハヤ……だ……け……だから……」
ここまでしゃべったとき、突然、ダブが握り返していた手の力が抜け、千早の細い手の中から滑り落ちる。
「ダブさん……？ どうしたんですか？」
千早は、狂ったようにダブの体のあちこちを触る。
だが……ダブの体温は急速に下がっていく。
そこから導き出される唯一の結論――ダブの死を確かめてしまった千早。
「ダブさん……、そ、そんな……うそでしょ？」
だが、当然のようにダブからの返事はない。
「いやぁぁぁぁぁぁぁ！
ダブさん、死んじゃいやぁぁぁ！」
瓦礫の山の中に、ただ千早の慟哭だけが聞こえていた……。