「THE iDOLM@STER」Side Story
「遠すぎた道」
初出：2008年12月30日「コミックマーケット75」頒布
改稿：2017年７月１日
第九話「砂漠の奇跡（後編）」
レピークの古代遺跡で千早が歌っていたころ――。
そのはるか上空を音もなく飛ぶ一個の飛行物体があった。
外板に「Ｕ．Ｓ．ＭＡＲＩＮＥＳ」という英文が大書されたその物体は、アメリカ海兵隊の無人偵察機であった。対レピーク多国籍軍の支援――友軍の行動に必要な情報を与えるため、レピーク上空を飛んでいたものである。
偵察機に積まれているカメラが、レンズの視界に捕らえた範囲の地上をスキャンすると、その画像は全世界に張り巡らされた軍用通信網を伝って、直ちに某所の管制センターへ送られる。
「……？」
レピーク上空を飛んでいる偵察機から送られて来た、その映像をモニターしていたオペレーターが首を傾げる。
「おかしい……、やけに静かじゃないか……。
情報だと、この辺が主戦場になっているはずなのに……」
別のコンソールからその映像を見ていたオペレーターが、少し驚いたような口調で呼びかける。
「確かに変だな……。何が起こっているんだ？
……見ろ、遺跡の真中に人が立っている！」
「何？ 拡大してみろ！」
オペレーターはキーボードをたたき、その偵察機に読み取り精度を上げるように指令を送る。
そして、読み取り精度を上げた無人偵察機のカメラが捉えたものは――
「チハヤだ！」
「チハヤが生きていたぞ！」
――少し遅れて、別の偵察機も同じ映像を捉え、これによって、千早の生存が全世界に知れ渡ることとなった。
・・・
その時、日本の７６５プロは夜を迎えていた。
レッスンや取材、テレビ・ラジオの番組出演……といったその日の仕事を終えた所属アイドルたちが三々五々に事務所へ引き上げ、高木社長への業務報告を行おうとしていた。
その様子を自席から見ていた小次郎の耳に、どこかから大声が聞こえてきた。
「みんな、大変！ 千早ちゃんが…」
小次郎にはその声の主が誰なのか分かった。小鳥だ。
「千早がどうしたって？」
「千早ちゃんが……千早ちゃんが生きていたの！」
急いで席を立ち、テレビのある会議室に駆け込む。
テレビでは、アナウンサーが上ずった声でまくし立てていた。
「……繰り返します！
先頃、レピーク共和国の反政府組織『レピーク民族解放戦線』に拉致されて行方不明となっていた日本人歌手・如月千早さんの生存が、多国籍軍によって確認されました！」
事務所にかかってきた電話で千早の肉声を直に聞いていたので、小次郎自身は比較的冷静に受け止めていたが、それでもマスコミと多国籍軍が、千早の生存を「裏書」――形はともあれ――してくれたことは素直に喜べた。
小次郎に続いて、事務室に残っていた他のアイドルが次々と会議室に駆け込む。
その姿を見た小次郎は思わず
「みんな聞いてくれ！
千早が、千早が生きていたんだ！」
と叫んでいた。
感極まって嬉し涙を流していたのは、事務所最年長のタレントである三浦あずさ。
テレビの画像を見ながら
「よくあんなところで生きていましたね……千早ちゃん……」
と感想を漏らすのは春香と雪歩。
「亜美（真美）には難しいことはよくわからないけど……、
とにかく、千早お姉ちゃん、無事でよかったねー」
と喜ぶのは亜美と真美の双子。
「昔から、彼女なら『何か』やってくれるとは思っていたが……。私の予想以上のことをしてくれたな。
とにかく、こういうときはやはり……」
と、何やらもの欲しそうな視線を送っているのは、遅れてやってきた高木社長。
「前の時に開けそびれた『大吟醸へのころ山』でいいですよね？」
そんな社長の意図をすばやく読み取ったのは小鳥である。
こうして、夜の７６５プロでは突発的な宴会が開かれることになった。
つまみこそ、事務所のスタッフが急遽かき集めてきたありあわせのものだったが、成年スタッフには、最初の「千早帰国パーティー」で開けるつもりだった大吟醸が、未成年のアイドルたちにはソフトドリンクが振る舞われ、宴会のボルテージは早くも最高潮に達しようとしていた。
その宴がクライマックスに達しようとした頃、つけっぱなしになっていたＴＶが新しい情報を流し始めた。
「全世界の皆さん！
いま、砂漠の国で奇跡が起きようとしています！
あれほど激化し、全面戦争にも発展しようとしていたレピークの内戦が、一発の銃弾も放つことなく、一滴の血も新たに加えることなく、ひとりの日本人女性の歌声のみによって、一瞬にして停戦に至ったのです！
あれほど憎しみあい、傷つけあったレピークの全ての人々が、武器を捨て、戦いを忘れ、彼女の歌声の一言一句を聞き逃すまいと集中しているのです。
その女性の名は――『チハヤ・キサラギ』！
彼女のその歌声が、人々の心に渦巻く憎しみや怒りを鎮め……武器を捨て、戦いを忘れさせたのです！」
「歌で戦争を止めるなんて……。
昔、そんなアニメがあったみたいだけど、本当にやるとは……
なんてやつだ、あいつ」
テレビの画面を見ていた小次郎が、信じられないような表情でつぶやいていた。
「いま、この放送をご覧になっている全世界の皆さん。
我々も、この奇跡を共に見届け、共に聞き届けようではありませんか！
チハヤの奇跡の歌を……」
アナウンサーのコメントが終わると同時に歌が変わった。
聞き覚えのある歌詞とメロディ。
……そう、それこそが、千早がまだ日本にいるころ、小次郎と共に作った歌――「蒼い鳥」であった。
７６５プロのアイドルたちも、千早の歌声に聞き入っていた。
千早のその歌声に聞き入っていたのは、７６５プロのアイドルたちだけではなかった。
全世界で千早の歌声を聞いた人々は、異口同音に
「なんてやさしい表情なの……、聴いているこっちまで幸せになれるみたい……」
「すばらしい……、すばらしいぞ……。言葉にならない……」
「私は、彼女と同じ時代に生きていたことを終生誇りに思うぞ！」
そのような賛辞を漏らしていた。
そして、歌が終わった……。
これまでのどんなライブでも経験したことがないほど、体力と精神力の全てを振り絞った千早、
（プロデューサー……私……とうとうやりました……。
歌で、この国の戦争を止めてみせました……。
誉めて、くれますよね？ なでなで、してくれますよね……？
でも……、でも……、少し、疲れました。
しばらく、休ませてくれますか……プロデューサー……
ねぇ、いい……ですよね？）
薄れて行く意識の中、日本にいる小次郎への想いを、何か言葉にしようとした……。
しかし、体は意識に反して、膝から崩れ落ちるようにその場に倒れ込む。
「チハヤ！」
「チハヤ！」
いまやすべての武器を捨てた政府軍・解放戦線の双方の兵士が千早に駆け寄り、倒れる彼女を介抱しようとしていたが、千早の目にはもはやそれすらも見えなかった。
千早は知らなかった。
この瞬間、千早の歌を聴いていた全ての人間――地球上の六十億余の人間たちの間から、一切の争い事が消滅していたことを。
そして、人類史上始まって以来ともいえるその「奇跡」をもたらしたのが、自分自身の歌声であったことを……。