第３話「明日香のちっちゃな抵抗・後編」
明日香の家は、ショッピング街の一角にあるブティックである。
早秀はその裏手に自転車を乗りつけ、あわただしく呼び鈴を押す。
「どなた……あぁ、丹羽くん。
どうしたの、こんな時間に」
明日香の母親が顔を出してくる。
早秀は今までにも、テスト勉強やらお誕生会など、なにかあってはクラスの仲間
たちと一緒にここをたずねているので、母親とは顔なじみなのである。
「あぁ、おばさん。星野……、いや、明日香さんは？」
「明日香なら２階の部屋にいるはずだけど……」
そこで母親はいったん言葉を切り、
「そういえば、ここのところ明日香、何か落ち込んでいるみたいだけど……。何か
あったのかしらねぇ」
と首をかしげる。
「さっきも、明日香に何か変な電話がかかってきたのよ」
それを聴いた早秀は、
「おばさん、その電話、なにか変に高い声じゃなかったですか？」
と、せき込むように訊ねる。
「さぁ。私は全部聴いたわけじゃないし、すぐに明日香に代わったからぴんと来な
かったけど……、そういわれてみると、そんな気もするわねぇ」
「ありがとう、おばさん」
早秀は母親に礼を述べると、靴を脱ぐのももどかしく星野家に上がり込む。
明日香の部屋はすぐに分かった。６月の彼女の誕生日のとき、クラスの仲間たち
と一緒に"お誕生会"という名目で入らせてもらったことがあるからだ。
「星野、俺だ。丹羽だよ」
ドアをノックする。
都合3.5秒間の空白があって、ドアが少し開く。
廊下に顔を出した明日香の目は、真っ赤になっていた。その様子からして、早秀
が来るいまのいままで泣いていたことが分かる。
早秀は明日香の頭から爪先までさっと見渡し、どこにも損傷らしい損傷がないの
を確認すると
「星野……、よかった……。
俺のいうこと、ちゃんと守ってたみたいだな」
と溜息をつく。
明日香は小さくうなずく。
「さっき、おまえからの電話があって、ここへ来るまでの間にちょっと考えてたん
だが……、どうも一人、臭いやつがいる」
「誰、誰なの？」
すがりつくような目で早秀を見る明日香。
「水谷だよ……。こないだの文化祭で、おまえと"白雪姫"の役を取り合ってた……。
おまえがこんなことやられるようになったのって、文化祭が終わったあとだろ？
それにこの前、おまえの教科書がなくなって大騒ぎしていたとき、俺たちに突っ
かかってきたあの態度……。あれを見て"もしや？"と思ったんだ」
「どうして？」
「ほら、推理小説とかでもよくいうだろ？ "犯人は成果を確かめに、現場に戻り
たがる"って」
「で、でも……。仮に水谷さんが犯人だったとして、あの人がやったって"証拠"は
あるの？」
明日香は当然の疑問を口にした。
「証拠かぁ……。
今のところ、ないなぁ」
早秀は苦い顔になる。
しばしの沈黙の後、早秀が口を開いた。
「星野、これからしばらく、できるだけ俺と行動を共にしろ」
「なんで？」
「この先、おまえに何かしてくるやつを"現行犯"でとっ捕まえてやる。
そいつを絞め上げて吐かせれば、もしかすると水谷までたどり着けるかも……」
「……………………うん、あんたに任せてみる」
明日香は再び、小さくうなずいた。
星野家を辞して家に戻ると、早秀は勉強中の弟・武秀を呼び出して言った。
「武秀、おまえ、早起きできるな？」
武秀がうなずくと、
「これからしばらく、６時になったら俺を起こしにきてくれ」
と命じた。武秀は毎朝、５時半に起きている。
翌朝。
「……兄ちゃん、起きて。
昨日言ったじゃない、"６時に起こせ"って」
武秀は兄の布団を激しくゆすぶる。
「う……う〜ん…………、なんだ、武秀じゃないか？
こんな朝早くなんだよ？」
いぶかる兄に、
「だって、兄ちゃんがいったんだぜ。６時起きって」
と弟が言ったので、兄――早秀はしかたなく身を起こす。
・・・
早秀と明日香は、連れだって校舎に入った。
"敵"はここまで、何もしかけてこない。それがかえって不気味でもある。
何もアクションがないまま、２年４組の教室まで来た。まず早秀がドアに手をか
ける。
そのとき、早秀は一瞬、なにか悪い予感に囚われた。隙間から感じる室内の空気
が、心なしか重く感じたからだ。
開いたドアの隙間から、中をうかがってみる。すると……。
彼の目には、信じられない光景が映っていた。
隣同士になっている早秀と明日香の机に花が供えられ、ごていねいなことに二人
の"遺影"まで飾ってある。そして、その周りをクラスメートが取り囲み、悲しそう
な表情でたたずんでいる。
訳の分からない"念仏もどき"が唱えられ、啜り泣きの声まで聞こえる。
「ううぅ……、丹羽くん、星野さん……。どうして、どうして死んでしまったの？
あなたたちがいなければ、学校がつまらなくなるのに……」
そういって、いかにも"悲しんでいます"という表情をしているのは麗子だった。
さすがにこれには早秀も切れてしまった。ドアを荒々しく開けると、
「オイ、これはいったい何の真似だ？」
と叫ぶ。
教室は凍結した。
そのとき、麗子が素の表情に戻って
「そ、そろそろ先生を……」
といって教室を出ようとする。
もちろん、早秀がそれを見逃すはずもない。麗子の腕をつかむと、
「どこへ行く、水谷？」
と迫る。麗子は何か言おうとしたが、早秀の無言の気迫に押されて沈黙する。
早秀は麗子を連れて教室へ入ると、自分と明日香の机においてあった花瓶を手に
取り、それを床に叩きつけて壊す。
その行動に固まっている他の生徒を見据えて、早秀は右の人差し指を突き出して
言った。
「みんな、あの文化祭からおかしくなっちまってるぜ。悪ふざけにも程がある。
こんなことして、面白いか？ え？」
誰も反論できない。
「おまえらが死んだことにしてしまった俺も、星野も、ちゃんと生きているんだぜ
………………、星野、入ってこい」
早秀に言われて明日香が入ってくると、生徒たちは複雑な表情をした。
「だいたいおまえらなぁ、俺と星野をなぜ死なせる？
俺たちはクラスの仲間だろ？ そうじゃなかったのか？
それがいまはなんだ？
誰が言い出したのかは知らないが、星野ばっかり攻撃する理由はどこにある？
星野がなにか、おまえらに悪いことでもしたのか？
どうなんだよ？
俺や星野に何か文句があるなら、いまこの場ではっきり言ってみろ！」
早秀の言葉の"集中砲火"を浴びて、みんなはますます何も言えなくなる。ある者
は下を向き、ある者は目をつむってしまい、またある者は横を向きながら、何やら
ぶつぶつと意味不明のことをつぶやいている。
早秀はひとわたりクラスメートを見回すと、
「このクラスが、こんな卑怯者どもの親睦会だったとは思わなかったぜ……。
わかった、もういい！
おまえらとは、もう遊んでやらねぇ！」
と叫ぶ。そして明日香の手を取って、教室から出ていこうとした。
と、その時……。
「丹羽くん、星野さん。待って！」
女の子の声がする。
「？」
ふたりは足を止め、その声にいぶかりながら振り返る。
見ると、小柄で線の細そうな女の子が、生徒たちの人垣を押し分けて出てきた。
悲しみを必死にこらえるような表情をしている。
「………………ごめんなさい。
星野さんと丹羽くんにこんなことしたの、わ、私なんです……」
その子は、名前を谷本美佐子という。体がちょっと弱く、引っ込み思案なせいか
このクラスではまったく影が薄い。
「谷本さん……。まさか、きみだったのか……。
いったいどうして……」
早秀は意外な展開に驚きつつ、美佐子に聞いてみる。
美佐子はうつむきながら話しはじめる。
「……あの、じ、実は……」
「どうしたの？」
早秀は上体を少し折り、美佐子の目線に合わせてやる。美佐子は早秀の目をじっ
と見て、
「私……、ずっと前から……星野さんのことが好きだったんです……」
と、原爆級の発言を炸裂させる。
教室の空気が凍結した。
ついでに明日香も凍結した。
その凍結した空気を無視するかのように、美佐子の話が続く。
「……星野さんって、明るくって、いつも元気だし……。それに、男の子でも女の
子でも、分け隔てなくおしゃべりできるし……。私、２年のクラス替えで星野さん
と初めてお会いしてから、ずっと星野さんに憧れていたんです……。
そしていつからか、"星野さんとなら、ずっと一緒にいたい。一緒の高校、一緒
の大学、一緒の会社に入って、一生そばにいたい"って思うようになったんです」
「…………」
早秀は黙ってしまった。
いままで誰も知らなかった、明日香に対する美佐子の"想い"の深さに、どのよう
に答えていいのか見当がつかなかったのだ。
「でも、星野さんにそんなこというのは恥ずかしかったし、もし笑われたりでもし
たらって思うと、言い出せなくって……。
私にできることは、遠くから星野さんを見つめることと、写真を撮ることくらい
……。ほら、こんな風に……」
美佐子はそういうと、制服の内ポケットから明日香を写した数枚の写真を出して
早秀に見せる。
「毎日毎日、この写真を見つめているときが、私にとっては一番幸せな時間だった
の……。徳田くんが来るまでは……」
「？」
いきなり名前を呼ばれ、電撃に撃たれたようにビクッとする新之助。
「あの文化祭のとき、星野さんと徳田くんとのキスシーンがあったでしょ？ あれ
を聞いたとき、私、我慢ができなかった……。星野さんが、男の人を好きになって
しまうって思ったから」
「それで、星野のことを取り返そうと思ってやったんだな？」
早秀に問い詰められて
「…………はい。
最初、そのことを水谷さんに相談したんです。彼女とは、小学校以来のお友だち
でしたから。
そうしたら水谷さんも"星野さんには私も頭にきてるの。だって、あの徳田さま
の唇を奪ったんですもの"って言って、話に乗ってくれたんです」
「み、美佐子……！」
麗子が話に割り込もうとしたが、早秀ににらまれて沈黙する。
「それじゃぁ、星野の私物を盗んだのも、変な電話かけてきたのも、こんな"葬式
ごっこ"をしくんだのも、みんなきみと水谷が？」
「………………………………」
「………………………………」
美佐子は泣きながら小さくうなずき、麗子は口をきっと結んだまま下を向く。
「じゃぁ、"メモリアルスポット"の発売日にみんなが集まってこなくなったのは？」
今度は明日香が聞く。
「………………それは、私が……」
麗子が答えた。
「水谷が？」
「……デマを作ったの。"星野さんは実は援助交際やってる"って」
それを聞いた早秀は、どうしたことか、麗子の横っ面を張り倒してやりたい衝動
に駆られた。
その衝動をぐっと抑えて、さらに訊ねる。
「星野については分かった。
じゃあどうして俺まで？」
「…………………………邪魔だったんです」
「邪魔？ どういうことだ、それは!?」
「丹羽くん、いつも星野さんの近くにいるでしょ？ 前々から、あのことが我慢
できなくって……。"このままだったら、星野さんがこの人のことを好きになっ
てしまう"って思って、それで……。
本当にごめんなさい。迷惑ばっかりかけて……」
早秀は思いっきり呆れてしまった。
二人の理由が、あまりにも独善的すぎるからだ。
早秀は明日香の方を向くと、
「……って言うわけだそうだ。
どうする、星野？ こいつらの処分は、おまえに任せる」
早秀に呼ばれた明日香は、二人の前に立つ。
「……水谷さん、谷本さん。
お願いだから、アタシに約束して。
"もう２度と、こんなことはしない"って……」
と、涙ながらに訴える。
天使が数十人単位で通過して、そして……。
「星野さん、ごめんなさい。
私がどうかしてたみたい……」
美佐子は泣きながら、明日香の前に土下座した。
つられて麗子も。
明日香は二人の前にしゃがむと
「頭、上げてよ……。
アタシは、ふたりが分かってくれればそれで充分なんだから……」
とささやきかけた。
――――――To Be Continued
【おまけ】
「ねぇ、早秀はどうして、アタシのためにあそこまでしてくれたの？
アンタには一文の得にもならないのに」
「何でって……。決まってるじゃねぇか。
おまえが変な気を起こして自殺でもされたら、この先いったい、誰とケンカを
すればいいんだよ？」
「………………バカ」
「何か言ったか、星野？」
「…………ううん、なんでもない」