第４話「いま、そこにある危機？」
中学も３年になると、生徒たちの頭上には１年後に迫った「高校入試」がのし
かかってくる。
進路相談や模擬テストが頻繁に行われ、クラスメートの話題にも、それ関連の
ことが出てくるようになる。
そんなある日の放課後。
早秀と明日香はショッピング街のお好み焼き屋「おたふく」にいた。この二人、
最近何かと一緒に行動することが多い。
この時期、明日香にとって早秀は、他の男友達とは一線を画す「特別な存在」
になりつつあった。
無理もない。昨年の秋、明日香が"いじめ"に遭っていたとき、最後まで彼女の
味方になって奮闘してくれたのが目の前にいるこの少年――早秀だったのだから。
しかし、だからといって急に早秀への態度が変わったわけではなく、某アメリカ
製アニメ映画のように"仲良くケンカ"する関係は相変わらず続いていた。
おそらく、第３者が二人を見ていれば
「あんたら、一生そうやってい！」
とツッコミを入れたくなりそうな関係に見えただろう。
・・・
「はい、こっちはイカ玉。こっちにはミックスね！」
二人のテーブルに、注文されたミックスとイカ玉が運ばれてくる。
「お〜い、夏穂ちゃん。こっちのブタ玉まだかい？」
「は〜い、ただいま」
早秀と明日香のテーブルに料理を運んできた少女――夏穂は、次の瞬間、別の
客の呼び声に反応して厨房へ取って返す。
「それじゃ、食べようか」
「いただきま〜す！」
二人は箸を取り、食べはじめる。
モグモグ、ハフハフ……。
「さっすがにおいしいねぇ。早秀が見つけただけのことはあるよ」
「だろ？ お好み焼きもさることながら、ここは看板娘の夏穂ちゃん……、ほれ、
いま俺たちの注文持って来てくれた、あの娘がウリなんだってさ。
カワイイし、元気いっぱいだしさぁ……」
「……アタシ的には最後がちょっと引っかかるけど、いい店ね、ここ」
「？」
その意味が理解できない早秀である。
「……ところでさぁ、早秀はどこの高校行くか、もう決めた？」
明日香は話題を変えてきた。
「……う〜ん、まだはっきりとは決めてないけど、噂じゃ"三磯学園"がいいって
聞いたしなぁ……」
早秀の返答に、
「え〜っ！ マジ!?
三磯学園って、この街じゃ結構レベルの高い進学校じゃないの？ アンタの成績で大丈夫？」
明日香は心底驚く。
「そこなんだよなぁ、問題は……。
でも、あそこは女の子のレベルも結構高いらしいしなぁ……」
早秀の最後の言葉はフェードアウトしてしまう。
明日香は早秀の――下心がみえみえな――その態度に、思わず頭を抱えたくなる衝動に駆
られた。
「そういう星野こそ、学校はもう決めたのか？」
今度は早秀の反撃。
「アタシ？ アタシは………………。
やっぱあたしも、まだ決まってない。
できたら、制服のカワイイところがいいなぁって思ってるんだけど……」
「ほほぅ、おまえはそういう基準で学校を選ぶのかぁ……」
腕組みをしてうなずく早秀に
「ほっといてよ！ 人がどういう基準で学校を選ぼうと。
だいたいアンタにしてから、人のこといえた義理？ 女の子のレベルで学校を
選ぶなんて……」
と言葉を返していたが、彼女の脳の独立した部分は別のことを考えていた。
――三磯学園って、たしか共学よね？
できることなら、アタシも早秀と同じ高校に行きたい。
だって、早秀がそばにいてくれればアタシ………………。
そして、明日香は脳裏にある志望校のリストに"三磯学園"という名を追加して
いた。
・・・
それから数日後のHRで、前回やった模擬試験の結果が返されてきた。
早秀は少々落ち着かない手つきで、渡された封を切る。
最初に出てきたのは、正解を書いた紙。彼はそれを読み飛ばし、続いて出た紙
を注目する。
そこには、今回の試験の成績と現段階での評価が書かれていた。
曰く、
「志望校：三磯学園高
今回の成績：5145名中 4203位
同一コース志願者中の５段階相対評価 Ｄ
コメント：現在の成績では、志望校へ合格の可能性はかなり低いと見ていいでしょう。
全般的に、基礎的な項目でかなりのつまずきが見られます。
この機会に、基礎的な点を徹底的に洗い直してみましょう」
（……ま、まぁ、なぁ……。
だ、だいたい、こんな紙切れ一枚で、人生決められるなんて全くナンセンスだよなぁ）
早秀は背中に冷汗をびっしょりかきながら、そうつぶやいていた。
「ねぇねぇ、早秀。どうだった、成績？」
明日香がその大きな目を見開いて、彼に迫ってきた。
「ひ、秘密だよ。だいたいなんでおまえに……。
そういう星野は？」
「早秀がそういうなら、あたしもヒ・ミ・ツ」
「言ったなぁ、コイツ！」
そういうと、早秀は明日香の頭を抱え込んでヘッドロックの態勢に持っていこ
うとする。
後ろで担任の咳払いが聞こえる。
「あ〜、オホンッ！ 丹羽に星野、じゃれるのは大いに結構だが、そういうこと
は休み時間にやりたまえ」
教室に爆笑の渦が巻き起こり、二人は赤面してしまう。
担任は早秀の背中を突つく。早秀が振り返ると、担任は彼に耳打ちした。
「今度の模試のことで話があるから、放課後、小会議室に来るように」
放課後、小会議室。
早秀はテーブルを挟んで、担任の教師と向き合っていた。
そのテーブルの上には、いままで――３年に入ってから３度行われた――模試
の結果が印字された紙片が置いてある。
そして、それを眺めている担任の目は、憂いの色をたたえていた。
「……丹羽、おまえたしか、三磯学園志望だっていってたよな？」
早秀はうなずく。
「残念だが、この成績ではちょっと合格は望めんなぁ。もう少しレベルを下げた
方が、おまえのためにはいいかもなぁ」
「じゃぁ、いまの俺の成績で行けそうなところって……」
早秀がそういうので、担任は持ってきた封筒から１枚の紙片を取り出して
「いまのお前の実力だったら、市立三高の体育科、三磯工業の機械科・電気科・
土木科とか、あとちょっと街外れになるけど、"ワールド実践高"あたりが妥当な
ところかなぁ……。
どうする、丹羽？ いまからなら、志望校変えられるぞ」
「……」
早秀は黙ってしまった。
天使が数十人単位で通過して、
「どうした、丹羽？ 黙ってたら分からんぞ」
担任のその言葉に、早秀はようやく口を開く。
「……これって、あくまでも模擬試験ですよね？
要は本番の試験で受かれば、それでいいんですよね？」
「ま、まぁ……。確かに、理屈ではそうなるが……」
早秀は一つ深呼吸をして、
「俺、三磯学園に行きます。誰がなんと言おうと……」
ときっぱり言った。
担任は一瞬、呆然としたが、すぐに気を取り直して、
「おい、おまえ正気か？ いまの実力ではとても……」
「俺、ある人と約束したんです。"三磯学園に行く"って」
早秀は担任の言葉を遮っていった。
もっとも、約束云々については半分ハッタリだったのだが。
それから30分くらいして……。
早秀が校門を出ようとすると、物陰からの声に呼び止められる。
「は〜や〜ひでっ！ 一緒に帰ろっ」
声の主は明日香だった。
いつもの早秀なら、ここで明日香に振り返って、
「あぁ、いいぞ」
と返事をするのに、この日の彼は、その明日香の声もまったく聞こえていないかのように黙
り込み、視線は別の方向を向いている。
「ねぇ〜、どうしたのよ、早秀？
何かあったの？」
明日香を無視するかのようにずんずん歩く早秀に、明日香はなおも食い下がる。
「ねぇ。ねぇってば！
今日のあんた、なんか変よ？」
腕をつかんできた明日香。早秀はその手を振り払い、
「うるさいぞっ、星野！」
と語気を荒げる。
明日香は凍結した。
「……ひどいよ、早秀………………。
な、なにも……そんな……言い方……しなくっても……」
涙声になった明日香に、早秀は正気を取り戻す。
「………………すまん、星野。
大事な話があるんだ。立ち話もなんだから、ちょっとそこの公園までつきあっ
てくれ」
公園。
きしむブランコに身を預けながら、明日香は訊ねる。
「ねぇ早秀。大事な話って、何？」
「…………………………」
「………………………………ねぇ、どうしたの？
黙ってたら分からないじゃない？」
「……………………………………」
なおも沈黙する早秀。
「…………………………何よ、せっかく人を誘っといてだんまりなんて。
あたし、帰るね」
そういってブランコを降り、外へ向かって歩き出そうとする明日香。
それを見た早秀は
「待ってくれ、星野！」
そういって、今度は明日香の手をつかむ。
「何よ？」
振り返った明日香に
「あのさ………………。
俺たち、しばらく一緒に遊ぶのやめた方がいいと思ってる」
ボソッという感じの口調で告げる早秀。
「えっ!? 今、なんて……」
「俺たち、受験が終わるまでしばらく一緒に遊ばない方がいいっていってるんだよ！」
強い口調でそういった早秀。
明日香はそれを聴くと、大きな瞳にみるみる涙を浮かべて、
「は……早秀…………。
どうして…………、どうしてそんなこというの？………………。
信じられない………………」
絞り出すようにそういった。
明日香の涙が地面に落ち、砂の上に小さなしみをつくっていく。
「星野………………、いまの俺たちには、こうする以外に道がないんだ……。
分かってくれないか…………」
そういった早秀に、明日香は無意識に右手を上げ、その手のひらで早秀の頬を
一閃する。
バチンッ！
皮膚をひっぱたく音がして、早秀の頬は腫れ上がる。
「早秀なんか、だいっっっ嫌い！」
そう叫ぶと、明日香は踵を返して一目散に走り去る。
「………………………………」
頬を押さえたまま、その場に立ち尽くす早秀だった。
それから30分後。
一目散に家に帰ってきた明日香は、そのまま部屋のベッドに倒れ込み、大声を
上げて泣いていた。
「早秀の馬鹿ぁ〜〜〜〜〜〜っ！
どうして、どうしてあたしの気持ち、分かってくれないの………………」
結局、明日香は日付を越えるまでずっと泣きつづけていた。
・・・
それからしばらく、早秀と明日香は登校してもお互いに口をきかない日々が続
いた。
最初はなんとも思っていなかったクラスメートも、それが長期間にわたってく
ると、心配の色を浮かべてあれこれ聞いてくる。
「おい、早秀。
最近星野さんと口きいてないじゃないか、なにがあったんだ？」
「星野だって？ 誰があんなヒス女……」
早秀が男友達にそう答えれば、一方の明日香も
「明日香ぁ。このところ、ふさぎっぱなしじゃない。
なにがあったの？ ひょっとして、丹羽くんのこと？」
と女友達に聞かれて、
「丹羽……って、早秀？
誰があんな無神経のウスラバカ……」
と答える。
そして互いに顔を見合わせると、どちらからともなく
「フンッ！」
といって顔を背けてしまう。
そんな日々が、都合１ヶ月半ほど続いた……。
――――――To Be Continued