第６話「真奈美大戦〜another side〜(１)」
早秀と明日香はコワモテの――いかにも「極道」という風体の男どもに取り巻かれていた。そのいずれもが木刀や鉄パイプ、ゴルフクラブや金属バットなどを手に取り、寄らば斬るぞという視線でこっちを見ている。
そんな男どもに囲まれていたのは、このふたりだけではない。彼らの共通の友人である主人 公と森井
夏穂もまた、ふたりを守るような形で前に立っていた。
極道者たちがじりじりと間合いを詰めてくる。こちらも負けじと睨み返す。こういう
場合、先に目線を切った方が99％負けになる。
交錯する視線が空間に熱量を蓄え、それが臨界点に達したとき……。
４人を取り巻いていた極道者たちは叫んだ。
「それっ、殺っちまえ！」
それを合図に男たちは、４人に向かって一斉に飛びかかった……。
・・・
なぜ、彼らがこのような修羅場に立たされる羽目になったのか？
それは、この四人の共通の友人である、一人の女子生徒の失踪が発端となっていたのだ……。
一週間ほど前のこと。
早秀たちの通う三磯学園の３年生、杉原真奈美が登校途中、何者かに拉致された。
実はこの少女、早秀の親友である公の"想い人"なのである。
拉致された翌日、テレビのワイドショーで真奈美の"婚約"が発表された。その相手は
吉野輝明という相場師――実は大物ヤクザ"銀虎会"の跡取り息子――と発表された。
この一方的な話に憤激した公は銀虎会の事務所へ殴り込みをかけるが、したたかに
殴られて返り討ちに遭ってしまう。
ボロ雑巾のように殴られて捨てられた公は、知り合いである松岡千恵の住んでいるマンションに転がり込み、彼女の胸で悔し涙にくれるのであった……。
その頃、早秀たちも公と同様に悩んでいた。
「なぁ、星野。公のやつ、杉原先輩のことでだいぶふさぎ込んでるみたいだぜ。
……昼間おまえには言わなかったけどな、あいつ、自殺しようとしてたみたい」
「えっ!? 公くんが」
電話の前で声を詰まらせる明日香。
「そうなんだ。あいつ、杉原先輩の結婚話聴かされて、どこか壊れちまったみたい。
無理ないよなぁ……。だってあいつ、杉原先輩にベタ惚れしてたし。
廊下で俺にぶつからなければ、あいつ、今ごろ……」
それを聴いて、明日香は何かがこみ上げてくるのを感じた。
「そうだったんだ……。
公くん、かわいそうに……。
あたし、公くんと代われるものなら代わって……」
明日香のその言葉を遮って早秀、
「俺だってそうしたいさ……」
そこまで言ったものの、その先の言葉が詰まる早秀。
結局、その晩は結論らしい結論が出ないまま電話が切れた。
・・・
次の日。
登校してきた二人は、偶然通りかかった別の生徒の話を耳にした。
「なぁ、聞いたか？
夕べ、銀虎会の事務所に殴り込みがあったって」
「ホントかよ？」
「あぁ」
「……そういえば、道理でゆうべ、やけにパトカーが走り回ってたと思ったら……、
そんなことがあったのか」
「どこの誰だか知らないけど、勇気あるやつだなぁ……。
それともただのバカなのか……」
「でもさぁ、相手は銀虎会だろ？
そいつ、無事で済んでるだろうか？」
「そうだな。
なんか、いまごろコンクリづけにされて夢の島あたりに行ってるかも……」
話をしていたやつが通り過ぎるのを確認して、早秀と明日香は顔を見合わせる。
「おい……、いまの話……」
「ひょっとして……」
「公のことじゃ……」
「いまの人、"コンクリづけ"とかなんとかいわなかった？」
うなずく早秀。
「ま、まさか……」
次の瞬間、二人の脳裏にはコンクリートで固められ、埋め立て地に捨てられた一
粗大ゴミと化している公の姿が映った。
渦巻く不吉な予感に囚われ、ふたりは午前中の授業をほとんど上の空状態で過ご
していた。
そして昼休み。
ふたりは学食の片隅で、砂をかむような昼食をとっていた。
公のことが心配になって、どちらからともなく顔を上げる。すると、相手も同じ
ように顔を上げている。当然のように視線が合い、ふたりは同時に溜息をつく。
そんなことを繰り返しているうちに、誰かがふたりの隣に座ってきた。定食の
「Ａランチ」を持ったトレイを携えている。
気配がしたので、早秀は顔を上げる。
座ってきたのは芝田だった。
「シゲさん！」
「お、おぅ。丹羽に星野。ここにいたのか？」
そういった芝田に、明日香が詰め寄るように問いかける。
「シゲさん、公くんは？ 公くんはいったいどうしたの？
昨日、銀虎会に殴り込みがあったって聞いたから、ひょっとして……」
芝田はわずかにうなずくと、
「確かに、殴り込みをやったのはあいつ――、主人だ。
だがなぁ、心配は無用だ。あいつは生きている」
「ホントですか!?」
早秀が驚いたように訊ねる。
「あぁ、俺がこの目でちゃんと見てきた。
いまは保健室で休ませているから、会いに行ってやれ」
保健室。
「あら、これは……。丹羽くんに星野さん。
いったいどうなされたのですか？」
そう応対した若菜に、
「シゲさんから、公のやつがここにいるって聞いて……」
と応える早秀。
「まぁ、芝田先生から……」
そうつぶやくと、若菜はふたりを、公の寝ているベッドに案内した。
早秀はコブ・アザ・擦り傷だらけの公の姿を確認すると、
「公！ おまえ、生きていたか？
よかった……」
といって、彼に抱きつく。
「イテテテ……。
早秀、俺は男に抱きつかれて喜ぶ趣味はないぞ。
もっとも、相手がおまえじゃなくて杉原先輩だったら無条件でOKなんだけど……」
苦痛に顔を歪めながらうめく公。
それを見て、早秀は公からすばやく離れる……、
が、公の顔はみるみる崩れる。思わずつぶやいてしまった"杉原先輩"という単語から、急に真奈美のことを思い出したのだろうか。
「先輩……、杉原先輩……。
いまごろ……、俺の助けを待って……泣いているはずなのに……。
なのに……なのに……、俺の力が足りないばっかりに……、助けることが……、
できなくて……。
さっき、シゲさんが"部活奥義"っていうのを教えてくれたけど……、それだって、
実際使えるかどうかかなり怪しいもんだし……。
俺は、どうすれば……」
公の言葉の最後はフェードアウトしていく。
唖然とする早秀と明日香。
そこへ若菜が、
「主人くん……、そんなに自分を責めなくても……。
誰にだって、出来ることと出来ないことがあるんですから。
差し出がましいようですけど、こういう場合はやはり、警察の方にお任せした方がよろしいかと思う
のですが……」
と、とりなしに入る。
しかし、公はそんな若菜に
「綾崎先生は、事情を知らないからそんな能天気なことが言えるんですよ！
杉原先輩をさらっていった相手はね、大物のヤクザなんですよ。
やつらがその気になれば、警察の上の方に手を回して、杉原先輩のことを握り潰
す――最初からなかったことにするのくらい朝飯前なんですよ！
だから……だから、俺……」
「そのお気持ち、確かに分かります。
あなたのことは、先ほど芝田先生の方から話を伺いましたから……。
でも、冷静になって考えてみてください。
あなたはまだ高校生なんですよ。将来のことを考えますと……」
若菜のその意見は、確かにもっともだった。
だが、真奈美を奪われた怒りで頭の熱くなっているいまの公には全く効果なく、かえって彼の怒りを増すばかりであった。
「将来!? なにをもってそんなこと言えるんですか？
俺にとって、俺にとっては……、あのひと――杉原先輩がいない"将来"なんて、
もう考えられないんです。
あのひとが俺の前から消えてしまったら、俺はもう、一日たりとも生きていられ
ないんですよ！」
公はそう叫ぶと、ベッドに突っ伏して泣き出した。
若菜は凍結した。
「……公」
しばらくして、早秀が公の背中に手を置く。振り向く公。
「おまえにとって、杉原先輩がそれほど大切なひとだってことは、いまのおまえの
言葉で充分に分かった。
でもなぁ、だからって何もかも、自分ひとりで背負い込んでもいい道理ってねぇ
だろ？」
「……何が言いたいんだ？ おまえ」
「もしよかったらでいいんだけど、杉原先輩を助け出す話、俺にも手伝わせてくれ
ないか？」
「早秀……」
「ひとりでは勝てなくても、ふたり、３人と力を集めれば、ひょっとしたらひょっ
とするかもしれないしな」
そこへ明日香も参入してくる。
「アタシにも、手伝わせて！
だって、杉原先輩はあたしにとっても、大切なお友達だし……」
「俺からも、頼む！
俺たちにも、杉原先輩のこと、手伝わせてくれ！」
そういって公を見つめるふたり。
公は、その真剣な眼差しに何かを感じたのか
「早秀……、星野さん……。
協力……感謝……するよ……。
そうだよな……、俺は、ひとりじゃ……ないんだよな……」
そういうと、泣きながらふたりの手を握ってきた。
３人を見守っていた若菜もまた、
「よかったですわね……主人くん……。
こんな……いい……お友達に……めぐり会えて……」
小さくそうつぶやくと、そっと涙をぬぐっていた。
・・・
それから数日後の昼休み。
「お呼び出しをいたします。
２年Ａ組の主人 公くん、同じく丹羽早秀くん、２年Ｄ組の星野明日香さん、
２年Ｆ組の永倉えみるさん、同じく森井夏穂さん、１年Ａ組の榎本 博くん。
以上の６名は、至急、生物準備室にお集まりください」
校内放送が呼びかけた。
「公、行こうぜ」
学食で公と一緒に飯を食っていた早秀は、向かい合って座る親友に呼びかける。
親友――公はうなずくと、定食のシチューを一気に口へ流し込み、テーブルを蹴る
ようにして立ち上がる。
学食を出たところで明日香と出会う。ふたりが明日香に目配せすると、明日香も
小さくうなずき、ついて行く。
３人が宙を飛ぶようにして生物準備室へ向かうと、同時に榎本とえみる、夏穂も
入ってきた。
部屋に入ると、芝田は既に待っていた。何やら紙片を持っている。
全員が集まったのを確認すると、芝田は重々しく切り出した。
「大変なことになった。今日、学校に真奈美くんから"退学願い"が届いた」
芝田はそういうと、持っていた紙片を見せる。
それにはこのような文面が書いてあった。
「退学願
私こと 杉原真奈美は、
一身上の都合により、本日付を以って本校を退学いたしたく、この旨申し出ます。
1999年６月25日
杉原真奈美」
早秀たちは文面を覗き込むと、芝田の方をもう一度注目する。
「ことここに至っては、一刻も早く作戦を決行し、真奈美くんを取り返さなければ
ならない」
芝田はここでいったん言葉を切り、自分に注目している生徒たちを見る。
「そこで、おまえたちに聞きたい。
この戦いに参加すれば、怪我をしたり、最悪死ぬかもしれない。いや、それ以前
に、これが学校に知れたら……。このクラブ――生物部は確実に廃部、おまえたちも退学か、よくて無期停学に
なるだろう。それでも参加するか？
……もし、この中に"自分はやっぱり参加できない"という者がおれば、今すぐに
この部屋から去れ。俺たちは、あとでそのことを責めたりするようなことは絶対に
しないから安心しろ」
しばし、空気が凍結した。
早秀は自分の隣にいる仲間たちに視線を泳がせる。
ある者は目を閉じ、ある者は下を向きながらなにやらつぶやいている。おそらく、
それぞれの心の中にはなにがしかの葛藤があるのだろう。
早秀の視線は、隣にいる親友・公のところでストップする。
公は心持ち下を向き、奥歯を力強くかみ締めていた。机の上に乗っている両方の
手のひらに爪が食い込み、うっすらと血がにじんでいた。内心で巻き起こっている
何かに、必死に耐えている――そう思わせる表情をしていた。
（公……、おまえ、そこまで苦しんでいるなんて……。
ここにいる連中の中で、おまえが一番辛いんだろうなぁ……。
俺には分かるぜ。その気持ち。
なんたって杉原先輩は、おまえにとって一番大切なひとだからなぁ……）
そう思った瞬間、早秀の心の中には独善的な理由で真奈美を誘拐・監禁し、いま
もなお、そのことで親友たる公を苦しめつづけている輩――銀虎会への"怒り"が湧き起こっていた。
早秀は机を叩いて立ち上がると、叫んだ。
「俺は行くぜ。
大事な親友の恋人が危機にさらされているのを、黙って見過ごせるものか！」
その瞬間、早秀は公の表情が幾分か緩むのを見ていた。
（そうだよな。
最も苦しいときに力になってこそ、本当の"友"といえるんだよな。
いつか、おまえが言っていたように……）
内心でつぶやく早秀。
続いて明日香が、
「あたしも行かせて！ 杉原先輩は、あたしにとっても大切なお友達だもん」
と名乗りをあげる。
そして夏穂・榎本・えみるも名乗りをあげた。
榎本やえみるはともかく、陸上部の特待生であるはずの夏穂までもが、銀虎会との戦い――"真奈美
奪還戦争"に参戦する意思を表明したことに、早秀は驚いていた。
無理もない。スポーツ特待生である夏穂は本来、こういうシーンからは一番距
離を置くべき存在なのである。もし、夏穂が早秀たちと一緒に、これからやろう
としていることが学校に知れたら、ほぼ100％退学になるだろうし、陸上部自体も、
公式競技会への出場を当分、辞退せざるを得なくなるはず。
口の悪いたとえ方をすれば、この学園にとっての"客寄せパンダ"であり、周囲
の大人たちから見れば、"これからの日本女子陸上界を背負って立つ逸材"である
はずの夏穂が、――周囲の大人たちから見れば取るに足らない存在であろう――真奈美
のために、その地位とこれから得られるであろう"名声"を投げ捨ててまで、強大
なヤクザに戦いを挑もうとする――、早秀は、彼女にそこまでの決断をさせる
「杉原真奈美」という人物の大きさに、素直に尊敬の念を抱いていた。
（公、おまえが本気で愛している女性は、もしかしたら、とんでもない大物かも
知れんぞ）
早秀は公の方を向くと、他の連中には聞こえないように小さくつぶやいた。
――――――To Be Continued